縁側いとまが閑談録

目々

雨夜にご用心

 日下ひもとさんこれ何すかって食ってから聞くなよ。久々に顔見かけて呼んだらそれってのはどうなんだ。俺別に怒んないけど、他のところだったら確認取ってから食いなさいそういうものは。俺が毒盛ってたらどうするの。やってないけどね、十年付き合って今更そんなことをやる意味がないからな。付き合いのある近所の独身男性とか一番怪しまれるやつだろ? 俺はそういう危ない橋は渡らないんだよ。何より旨味もないしな……しいていえばほら、この煙がお前には毒かもしれないけど、そこは譲れないんでどうしようもない。手前ん家の縁側で煙草吸って叱られるいわれはないからな。分かったら麦茶も飲みなさい。さっき追加で淹れたばっかだから冷やせてないけど。今日ちょっと肌寒いし構わんだろ。

 そんでお前がさっきからもそもそ食べてるそれな、期間限定なんだよな。パッケージ見覚えあるだろ、お土産扱いだから地元の人間はあんまり食べないやつ。りんごのカスタードで好きな味だからたまに買ってるんだけどさ、夏季限定でレモン味のやつ。六月から売り始めたんだと。こないだ駅行ったときに見かけて珍しいからって買ってみたんだけど、どうもこの味好みじゃなくてな……だからお前が気に入ってくれたんなら助かるよ、ナマモノだから賞味期限が案外近いんだ。

 今年ももう六月なんだよな。早くないか最近、五月の記憶なんかろくにないぞ俺。初っ端休みがあって、それ以降はだあっと過ぎてもう六月。お前、連休何してたんだ? 大学生になって初めての連休だし、色々面白いことできたんじゃないのか。サークルとか入ったんなら歓迎会とか色々あるだろ。何でも顔繋いどくのは大事よ。知らないと即死みたいなやつ結構あるから、そういうところで命綱張っとくと後悔することが少なくなるからな。学校出たってそんな感じだぞ、世の中の予行演習だと思ってやっときな。大人になるとその辺ワンミスで最悪死ぬまであるからな、マジで。人間って案外死なないけどあっさり死ぬのよ。これが矛盾してないんだから厄介だよな。

 しかし今日は雨降んなくて良かったな。ちょうどいい晴れだよ、夏ってほどぎらぎらしないけど春ほどぼんやりしてない日射しで、ヌルいくらいの気温だもん。この時期の天気は陰気だからな。ぱっとしない曇りは頭痛くなるし、弱めの雨にしとしと降られると苛つくだろ。夕立はほら、あれは景気がいいから逆にすかっとする。雷なんか鳴り出したら最高だな。停電は嫌だけど、部屋ん窓震えるくらいのやつがくるとわくわくするだろ。


 あとはあれだな、夜にべそべそ降る雨があんまり好かないっていうのはさ。やっぱりちょっとおっかないんだよな、大人になっても。


 なんだその顔。何が怖いんですかって、そんなもん当たり前だろう。お化けだよ──だからなんだその顔は。二つ目齧りながらよくそんな顔ができるな。大人だって色んなもんが怖いんだよ。考えてみろ、夜道を歩いてるときに真っ暗い道の端に女がぼんやり突っ立ってたら、口が裂けてようがどうだろうが大人も子供もぎょっとするだろ。何してくるか分かんないものってのはおっかないもんだよ。極論生き死にに関わるからな。

 まあ、俺が雨の夜を怖がるのは確実に爺さんのせいだよ。小さい頃、雨降ってる夜にバケモンが出るってよく聞かされたからな。子供って夜寝ないだろ、俺も寝つきの悪い子供だったから、よく爺さんが寝かしつけにって民話とか昔話をしてくれてたんだよ。それで脅かして余計眠れなくするんだからタチが悪いよなあ。

 どんな話なんすかって、今にして思えば大したもんでもないぞ。雨のしとしと降る夜に、遠くから妙な声がやってくる。コボレダジャーとかなんとか訳の分からんことを喚きながらあたりをうろうろするから、コボレダジャーの化け物って呼ばれるようになった。安直だろ? 雨の夜に外をうろつくってだけでろくでもないのに、そんな奇声を上げてるんだからもうどうしようもない。万が一人間だったらもっと怖い。そんなことができる人間はもう化け物名乗っていいやつだろう。怖えもの。

 言ったろ、もう『ちょっとおっかない』ぐらいになってんの。いい大人になったからな。コボレダジャーもな、要は見なけりゃいいだけの話だろ? 妙な声上げて外をうろつく得体のしれないやつであっても、玄関蹴り破って押し入ってきたとか壁ぶち抜いて転がり込んできたとかそういうことはしないわけ。じゃあ外出なきゃいいってだけの話だろ。大人しくしてりゃ、おっかない目にも遭わないしな。良い子は夜はお家で寝てればいいんだよ。夜うろつくのは悪いやつらと怖いものばっかりだからな。用事がないなら寝てるがいいさ。仕事なら仕方がない、おばけは怖いけど金がないのはもっと怖い。


 家に来るやつはどうすればいいかって?


