第2話 異変との遭遇 (2)

「……私の姿を見て、何か思うことはないですか?」



「え? ああ、助けてくれてありがとうございます」


「世間知らずなんですかねぇ……、それともそういう情報すら記憶から抜け落ちているのでしょうか」


 柔らかい、全てを包み込むかのような少女の声では無くなっていた。どこか失望しているような、でも僅かに期待を胸に抱いているような、そんな表情もしていた。


 幼女は一口、ハーブティーを飲んでから不気味な笑顔でこう告げた。


「この世界で銀髪は酷く嫌われているんです、呪われている人だからって」


「髪がその色だからってことか?」


「いいえ、ふふふ、本当に何も知らないんですね。返って楽しくなってきました! 偏見も情報も何も持っていない貴方だからこそ、教えてあげます。そして絶望して逃げてください。私が親切心で助けてあげた人達は皆、そうしていきましたので」


 うまく状況を呑み込めていないが、現実世界でいう、肌の色の違いの差別とか部落差別とか、そういった部類での、嫌われ者なのだろうか。


「そもそも魔導書って、知っていますか?」


 一応、知っていると言えば知っている。


 ゲームやファンタジー小説で出てくるような魔導書。それが自分にとっての魔導書だった。各々の世界によってその効果は違う。全く才能が無い人でも魔法が使えるようになったり、はたまた、自分が思いついた魔法を他の人が使えるように簡略化して記すものだったりと多種多様。


 この世界の魔導書を知らない。どの魔導書と合致するかわからない。つまりそれは、知らないということだ。


「……思い出そうとしたんだけど、やっぱり知らないです」


「魔導書は読むだけで特殊な効果や力を簡単に得ることができる優れものです。いずれも今は書かれていないので、とっても貴重なものなんです。ここまではいいですか?」


「うん」


「ですが、ただ力が得られるわけではありません。副作用があるんです。それが、この銀髪です。正しく言えば目以外の色素が薄くなるのが副作用です」


「つまり、魔導書を読んだから嫌われてる……のか?」


「魔導書は読むことが禁忌とされていますから、見て分かる犯罪者でしょう。特に私が読んだ魔導書は特殊で、正式名称『ソストーンの人外記録書 Ⅰ』、世間一般では、人喰いになる魔導書として認識されています」


「人喰い⁉」


「ええそうです。食べます。食べちゃいます。あなたは人間では無いですが、目の前にいるのはとっても怖い化け物です。……ほら、玄関の鍵は開いています。逃げるなら逃げてください」


 逃げるなら逃げてください、そういう彼女の目は寂しげだった。そして同時に健気さを感じた。幼女は今まで、人を助けては秘密を打ち明け、逃げられてきたのだろう。その度重なるショックは、一体どれほどの心の負荷になっただろうか。


「逃げないよ」


「え⁉ どうしてですか、怖くないんですか⁉」


「いや、君が好きだから」


「……え?」


「好きだから逃げない。人喰いとか呪いとか、関係無いから」


 おおぅ! なんと大胆な告白。言っているのは自分だが、こう、恋愛シュミレーションゲームのような告白の仕方を自分がするなんて思ってもいなかった。ああ、そもそも恋愛系のゲームをやったことが無いのだが。


「あ、あああぁ……」


 幼女は狼狽えていた。頭を抱え、今までに経験したことが無いことに混乱しているようにも見えた。この言葉を、幼女は救いの手と見たか、否か。それは今の自分にはわからなかった。


「きっと、きっと信じていないからそんなことが言えるんですね。余りこんなことはしたくないですが、証明するためなら仕方ありません」


 ダンッと音を立てて椅子をずらし、下を向いたままこちらに近づいてきた。そして、自分の真横に来たところで、




「貴方を味見します」




 と。

 隣で微笑んだ彼女に恐怖は感じなかった。痛みは怖い、でも信頼を得るためなら構わない。そんなことを平気で思える自分は現実世界に居た時にはもう狂っていたのかもしれない。いや、違う。そんな事はない。


 思考の末に感じたもの、それは断面付近の痛みだった。吐息、唾液、体温、八重歯。自身から血が流れ出るのを実感する。歯が深く食い込み、そのまま勢いよく齧り取られる。その瞬間の激痛は忘れられるものではなかった。やっぱり、生きたまま人に食われるのって、良くないな。


