真神希墨は転生した先で   「辺境の鍛治職人」単話

たまぞう

乞い願われた男は粛々と

 その子どもは王国の平民街で生まれた。

 元気な男の子で、両親は大事に育てた。

 そんな可愛い我が子が3歳を過ぎた頃に突然謎の高熱に見舞われた。


 どんなに濡れタオルを替えても、医者の薬を飲ませても子どもの熱は下がらなかった。どころか身体が痛いと訴える始末。しかし医者もこれ以上施しようがない。数少ない癒しの魔術でならあるいはと言うものの、そんなものはこの王国で現在は遣い手などいないのだ。


 魔術は知っている事を、世界に満ちている魔力を用いて現象として引き起こす。

 だからこそ治癒などはその知識が無ければ分かりようもなく、過去にあったのは転移者である英雄が行使した記録だけだ。

 つきっきりの看病は1週間を超えて、ある時その呼吸を止めてしまった。心臓の鼓動ももはや聞こえない。


 苦しみから解放された息子の顔が穏やかではあるが、最愛の我が子を亡くした夫婦の心中は察するに余りあるものだった。

 そして翌朝、母親が摘んできた白い花で息子を包み込む様に飾り付け、その穏やかな顔を愛おしく撫でていると不意に

「おはよう、母さん。」

 と、そう言って息子は目覚めたのだ。




 それからの息子は変わらず元気で、あの熱など無かったかの様ではあるが、時折子どもらしからぬ考え事をするような事がしばしばあった。

 息子はこの国を知りたがった。この世界を知りたがった。

 どんな人が生きているのか、我が家はどういう家庭なのか。

 聞いてくることは実に様々で、その度に夫婦は困惑するのだが、息子が生きている。その幸せの前に疑問は霧散する。




 息子もすくすくと育ち16を過ぎた青年と呼ばれるくらいに成長した頃の事、ある日息子をお使いにいかせると、頼んだパンは持っておらず、途中でお腹が空いて…と悲しそうに謝ってきた。

 別に構わない。普段から聞き分けの良い間違いの起こさない出来すぎた息子が初めて見せた顔に、渡したお金で何をしたのかとか問い詰めることもなく、むしろいまさらな歳だが子どもらしくそういう事もあるのだと安心したほどだ。


 翌日には広場で何やら騒ぎがあったみたいだ。スラムの子どもが盗みを働いてリンチにあったらしい。それを夫婦はひとづてに聞いただけで、たまに起こるくらいのものと流した。


 その日帰ってきた息子は何があったのか、薄汚れた姿でそれでも意思のこもった表情で両親に告げる。

「父さん、母さん、俺はこの王国の現状を変えたい。パンくらい誰でも食べられる国に、誰も虐げられないで済む国に。」




 空には三日月がこの愚かな青年を笑っている様だ。

 王国というひとりでどうにか出来るわけでもないものを何のツテもなく実績も持たず変えようと言うのだ。当然それは正攻法ではなくなる。


「この国に生まれて…それでも仕組みとしては納得できていたさ。いつか中から変えてやると、それができる時は来るとそう思って彼女の祈りを後回しにしていた。すぐに実行するならどう考えても力業しかない。俺にあるのはそれだけなんだから。今以上の血が流れる。比較にならないほどの大量の血が。だから他の方法があればと…。」


 青年は屋根の上で月を眺めて拳を握る。

「けど、もうやめた。既にどうしようも無いんだ。上流から下流まで濁っているなら、その澱みは俺が…掃除してやるしかないだろう。」

 青年は闇を集めて自らを着飾る。黒のズボンにシャツ、ブーツも黒。コートも黒だが、内側は真っ赤に燃える様な赤だ。

 フードを被れば、その顔は暗闇に隠された。


 青年は既に自室に書き置きを残している。この世界で自分を愛してくれた両親には感謝しているし別れたくないが、これからする事と両親の愛の庇護下での生活の両立など願ってはいけない事だ、と家族愛を切り捨てた。

 家族愛の代わりに彼は闇を手にした。水に落とした墨のようにそれは彼の心に広がっていく。

「俺はもう戻れない。…だがお陰で躊躇いもない。」

 ザア…と風に流される様に闇に溶けていく。




 煌びやかに飾られたホールでは、貴族の成人のお披露目会が行われている。

 新成人たちはみな約束された将来に湧き立っていた。

 豪華なシャンデリア。食べられないほどに所狭しと並べられた食事の山。婚約だのなんだのと色めき立つ参加者たち。


 そのシャンデリアから液体の様なものが落ちてくる。

「なんだ?」「なにあれ、水?」「あんな真っ黒な水があるか。誰かの悪戯か?」「ちょっと、肩に掛かったんだけど!?」「一体何の騒ぎだ!?」

 口々に喚く参加者たち。


「いいやあぁぁぁぁぁあっ!!」


 突然叫ぶ女に何事かと振り向いた者たちはその光景に固まる。女の右肩から腕ごと反対の腰まで絡みつく様に黒い人の出来損ないのようなものが纏わりついていて、それが女の頭を半分咥えていたのだ。

