追悼フェナカイト

星部かふぇ

第1話 異変との遭遇 (1)

 特別正義感が強かった訳では無い。誰かを守りたいという欲や、困っている人を助けたいという気持ちがあったわけでも無い。所詮自分は傍観者で、悲劇や喜劇に関わる器ではないと自覚していた。死というものが間近に迫るなんて、いつかは来ると分かっていても、急に来られたら誰だって動揺するに決まっている。


 それは酷い死に方だっただろう。実際に自分自身の死骸を見たわけではないが、その直前の記憶はあった。


 いつもの通学路、いつもの人の流れ。前日と違うことがあるとするならば、解体工事を始めたビルがあるということくらい。自分の上空不注意? そんなわけあるか、人は普段から空を注視しながら道を歩かない。


 何が起こったかなんて言うまでもない、上空から鉄骨が降ってきた。ただそれだけのことである。激突して頭が潰れたか、鉄骨が体を貫いたか、酷く鈍い痛みが突如全身を襲ったかと思えば、その意識は目覚めることはなかった。……はずだった。








 自分は気が付いたら、ベッドの上で寝ていた。そこからの景色が非常に納得することのできないものだったのを覚えている。蜘蛛の巣のかかった、古くぼろくなった木の天井。病院らしからぬ天井だった。


 流石におかしい、自分は体を起こす。その時、頭が何故か軽いように思えた。まぁ当時はそんなこと、些細なことに過ぎず何も意識はしていなかった。おそらく鉄骨が貫いたであろう腹部を見て、さする。痛みも何も感じられない。それに加え、自分の服装が何故か紺色のスーツになっていた。


 ああ、頭はどうなったのだろうか。そう不安になって顔に触れようとした。そこに顔はなかった。手術で抉れた? いや違う。不安が心の中全てを覆いつくしていく。恐る恐る手で顔を探す。その時の手といったら、震えて、震えて仕方がなかった。


 そして絶望の淵に立たされた自分は結論を出した。もう自分の顔は無い、と。


 どうも、体に痛みが残っていないようだったので少しベッドから立ち上がって歩いてみることにした。あまり意識していなかったが、ネイルをしている訳でも無いのに爪が鋭く尖り、真っ黒だった。皮膚は日本人の自分からしたら、少し白いようにも思える。もう、ここまで来たら現実的な考えからは身を引くように促されているように思えた。


 自分が目覚めたらいたこの部屋、というより家はあばら家に近いようなものだった。柱は歪み、屋根の隙間から太陽の光は漏れ、壁と壁の隙間からは植物が見え隠れしている。人間らしい生活とは言い難いものだったが、必要最低限の雨風を防げたらいいと言わんばかりのもので、まぁ森の真ん中に放置されているよりかはマシだったと結論付けてそれ以上は考えなかった。


 ベッドから少し離れた扉近くの場所に全身鏡が置いてあった。首から上が無いということは、それなりに恐ろしい姿をしているんじゃないかと即座に察し、少し身が強張るのを感じた。けれど、自分の今の姿が知りたいという感情が非常に勝って間もなく鏡を見ることになった。


 紺色のスーツ、爪先は黒い。身長はそれなりに高かった。体格もそれなりに良い。予想通りと言ったらそれは嘘になるだろう。首から上、本来顔があるべき場所には何も無かった。代わりに花でも生えていたらいいものを、と冗談交じりにそんな言葉が脳内を過った。


 好奇心というものは何とも恐ろしいもので、断面が気になってしまった。お辞儀をするような姿勢になり、何とか断面を視界に入れることに成功した。生々しい、痛々しい、血で赤黒くなった断面、では無かった。そこにあったのは、影のような、靄のような、霧のような黒い何かがかかってハッキリとした輪郭が無かった。


 そこで完全に諦めてはいけない何かを切り捨てたような音がした、耳で聞いたわけではないが。そもそも、目が無いのに世界を認識出来たり、耳が無いのに音を理解出来たり、考える脳が無いのに思考ができていたりと、色々問題点だらけのこの体。声は出るのだろうか、味は感じるのだろうか、そもそも食べる必要はあるのだろうか、そんな疑問が次々に湧いてくるが今の自分の欲望に素直に答えられるような心の余裕はなかった。


「あ! 目が覚めたんですね」


 高く幼い、どこか柔らかさを感じる女性、いや幼女の声。声のした方に体ごと動かして向ける。そこには、腰のあたりくらいまでの長さの銀髪で、新緑の眼を持った可愛らしい少女がいた。パッと見は十歳くらいの、それぐらい幼い少女だった。


