第37話『教会の暗部』

 男は微笑んだ。


 月明かりが入ったワイングラスを傾け、自ら飲む姿を鏡越しに見つめる20代後半の筋肉質な男がいた。


 ウェーブがかかった癖の強い髪は、黒く肩までかかり男の首筋辺りで遊ぶ。

 青々とした髭の跡が目立つ肌は、おしろいですら隠すことが叶わない。

 紅で塗られた唇をワインで潤すと、深いため息をつく。


「やになっちゃうわ……」


 鏡を見つめ、顎を傾けて自身の顔を見遣る。再び深いため息を吐くと同時に執務室の扉がゆっくりとノックされた。


 扉の向こうで、声を上げる男がいた。

 

「入りなさい」


 教会のとある部屋で報告を受ける男がいた。

 

 職位が高い目の前の男は、穏やかな落ち着きを見せており、化粧を施した自らのアイラインが鏡に映る姿を見て再びうっとりしている。


 配下の者は何も言わず、黙って跪き面はあげたまま待つ。


 しきりに顔の角度を変えながら映る姿を一通り確認して満足したのか、ようやく配下の者へ耳を傾けた。

 

「待たせたねぇ。最近、私たちの行く先を妨げる者がいると聞きます。本当ですか?」


 男は、鷹揚おうような口調で語る。

 

「はっ! 閣下殿。町中に放った黒目魔獣を一人で屠った戦士がおります」


 配下の者は、緊張をはらむ顔つきで、一語一句はっきりと伝えた。

 閣下からの目線を全身へ受けるたびに、どこか小動物のように怯える。


「なるほど……。どの程度の者ですか?」


「黒目魔獣では相手にすらならない状況であります。現在、身元を調査中。わかり次第、即報告いたします」


「わかりました。頼りにしていますよ? 天使もやられたと聞きます。情報はどうですか?」


「はっ! 多数討伐されたと報告があります。目下洗い出し中であります」


 わからないなりに答えたつもりなのか、すべて伝えきった安堵感からか、報告をしにきた者は、幾分肩の力が抜けている。


「探索者、というわけではなさそうですね……」


 顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。とくに思い当たることもなく、記憶を探るも空振りだ。


「仰るとおり、何かを目的にして訪れた模様。精霊が保護している勇者を狙っているとの報告もあります」

 

「なるほど。狙われている勇者は使ですか?」


「はい。すでに下準備としており、もう一度飲めばかと存じます」


 抜かりなく準備をしている配下に満足したのか、薄ら笑いを浮かべるも、配下の顔は真っ青になる。


「それでは勇者を予備として使えるようアレをおきなさい。精霊には適当に言っておけばよいでしょう」


「承知! 赤の戦士は、引き続き調査を続けます」


 報告をした司祭は、第三者に対して哀れだと考えたことはなかった。ただ命令を忠実により早く、正確にできることをいつも考えていた。


「お願いしますね。赤の戦士には、熾天使を差し向けましょう。彼らなら天使と格が違うゆえ、赤の戦士ですら屠るでしょう。もし熾天使が苦戦していましたら、すべて投入してください」


「恐れ入ります。すべて? でございますか?」


 あまりにも大胆な作戦であるため、思わず確認してしまう。


「はい、すべてです。熾天使ですらやられるようであれば、その者を倒さない限りいくらいても同じこと。ならば少しでも傷を負わせた方がよいでしょう。全滅した場合はまた考えましょう」


「承知しました」


 ひと段落したのか、舌なめずりをする閣下と呼ばれる男は、胡乱な視線を向けてくる。


「後ろを向きなさい……」


 この時司祭と呼ばれる男は、自分に向けられている目線の意味を直感的理解したと同時に危機に陥る。


「閣下……。お許しを……」


 報告にきた男は必死に頭を下げる。決してズボンを下げるのではない。

 今は頭を下げるしかできないからだ。

 

 必死な祈りが通じたのか、妙な覇気は消えていくのを感じた。

 過去何人も犠牲になったと聞き及んでおり、この司祭もついに順番が来たと恐れ慄いた。


「冗談……よ、下がってよい」


「承知」


 必死さに満足したのか、この場から離れることを許諾されて、安堵の表情1つ見せず一目散に走り去る。


 もちろん最低限の退出時の礼は欠かさずにだ。

 

「ふぅ……。人の心は、難しいものね」

 

 閣下と呼ばれる男は、月明かりに照らされた机を見る。

 一枚の似顔絵があり、描かれているのは黒目黒髪の成人したばかりに見える少年の絵があった。


「おかしいですね。書かれている内容通りならにしか見えないですね」


 男がすでに掴んでいる情報はかなり、精緻な物だった。

 ただし市井に出回っている情報はいずれもと呼ばれる情報しかなかった。


 強くなったのは最近でもあるし、姿を目撃されても当人だと気が付かれないようにしていたから、今でも無能で通っている。


 だからこそ、敵対する者からすると謎ばかりで、もしや超人か超越者かと大きな誤解を生み出す要因にもなっている。


 どちらに転がっても、当人にとっては有利にしか働かない。


 当然そのようなことを知る由もない閣下と呼ばれる男は、見聞きする情報だけだと余計に慎重になりざるを得ない。


「さて、天使と魔獣の補給は、どうしましょうかね……」


 想定以上に、前回の襲撃では消耗してしまったのだ。

 まさか町で、あれほどまでの者が出るなど、完全に想定外でもあった。

 赤の戦士と市井では呼ばれている者が、一刀両断をして瞬く間の内にすべて殲滅したと聞く。

 どちらかというと、蹂躙したという方が正しいと言えるぐらいの戦闘だった様子なのは、伝わっている。


 さらについ先日は天使部屋に誰かが侵入し、天使が大量に惨殺されたと聞く。

 もはやこうなると、内部の者の裏切りを疑う方が早い。


 今回はある程度情報を出して、熾天使どもに赤の戦士を相手させて、関係者をいぶり出すのが先決だ。

 

 赤の戦士を抑えたとしても裏切り者がいれば、また同じことの繰り返しになるだけだと警戒する心持は崩せない。


 王族たちは我らが抑えている。傀儡と化した国では、ほぼ何をしても問題は起きないのだ。


「さて、何が釣れるんでしょうかね?」


 グラスに注いだワインを月明かりで透かしながら眺める。

 ワインの表面に浮かぶ月は、なんとも魅惑だ。


 窓の外を眺めながらこれから起きるであろうことを考え、ほくそ笑む。

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