「何だその気持ちの悪いのは!?」

「だ、だ、れか…たふけへ…」

 女はそのまま黒い何かに取り込まれていく。




 そんな中、黒い水溜まりの上に立つ男の姿を全員が目撃する。足元の黒色は網目模様に広がり、部屋を埋め尽くした。

「何だ貴様は!いつからそこにいる!!」

 この会場のホストである貴族が、現れた不審者に問いかける。


「俺は、お前たちの先祖の英雄たちと同じ存在だよ。尤も…お前たちの敵だけどな。」


 床の網が会場内の者たちの脚に絡まって食い込む。あちこちから苦痛に呻く声が聞こえる。すでに泣き喚く者さえいる


「まあ…それでも一苦労するかとは思っていたんだが。こうしてみれば敵か、そうでないかは一目瞭然というのかな。でも一応聞いておくか。今捕まった中に平民や貧民、奴隷が居るなら手をあげてくれ。」


 それに応えるものはいない。

「貴様何のつもりだ!?ここに居るものたちがみな貴族であると分かってのことの様だが、ただで済むと思っているのか!?」

 すっ…と不審者はコートから伸ばした腕で最初に捕らえた女を指差して


「思うさ。なあ?」

「ひぁ、あぁあ!!」


 半分ほどがまだ露出していた女はバタバタともがいていたが、その叫びを最期に露出していた部分だけを残して、後の半分をどこかに無くしてしまった。

 ドオッと倒れて床に溢れる諸々。途端に会場は阿鼻叫喚の騒ぎとなるが誰もそこから動けない。暴れるほどに足首に食い込んだ黒い何かによって強く縫い付けられてしまう。


「誰も…さっきの子を助けようとしないんだから。我が身かわいさは同胞も見殺しにするのか。」


 口々に罵り叫び悲鳴が響く会場で、その言葉はもう独り言になっていた。

 会場の扉が開き、そこに駆けつけた警備の者たちも網に捕われる。後ずさる無事なものたち。


「それは触れれば触れるだけ絡みつく。そしてそこから締まっていく。」

「やめろ!すぐにこれをどうにかしろ!聞いているのか!?おい!貴様ぁっ!!」


 そんな言葉があちこちからあがる。

 不審者は、青年は近くのテーブルにあったパンを口にする。


「美味いな。あの子はこんなパン一つ食べることも許されなかったというのか?」

「そ、それが気に入ったか?なら好きなだけ食べるといい!ああ、持って帰れ。ここにあるもの全て、そうするといい!だから!」


 青年のフードに隠れた顔は表情を窺い知ることは出来ない。ずっと影になってその輪郭すら誰も見ていない。


「それはあの子にこそ言って欲しかった言葉だな。だがお生憎様、俺には血塗れの食事を口にする嗜好はないからな。遠慮しておこう。」


 すでに大半が暴れてバランスを崩して這いつくばりそこに網が絡みついている。立っているものはごく少数でしかない。

 そんなごく少数の背中を押して回っていく。


「耐えて見せろ。立って見せろ。無理か?まあ、そういう風にしているから当然だな。」


 悠然と歩き、順番に背中を押して倒して回りやがて会場内に立っているものは奴隷で連れてこられた者と青年だけになっていた。


「ずいぶんと見晴らしが良くなったな。俺の目的はここの貴族と呼ばれる支配階級の連中だけだ。奴隷たちには用はない。足元に気をつけて出ていくといい。」


 足元にはすすり泣く者や相変わらず口汚く罵倒する者、懇願する者、既に意識を手放した者。


「今、ここを支配しているのは俺だ。俺はこのパン一つのためにここに来た。何故だ、わかるか?」


 青年はしゃがみ込み手近な髭の貴族の頭に食べかけのパンを載せて問いかける。

「パンだと…?そんなもの欲しければいくらでも持っていけばいおぐふっ!」

 網が限界を超えて締め上げて、そいつは肉片となってしまって周りに飛び散る。しかしパンは綺麗なままだ。


「支配の意味がわかっただろうか?次はこちらの…お姉さん?頑張って着飾っただろうに化粧がもう大変な事になっているお姉さん。聡明そうなお姉さんになら、分かってもらえるかな?」