 あー。

 


 違う、違うから逃げようとすんな。俺が見たとかここに来たとかじゃなくてな。聞いた話っていうか、知り合いとそういう話をしたことがあったんだよ。だからそんな茶碗を持ったまま逃げ腰になるな。茶碗持って帰ったらまた持ってこなきゃいけないんだぞ。分かったら──あ、聞きたいの。あそう、じゃあ座んなさい。お代わり注いでやるから。


 さて。


 そいつとはちょいちょい仕事で付き合いがあってな。歳は俺より少し下だったか……独身で、ポテトフライが好きで、酒があんまり強くない、ぐらいしかいうことがないくらいには普通の野郎だよ。浅田っつうんだけどさ。普通の兄ちゃんだよ。で、その浅田が市内に住んでてな。それだけでも俺たちみたいな微妙な僻地住まいからすれば嫉妬するのに十分だけど、その物件が結構な良物件なんだよ。

 駅から徒歩十分で、24時間スーパーも銀行も徒歩範囲にある好立地。部屋自体も南向けの角部屋で、一階なのが欠点といえばそうかもしれないが所詮野郎の一人暮らしだからそんなに気にもならない。頑張れば市内のメイン通りにも出られるんだから相当な好条件だろ? 夜の八時過ぎてもちょっと歩けば開いてる店があるっていうんだから羨ましい話だ。

 それでいて家賃が相場の半分──四万円いかないんだから、これはもう訳がない方がおかしいってもんだろう。


 市内っていっても所詮は地方だからな、東京やなんかの都会と比べりゃ色々違う。さっき八時過ぎても店が開いてるとはいったけど、さすがに夜の十時を回ると市内だって人通りがぱたっとなくなる。雨なんか降れば尚更だ。人も車も通らない、真っ黒い道路と湿った暗闇が窓の向こうに見えるばっかりだ。

 そんな陰気な雨の夜は、浅田は家から出ないようにしている。日が落ちる前に部屋に戻って鍵を掛けて、部屋のカーテンを全開にして、窓をじっと眺めている。待っているんだよ。

 どうしてか。誰をか。それとも何をか。俺ももちろん聞いたよ。何でそんな真似をするんだ、ってな。


 雨が降る夜の十一時、窓の向こうを女が通る。そいつを必ず。それがこの部屋に住む条件だと、浅田は教えてくれたよ。


 部屋を借りる時にな、不動産屋に念押しされたんだって。細かい事情は教えてもらえなかったけど、家賃があれだけ安けりゃ文句も言えない。教えてくれるだけ丁寧だよな、知らんふりして放り込まないだけ情がある。後始末が面倒なだけかもしれないけどな。

 見ないといけないのかって当たり前だろう。それが条件なんだから。不動産屋が言うには、『カーテンを閉めていると恐ろしい目に遭うので諦めてください』だとさ。見た後は閉めてもいいから、深夜のプライバシーは守られるわけだ。

 すごい形相なんだと。歳の頃なら二十くらい、真っ白い顔に濡れた髪がべたべたまとわりついてる。何か叫んでるみたいにかっと口を開いてるけど、雨音がさらさら響くばっかり──それでいて、窓を横切って過ぎる寸前に必ず目が合うんだとさ。青味がかった白目に点みたいな黒目があって、それがじろっと浅田の方を見るんだそうだ。


 うん。

 


 どうにかなったんですかって別にどうもしてないよ。浅田は今でもそこに住んでるし、先日雨だったろ? 通ったってさ。真面目だよなそういう連中も、律義って言うか……皆勤賞狙えるタイプだったんだろうな生前は。生前あるかどうか知らないけど。今の子って皆勤賞ないんだっけ? 俺の頃はあったよ。俺には縁がなかったけどな。

 別に危害を加えてくるんじゃないしな。ただ窓の外をとんでもない形相で通り過ぎていくだけ。やっちゃいけないことがあるんなら、それを守ってさえいればいいわけだからな。逆に考えれば優良物件まであるわけよ。ちょっと訳の分からんもんを我慢すれば、あんな街中駅近ライフライン及びコンビニ三社フルセットみたいな物件が破格の値段になるんだから、むしろありがたい話だろ。天気予報とかその辺に気を使うだけで家賃半額。最高だろ。お金って大事だぜ大人になると。煙草だってがんがん値上がりするんだからさ、削れるところから削っていかないとやってられんのよ。


 じゃあ煙草を削ればいいって?


 俺の煙草は生活必需品なんだよ。お前だってもうちょいしたら分かるかもしれない──分かんなくても別にいいけどな。人それぞれだそんなもんは。削れる余裕のある箇所ってのは人によって違うからな。そこに口出すと不幸になるし最悪刺される。本当ほんとう。それだって生き方だもの。

 分かったらもう一個おやつ食べて帰んなさい。何なら残ってる分お土産に持って帰っていいから。俺酸っぱいの苦手なんだよ、本当に。

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