<冒頭試し読み>先生の鮮明なセンゴ(短編集「生き永らえよ救いはなくとも」収録)

青葉える

<冒頭試し読み>先生の鮮明なセンゴ(短編集「生き永らえよ救いはなくとも」収録)

 私が姫鈴さんを寝かせると、ごとんと頭蓋がコンクリートに落ちる音がした。もう痛みはないはずだが、思わず彼女の頭を撫でる。少年だったあの頃から二十三年ぶりに戦争が私を襲い、三日が経った。

「きらり」

 聡美さんが呼ぶその子の、落ちたマスカラと隈で黒くなった目には、幸せだけが焼き付けられただろう。姫鈴さんの隣で目を閉じている麗愛さんも同じだ。

「聡美さん。姫鈴さんの目を閉じてあげてくれませんか」

 座り込んでいる聡美さんは、先生そんなと呟いて私を見上げ、すぐにさっと目を伏せた。

「彼女はもう戦争を見なくていい、彼女の世界はずっと幸せのままです」

 私は一人残った教え子の、まだ喪失を見る可能性がある目を見る。女子高生らしいボブカットの真ん中にある白い顔が更に蒼白になっていく。戦争の殆どの原因は大人なのに、喪失と崩壊への恐怖は全ての人間に平等に与えられてしまう。

「姫鈴さんも、最後に友達の温もりを感じたいでしょうから」

 聡美さんは崩れそうな表情で暫く私を見ていたが、「友達」と一人ごちてから震える手を伸ばし、見開かれた姫鈴さんの目を閉ざした。眼球の感触が私にまで伝わってくるようだ。

「私は聡美さんにも幸せなままでいてほしいのです」

 だから、ここで目を閉じて。


 三日前の放課後、私は授業の復習をしたいと言う女子生徒たちに、理科室で科学の実験の解説をしていた。その四人は甘い香水の匂いを振りまき、実験もそこそこに私の恋人の有無について話し、私はするべき回答もないので「実験に集中して」と注意しつつ少し笑っていた。そして職員室に忘れたノートを取りに戻るためドアを開けたとき、遅れてやって来た聡美さんと鉢合わせた。

 彼女が何か言いかけた瞬間だった。

 突然爆音が轟き、私は廊下に吹き飛ばされた。

 視界の点滅と耳鳴りに耐え理科室の中を見やると、美瑠さんと梨羅さんが炎の中に倒れていた。私は過去、このように明らかに生命のない色と形をした人間を見たことがあるのを思い出した。壁に頭をぶつけたらしい姫鈴さんと麗愛さんは気絶しており、聡美さんも廊下に吹き飛ばされ呻いていた。

 理科室を埋め尽くした炎のようにかつての記憶が頭の中に広がり、目の前の光景と重なった。そして私は今しがた何が起こったかを知った。

 戦争が再び起きたのだ。爆撃が私の勤める高校を襲ったのだ。

 そのころ私は八歳だった。自分の生まれた国が戦争放棄を決めた国だと本を読んで知った矢先、隣国との戦争が勃発した。私がいた小学校は無事だったが、両親が勤めていたビルは破壊された。爆撃に吹き飛ばされた街、焼け跡となった公園、塵のように散らばる死体と永遠のように苦しむ生者。私は、ちっぽけな人間同士の巨大な争いにより、生きてきた世界を喪った。

 私はその後、施設に引き取られた。数年は悪夢にうなされ泣きながら生きたが、教師や医師に「きみは守られている、好きな景色をここで作ろう」と支えられ、私は段々と世界の再構築に幸福を覚え始めた。やがて私は子供たちを世界に存在する喪失や悲しみから守りたいという志を持ち、カウンセラーになるのは医者に止められたので、一番好きな教科だった理科の教師となったのだった。

 なのにどうして。世界に存在する喪失ではなく世界そのものの喪失は、ここにいればもう経験しないと思っていたのに。

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<冒頭試し読み>先生の鮮明なセンゴ(短編集「生き永らえよ救いはなくとも」収録) 青葉える @matanelemon

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