空が割れた。

@toshi_kznh

空が割れた。

空が割れたあの日から、少しずつみんなが変わり始めた。気がする。

それでもこんなにも、この夏は暑くて、あまり変わらないようにも見えて。


私は、通学路の途中にある、海岸線へ出る道の先を眺めていた。


遠くに見えるうみそらの境界線は曖昧だけど、たしかにそこに境界はある。

ところで積乱雲は真っ二つに切り裂かれている。そう、空が割れているから。

割れた空には黒が覗いていて、ずっと見ていると飲み込まれてしまいそうだ。


こんな黒は、いま世界が終わったわけではないけれど、明日には世界がなくなってしまいそうな、そんな気持ちにさせられる。


だけど、もし明日が来なくても、大したことじゃないのかもしれない。

事故で死んだ人は大勢いるし、いろんな国で紛争が起きては沢山の人が死んでる。

結局、明日が来ないかどうかなんて、あまり関係ない。

サイコロを振って出た目が6だったら死ぬ、みたいな、そんな意味不明さと理不尽さ。

それが世界か個人かの違い。そう考えると、大したことはないな、と思える。


現実感の薄い死生観に、遠くから聞こえてきそうな波の音も、踏切の音も上の空だ。

蝉の鳴き声だってうわずってる。


「しーちゃんっ。」

「あ、ここちゃん。」


アテもないことを考えていると、私の親友——「ここちゃん」こと、鏑木ココトが話しかけてきた。


「また空見てるの?」

「うん。落ち着くから。」


嘘じゃないけど、嘘でもある。

落ち着くというか、何もかもどうでも良くなるというか。


「…………っ。」


つまづく。足元を見てないんだから、当然だし仕方ない。


「ほらー、上見てるから。危ないよ。」


ぐ、と腕を掴まれる。

ちょっとだけ痛かったけど。どこも擦りむくことなく済んだ。


その拍子に、ぽと、と学生証が落ちた。

拾い上げる。


椎賀ユナツ。私の名前だ。

隣に貼ってある写真は、取り立てて特徴がない。

みんな、可愛いと言ってくれるけど。よく分からない。


学生証をカバンにしまい直して、割れた空をもういちど見上げている。

こんな日に、もし世界が終わるとしても、きっと誰も悲しむ暇なんてないんだろうな、なんて。


「急ご、ホームルーム間に合わなくなっちゃうよ、たぶん」

「……うん」


返答に意思はない。

ただ、あまりに。ここちゃんが、嬉しそうで、楽しそうで。

それがよくわからないだけなんだ。



ホームルームには間に合った。

別に急ぐ必要はなかった、というオチがついてきたけど。


そうだ、ここちゃん、運動大好きだったんだ。

私もまぁまぁ好きだけど、ここちゃん程じゃない。


授業が始まって、そこからはただ虚無で退屈なだけだ。

ただノートを取って、話を聞いて。


――ノートは空が割れた話でいっぱい。


仕方ない。世界は変わってしまったのだ。

なんで空が割れたのかは分からないらしい。


――ノートは曖昧で壊れた話でいっぱい。


仕方ない。世界はこうなってしまったのだ。

なんでこんなことになったのかは知らない。


でも。やっぱり正直どうでもいいんだ。

意味なんていらないし、意義なんて知らない。


それでも、ちょっとでも意味があればいいな、なんて見返してみるけれど。

やっぱり壊れて無味乾燥な大地がノートの中に広がっているだけだ。


失望したように、見返したページをぱたん、と閉じると、丁度チャイムが鳴った。

午前の授業が、終わった。


あまりにも気温が高くて、冷房があんまり効かなくなるお昼休み。

湿度も高くて、あまり動きたくなくてぼうっとしていると、ここちゃんが横から話しかけてきた。


「しーちゃん知ってる?大通りのとこ、美味しいスイーツのお店できてたんだー」

「いつ行ったの?」

「昨日いったのー」

「そっか。今日、帰り、寄りたいな。」

「うん!行こ行こ!」


ここちゃんは、本当、甘いものが好きだ。

たくさん食べてこの体型を維持してるのは本当にすごいと思う。


チャイムの音。


曖昧な意識が引き戻される。授業、ちゃんと受けなきゃ。

そういうとこだけが、私の取り柄なんだから。



——そうして、今日も特に変わらない一日が過ぎる。

ここちゃんと私は、さっき話してたお店に来ている。


満席というわけでもなく。閑散としているわけでもなく。

穴場、と言うやつだろうか?

話題になりそうなものだけど。


そうこう考えているうちに、ケーキがくる。

サイズは3号、色とりどりのトッピング。

そして、1ピースだけ切り取られていて、少し離れたところに置いてある。へんなの。

あの、割れた空みたい。


1ピースだけ切り取られている理由を誰かに聞こうと思ったけど。

あんまり意味がないことかもしれない。

どうせ。食べちゃえば、変わらないから。

だから、やめて。

その切り取られたカケラのケーキから食べた。


消費され、消えていくケーキ。

そこに世界の終わりを幻視する。一般女子高生としてはありえない感覚だと思う。

こんな世界に生きているせいだろうか。


「はー、美味しかったぁ。」

「うん。すごく美味しかった。」


——そんな幻も、なんてことない台詞にかき消された。


そういえば、ここちゃんがスイーツの写真撮ってるところを見たことがない。

食べるのが好きなだけなんだなー、と思う。


ここちゃんの笑顔をじっと見て、少し、心のどこかの隙間が埋まったように感じた。


それでも、空は割れたままだ。

空を見ながら帰路につく。


「ほんと、しーちゃんは空見るの、好きだよねー。」

「うん。」

「……わたしも、好きだけど、さ。」


ここちゃんから、ちょっと、ぎこちない声がする。


「え?」


ここちゃんを、見ると。

ここちゃんは、少し頬を赤らめていて。

恋をした女の子の顔をしていた。


「……あぁ。」


ふぬけた、わたしの溜息とも声ともつかぬソレといっしょに。

何かが割れる音がした。


「それじゃ、また明日ねー、しーちゃん。」

「うん、また明日。ここちゃん。」


通学路で、ここちゃんと別れる。

なんてことのない、日常ルーチンの終わり際。

気がつけば、夕闇と黒の見分けはつかないほどに、空が割れていた。


ああ、こうして世界は終わっていくんだなぁ、と。

私は、なぜだか、笑ってしまったのだ。


(了)

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