 そして自分は、声が出るのか、という問題の結果を知りたかった。それを今ここで試してみることにした。


「助けてくれたのは君?」


 声は出た。しかし、自分が長年聞いてきた自分自身の声でないことに衝撃を受けた。顔というものが無ければ、表情というものも無い。表情の出る顔が無いのだから、この衝撃はきっと幼女には伝わっていない。


「そうです! 今お茶を用意しますね」


 幼女はそう言って、まだ自分が行っていない部屋、おそらくキッチンであろうものがある部屋に行ってしまった。その小走りの後姿は何とも愛らしい。サラサラの銀色の手入れされた美しい髪が揺れて、しかもそれをさせたのは自分自身だと、なんだ、この感情は。背徳感か何かだろうか。


 今、彼女はお茶を用意します、と言った。しかし今の自分には顔が無いから口もない、中途半端な喉ならあるが、味覚を感じられる訳もなく、嗅覚なんて尚更。こんな状況でお茶など出来る訳がない。彼女に自分の姿はどう映っているのだろうか、素朴な疑問だった。


 カチャンカチャンとティーカップだとかポットだとかが振動で当たる音が響く。こんなぼろい家で防音機能など無いに等しい。


 お茶が出来上がるまでの待っている間、一旦椅子に座り、無い脳がようやく冷静さを取り戻してきたところでもう一度周辺を確認しようと思った。自分が置かれた状況と、今まで起こったことを照らし合わせて、もう一度現実を見る。


 ……何とも言えない感情が湧き出てきた。言葉にするのも難しい、どうしようもない、諦めと落胆と、何か。


 何としてでも納得したい自分がいる。ここは自分が生まれ育った世界だと。非現実的なことが度重なって発生している時点で諦めるべきだったが、人間はこうも無意識にもしぶといらしい。


「お茶ができました、色々混乱しているでしょうからゆっくり話しましょうね」


 運ばれてきたお茶は何とも奇妙な色をしていた。幼女のお茶は現実世界でも見るような清涼感のある赤茶色の透き通った紅茶のようなもの。そして自分のところに出されたお茶は濁った青色の、何とも食欲が無くなりそうな色合いをしていた。


 もしかしたら、これはお客様用のお茶で本当は高級なものかもしれない、と何とか失礼の無いようにお茶を観察する。こういうのは香りを楽しむものかもしれないと、鼻は無いが少し前屈みになって香りを嗅いでみた。うーん、何とも言えない。蒸し暑い日の森の中の香りと生ゴミの臭いを混ぜたような、体が「飲むな」と拒絶反応を起こすほどの悪臭。


 嫌がらせですか?幼女さん。


「んふふふふっ……すみません、やっぱり気づいちゃいました?」


 天使のような、天使と見間違えてもおかしくない純度百パーセント微笑み、頂きました。天使のいたずらか、それなら寛大な心で許してあげなければ。


「私のお茶は普通のハーブティーなんですけど……貴方のお茶は、赤ん坊以外なら誰だって知ってる猛毒の草を乾燥させて作ったお茶なんです。どうせ飲めないのなら、ちょっとでも楽しんでもらいたくて」


 猛毒の草とは見抜けなかったが、本当に死ななくてよかったと心からホッとしている。そもそも口が無いのだから飲めないだろうと、幼女も見抜いていてこの毒茶を出したのだろう。いやぁ策士だ。……ナチュラルサイコパス?


「貴方はここがどこか分かりますか? ここに来る前の記憶とかはありますか?」


 目の前の幼女はよく喋る。そしてよく笑う。そのしぐさ一つ一つが愛らしくて逆に会話に集中できない。けれど、こんなところで信頼度を失っても困るので、脳をフル回転させて返事をした。


「ぼんやりとしか、残っていない」


 あああああああ! なんという素っ気ない態度。敬語すらも使わない、社会人としては終わっている。元の世界の成人年齢は超えているが、一般人のレールから外れていた。だからこそ、そもそも就活とか大学入試とかいうものすら経験していない社会不適合者に社会人という枠が当てはまるかどうかは微妙だが。


「私が知ってる限りでは、貴方は森の中に倒れていたんです。もうすぐ雨が降りそうだったので、そのままここに運び込んだような形です。ここまではいいですか?」


 頷いても相手がそれを認識できるかわからない。だから声で応えるしかない。


「ああ……」


 我ながら気の抜けた声である。







 少女は怪奇そうな目で自分を見た後、静かにこう言った。

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