 顔まで縫い付けられ横顔しか分からないその頬にパンを載せて問いかける。


「た…た、たすけて。何でもする…だから…痛いの。足が痛くて…もうお願い…だから…。」

「悪いな。先約があるんだ。そちらが片付いたら聞いてあげてもいいから…地獄で祈り続けていろ。」


 フードの中を覗いた女は小さな悲鳴をあげて床に散らばった。


「あぁ…こんなことをしても何も晴れないな。端から順番でいいや、死んでいけ。嫌なら答えてみろ。」


 部屋の隅に近いところから死体が増えていく。這いつくばる者たちに分かるのは悲鳴と舞う血しぶきに混ざる肉片が何なのかということくらい。口々に叫べども、青年の求める答は出てこない。

 警備の者たちは扉の外からこの異様な惨劇を眺めていることしかできない。いや、その前に何人かが手に持っていた武器を青年目掛けて投げたり、魔術による攻撃を仕掛けたりしたが、躱されて雇い主たちの悲鳴を増やしただけとなって、しかし踏み込む勇気もなく立ち尽くしているのだ。



「答えてみろ。」



 青年の顔を覆う影は次第に濃くなって闇となり漏れ出る。

 悲鳴があちこちから聞こえて、液体か固体かも分からない飛沫の花が咲き乱れる。





「答えてみろ。」


 だが既にこの会場に生きているものは青年のほかには居なかった。

 ヒタヒタと注意深く近づく足音がする。青年はそちらを見ずとも、それが敵ではないことに気づいている。やがて足音は青年の横でとまり、

「泣いているの?」

 そう問いかけてきたのはここで給仕をしていた子どもだ。ヒト種の、奴隷。

 その奴隷は口から血を吐いて青年にぶつかる。腰に痛みが走る。

 見ると奴隷の背中に槍が突き刺さってその先が青年にも届いていた。

 奴隷に気を取られたところを、諸共串刺しにしようと魔術で無理やりそうさせたのだ。奴隷少年は、“ごめんね…”と呟いて事切れた。




「やれ!今なら何も気にする事はない!やるんだ!!!奴隷は突撃しろぉっ!!」

 魔術が、槍が剣が飛ぶ。奴隷はその自由を奪われて部屋に入ろうとしている。泣きそうな絶望の顔で。

 青年は網を解除して自身に集める。

 濃くなる黒い闇。次第にそれは青年を黒い闇のシルエットにしてしまい武器も魔術も突き刺さって溶けて無くなった。

 闇は先ほど奴隷少年を串刺しにした警備員の目の前に現れた。いつ?と認識する間も無く。


「お前には慈悲はいらないな。その身に地獄を受け止めろ。ペイン。」


 その声は先ほどまでとは違う低くドスの効いた声で、現れた闇は憤怒に染まったかの様な濃密なもので、その手には死んだ奴隷少年を抱えていた。

 青年の魔術を受けた警備員は、全身に焼ける様な熱さと体内を虫が食いちぎり這い回る様な痛み、内臓を鷲掴みにされるような苦しみを受けて、そのくせ正気を保ったまま、死ねない。そんな状態にされて1週間を生きたのち、死んでしまった。

 その警備員の苦しむ姿に恐れを成した連中を置き去りにして、青年は会場に突入した奴隷たちとともにいつの間にか姿を消していた。




 解放された奴隷たちはその身にかけられた魔術が消えている事に感覚で気づいた。そして今いるのは王国の貧民街。夜中に起きてる人は少なく、自分たちに気づく人もない。

 あの襲撃者は既にここにいない。というより自分たちは気づけばここに居たのだ。


 青年は王国の外で墓を作っていた。王国から東に行ったところにある畑の近くでとても見晴らしのいい丘だ。夏らしく緑一色の綺麗なところだ。


「俺にも流石に生き返らせる事は出来ない。だから今はこれで我慢してくれ。」

 青年は酒を取り出し作ったばかりの墓に注ぐ。墓を中心にそれは広がる。


「せめて安らかに…そしていつか生まれ変わったなら会いにきてくれると嬉しい。俺の名は真神。真神希墨だ。」

 そしてキスミは花の咲き乱れる丘をあとにした。




─あとがき─


はじめまして。こちら連載した作品の後半の1話です。

前後がなくて分かりにくいものになっているのかも知れませんが、連載作品の雰囲気……これは重い方ではありますが、それを知って読みに来てくださればという下心の出張作品です。

読んで頂きありがとうございました。

よろしければ私のプロフィールから作品にお越しくださると幸いです。

(リンクをよう貼れないアナログ人間で申し訳ない……)

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真神希墨は転生した先で   「辺境の鍛治職人」単話 たまぞう @taknakano

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