党歌の響くディストピアにて

@PhyHunnyPopper134

プロローグ 


 目が覚めて、最初に目に入ったのは灰色の曇りがかった不穏な空模様であった。僕、こと星雲 空時は今が何時かも把握していない。僕は重い視線を右にやって本棚の上に置かれていた目覚まし時計に目をやった。七時、五分。僕が昨日の内に目覚まし時計をセットしておかなかったとこを後悔したのは時刻を確認してからいくらか経った後であった。当然、これくらいのことを寝坊とは呼んでいない。この時間に起きたとしても、朝食を抜けば余裕を持って学校につける。

 自分一人を残しておくには勿体ない朝であった。耳を澄ませば、自分の心音さえ聞こえてきそうなくらいだ。ただ、自分に何が聞こえようと今の僕にはどうでも良い事であった。眠気が彼の思考を再び停滞させる。そして、僕は二度寝をしようと掛け布団を再び首の位置まで広げた。

 頭の重さは次第に奇妙な夢に似た幻覚を作り出す。僕は目の前にあるはずもないどこか美しい光を見たのだ。そんな自分の少年じみた滑稽な妄想を心のどこかでは呆れつつも眠気に逆らえない手前彼はその光を追わざるを得なかった。その光が夢のつくりだす淡い幻覚であることを、僕はぼんやりと理解していた。

 僕は昨日まで旅行に行っていた。賑やかな遊園地への一泊二日の旅であった。僕は誰よりも遊園地が好きな自身があった。自分が生まれて最初に記憶していることもまた、僕がまだ生まれて一年経ったすぐ後の遊園地でのことである。華やかな活気ある遊園地をはっきりと覚えていた。

 僕は高校受験を終えたばかりの学生だ。僕は名門私立高校をいくつも志望していた。学校の先生、塾の先生、両親も僕の合格を疑うことはなかった。しかし、僕は三つ受けた高校に三つとも不合格を食らってしまい、今の僕は併願校への進学をせざるを得なかったのだ。僕はひどく落ち込んでいた。それは、単純な不合格への落胆ではなかった。中学に入り、真面目に勉強を続けてきた結果、自分があたかも全知全能の天才だと思っていたのを裏切られたように感じたからだ。もしくは、そんな虚栄心を打ち砕かれてしまったのだ。だが、僕はその感情を親に見せることをしなかった。母も父も自分に対し期待外れと言わんばかりの感情を向けてくる。僕にはそう思えてならなかったのだ。だから、僕は親の前では釈然とした態度で振舞っていた。

 春休みと新しい学校生活の期間を経て、友人といくらか話している内に僕の心は平静を取り戻しつつあった。受験シーズンと呼ばれる彼にとっての地獄の時間が過ぎ去ったことを知らせてくれたのは木々の桜が散っていく様であった。

 僕は中学に入ってから悪い評価を受けることが決してなかった。唯一僕をそう評価するのは僕の両親であろう。しかし、否定しようのない真実を突き付けられた僕にとって、その評価は認めざるを得ない確固たる自己評価に置き換わっていた。

 開いていた窓から風が吹き掛け布団の端がなびく。そよ風の心地よいひんやりとした空気が僕を起こそうとしているようだ。重い瞼はだんだんと開けてくる。

(そろそろ起きるか…)

 これ以上寝て遅刻するのも嫌だな、そう思い僕は重い上半身をベッドから起こした。恐らく寝起きの僕の目は限りなく細く、寝癖は直しようがないほどに立っていることだろう。

「…おはよぉ」

 僕は欠伸をしながらだれに向けたわけでもない挨拶をする。

(勉強したほうがいいかな?)