「……逃げないんですか」


「痛い……」


「痛いなら、逃げれば良かったのに。どうして逃げてくれなかったんですか。今更私を期待させておいて、逃げるなんて無責任なことをするくらいなら、さっさと逃げてしまえば良かったのに!」


 幼女の目には涙が浮かんでいた。今にも零れ落ちそうなくらいに。


「逃げるなんて言ってない、それに今も逃げる気なんてないけど。痛かったなって」


「え……?」


「どう? 美味しかった?」


「え……なんで、どうして、どうして、そんなことが言えるんですか……」


 幼女は自分の行動をおかしいと指摘しているように思えた。実際指摘しているのだが、そのことを余りおかしいこととして認識していない自分からしたら、そう思わざるを得ない。


「今の姿はちょっと違うかもしれないけど、人肉を食べたことが無いからどんな味がするのか気になっただけ。そういえば、今の自分って何ていう種族なんだろうな」


「あ、あ、味は……そうですね。普通の人間とは違って、少し硬くて、でも人間独特の臭みはなかったです。結構、蒸したら美味しそうな肉質でした」


「蒸したら美味しそうか、硬いのがもっと柔らかくなってジューシーさが増すのかな。自分はそこまで料理に詳しいわけではないけど、美味しいものを食べるのは好きだからな。とはいっても、口すら無い訳だが」


「昔は首と胴体が繋がっていたのですか? 生まれた時からバラバラなのかと思っていました。デュラハンって食事の必要が無いのは本で読んだことはあるんですけど、もしかして違いましたか?」


 デュラハンって、食事の必要が無いのだと再確認させられた。こう見えて、美味しいものは結構好きで、食べること自体結構好きだったので、ショックが大きい。


 ああ、もう、何で、首から上の無いデュラハンになっちゃったんだ。


 そしてここで、大きなミスに気が付いた。そう、そもそも自分は転生して、このよくわからない世界に来ていた。噂の異世界転生というものだと勝手に思っていたが、実はこの事実、隠していた方が案外得であるように思える。しかし、実際問題、得か否かと言われれば経験したことの無いことなので何も言えない、判断基準が無いのだ。


「ここ暫くの記憶が無い。多分基本的な知識も何もかも無くなっているかもしれない」


「そ、そうなんですか。何か大きな事故に遭ったとか、それとも禁忌的な何かを犯して記憶が無くなったとかでしょうか……? あ、もしかしたらあの集団にやられたのかもしれませんね」


「あの集団?」


「この国ではかなり有名な騎士団です、確か名前をロズザート騎士団といったような気がします。関わりたくもなければ見かけたくもない集団なので、名前を覚えることさえも嫌になってしまいそうになるくらい、本当におかしな集団です」


 自分の知っている騎士団というものは、頭が固くて厄介者のイメージがある。しかし、ものによっては国を守る立場から、重宝されていても何もおかしくない。どうして、そんな騎士団がここまで異常者扱いされるのか、不思議で、不思議で仕方が無かった。


「おかしいって、どれくらいおかしいんだ?」


「……私からしたらおかしいんです。普通の村の人間からしたら何の脅威でも無いです」


 そういう彼女の声が小さくなった。立ち尽くして、下を向いて、まるで母親に正論をぶつけられ何も言い返せなくなった子供の主張のように、続きの言葉を放った。


「私のように、目以外の色素を失った、魔導書に関わった人間を見つけ次第殺そうとするんです。この髪は、髪染めを使っても染まることなく落ちていきます。見た目じゃ隠せないからこそ、積極的に殺そうとしてくるんです。生まれつき銀髪の人なんて、いないですから」


「……そうなのか」


「だからきっと、貴方も髪が銀髪のデュラハンで運悪く騎士団に見つかり、首を切られて今頃どこかの町でさらし首、なんてこともあると思いまして」


 生憎、そのような記憶はない。それに加え、そもそもこの世界で自分が初心者すぎて肯定も否定もできない。自分の記憶のスタート地点はこのあばら家のベッドの上。それより前の記憶なんて、もう今となっては朧げになりつつある現実世界の記憶が片手に収まるくらいしかない。


 静かに僕の中で、ある思いが目覚め始めていた。

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