 僕は一瞬だけ、思考を巡らせた。これは親から取り付けられた勉強に関する習慣のことであった。

(ま、今日くらい抜いたってばれないか)

僕は少しにやけたような、まるで年齢とは不相応な悪戯をする幼児のような笑みを浮かべてしまう。僕は特別さぼり魔な性格ではなかった。ただ、旅行から帰ってきた翌日くらいは力を抜きたいというだけだったのだ。

 (こういう性格をクレバーって言うのかなぁ)

 (ま、そんなことはどうでもいいか)

 僕の親は変わった親であった。母は弁護士で父は官僚、僕を含めた誰が見ても社会的に優れた人間であった。僕はそんな二人の力をこの世のどんな人よりも尊敬していた。僕が自由気ままに遊んでいた昔は静かで優しい人であったが、僕が勉強の話題に立ち向かうとその性格は一変する。小学校ではそれを突き跳ねるようにして僕は劣等生であった。その後、僕は自らの努力で中学に入ってから学問の分野で力をつけていき、周囲から一目置かれる存在になったのだが、その時も両親の考え方と対立することがしばしばあった。

 (そういえば、二人とも起きているはずだけど…)

 (ま、勉強しているとでも思っているのかな)

 僕は嘲りのような感情を心の中に灯した。今の僕には両親のことを考える意味がなかったのだ。

 (にしても昨日は遊んだなぁ…。さすがの僕も受験期とは別人になったみたいに楽しんでいた気がする。まぁ、受験が終わるまで我慢していたんだから当然なのだろうけど)

僕はベッドから静かに降りて、手を天井に向かって伸ばした。これは僕が寝起きにやる癖の一種だ。

 (うぅ、まだ眠い)

 心の中での誰にも聞こえない独り言をしつつ表面上は深呼吸をして眠気を振り払っていた。僕はベッドの下に隠し持っていたタブレット端末を一切の音を立てずに自分の手元に手繰り寄せた。

 僕の年の割に小さな手でも満足に使いこなせるほどにはその端末は小さかった。僕は電源を入れて四桁番号のパスワードを慣れた手つきで入力する。パスワードは彼の生年月日に由来するものであった。

 僕は、アプリが大量に表示されているホーム画面を素早くスワイプし、普通では気づかないような一番奥のアプリ群をタップした。出てきたのは大量のゲームアプリである。シュミレーションゲームからアクションまで、流行りのものからマイナーなタイトルまで僕は一個一個抜け目なくログインボーナスを獲得していく。

 恐らく僕は無表情でこの一連の作業をやっていたが、これが僕にとっての一日でも数えるほどの楽しみだったのである。僕は親に隠し事をするのにこれといった罪悪感を抱いていなかった。それは僕の元来の性格とも言っていいだろう。きっと僕は誰かに束縛されることが本質的に受け付けられない人間であった。

 そのため、隠れてでも自分のしたいことをやっているのである。この端末のデータバンクの隅に隠されているのはゲームだけではなかった。僕の端末の中にはその日に起こったことを書き留める日記や好きな漫画の名言などが大量に存在していた。

 その習慣は、僕が中学に入ったばかりの頃にこの端末を母と父から与えられた時から始まっていた。僕は喜びも悲しみも自分が経験した全てをここに書き込んでいた。

 (お、今日は結構豪華な内容だったな)

 自己満足の笑みを浮かべたら、すぐに端末をもとの位置に置いた。

  不意に生暖かい風が僕の肌を撫でた。僕は不気味な天気だと寝る前に閉め忘れていた窓を完全に閉ざした。そのままの足で僕はリビングルームに向かった。てきぱきと朝食を食べコーヒーと共に薬を飲みこむ。垂れ流しにされたニュースから天気予報のみを聞き取ってはいくらか両親との会話を済ましたあとにそそくさと自分の部屋に戻ってきた。

  (朝食、間に合ってよかった…。早く準備しなきゃ)

  慣れた手つきで水筒と母が作った弁当をリュックに詰めるとてきぱきと制服に着替え、僕はいつもの時間どおりに家を出ていった。朝日がアスファルトに反射し黒光りをしながら自分の通学路を照らしてくれる。一歩、また一歩と重たい教科書の入ったリュックを背負い歩き続ける。駐車場のほうへ視線を向ける。野良猫と目があう。すぐにそらすが猫がこちらを見続けているのは感じていた。しばらくすると猫の側が飽きたといわんばかりにその場を立ち去っていった。

 僕は薄紫色に移り替わった綺麗な空模様を見て深呼吸をする。もっと寝たいという不満足感も学校に今日もいかなければならないという憂鬱さも気分屋な空の色の中にいつのまにか混ぜ込まれていた。

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