第19話『やり遂げる力』

 ――脱獄者。

 

 真夜中に微笑む月は、町外れを歩く者へ道標となる月灯りを差し伸べる。


 顔には汗と涙がこびりつき、髪は乱れる。反対に表情は、頬の筋肉が脱力したまま無表情で固まったと言えるトレイシーが歩く。手には似つかわしくない斬馬刀を持ち、着る衣類はギルド受付の時と同じ制服のままでいた。


 所々引っ掛けたのか、切れたりほつれが出たりするなどして、たった数時間のはずなのに、数週間きたままで過ごしたかのように破れ汚れていた。


 人の良さそうな雰囲気は今や真逆となって、かつて”京也君”と呼んでいた名残などどこにもない。ただただ憎しみに駆り立てられた、復讐者の成れの果てを晒している。


 こうも人は変わるのだろうか。


 京也が直接手を下した訳でもなく、相手が自爆しただけである。きっかけは闇精霊だろうと他の者は気が付きようもない。なのにすべてを京也のせいにして憎むのは、ムリがあるのではないだろうか。


 どこか闇精霊のにやつきが止まらないのは、また人の何かに手心を加えたのかもしれないけども誰もそれを知らない。


 心の奥底にある怨嗟えんさが雲を呼び寄せてきたかのようだ。黒に近い灰色をした雲は月を遮り、雨をしとしとと降らせはじめた。一粒一粒の雫が体を冷やし心も凍てつかせる。


 闇精霊に道案内された場所で京也は、トレイシーがくるのを待った。せっかくの宿を台無しにされたくないのと、ギルドマスターに迷惑をかけずに”処分”したいからだ。かかった火の粉は自らの手で振り払う。そう決めていた。


 さほど時間もかからず、降り頻る雨の中で現れた。トレイシーは目を剥き出して口を横に開くと、小鼻を膨らまして歯茎を見せながら怨嗟えんさを吐く。


「お前が憎い。憎くて、憎くて憎い以外の言葉を選べない!」


 吐き出すのは怨嗟えんさだけでなく、息も白かった。


「……」


 俺の心は雨音と共に冷え切り、永遠なる闇の毒蛇どくじゃを手元に召喚した。心底どうでもよくなってきたからだ。相手には見えていないのか、闇精霊は視界の周りをうろつくとトレイシーを見てニヤついていた。


「バルザックの望みは何だと思う? はじめたことを最後までやり遂げること! 死ねぃ!」


 トレイシーは京也に飛びかかると、上段から斬馬刀を振り落とそうとする。


「逆恨みもいいところだな……」


 あまりにも大雑把な動きのため、簡単に一歩後ろに避けて空振りに終わる。振り下ろした後、ぎらついた目を京也に向けると、体勢を整えるべく後ろに下がって斬馬刀を構え直した。


 事実としてあるのは、魔族に囲まれてバルザックが自らの魔力を過剰に燃やし、すべてがダイヤモンドダストに変わった。魔力が人を食ったことがすべてだ。俺の魔力を期待していたバルザックの思い違いから悪手となり、行き詰まった。挙句の果てに、自らの命すら燃やして、相打ち覚悟で力を使ったのである。


 言い方を悪く言えば、勝手に思い込み一人で自滅した。


「憎い!」


 だからと言って説明しても、納得も理解すらも得られないだろう。わかりきったことだった。唯一の解決策は、どちらかが死ぬこと。もうトレイシーは、精神的に行き着くところまで行き着いてしまった……。


「刃を向ける以上、敵対者に容赦はしない……」


 俺はだからこそ、最終宣告をした。頭ではわかっていても心が許さないのなら、とことんまでいくしかない。


「悔しい……」


「ムダだ。泣け叫べ、くやめ。お前が選んだ選択肢だ」


「憎い!」


 トレイシーの手は、剣の柄を握る力が一段と増す。足の動きは、今まさに踏み込もうとしている寸前だ。


「好きに憎め。俺は聖人君子ではない。敵対者には死を。味方には真心を」


「死ねー!」


 狂気を抱き抱えて、目は剥き出し一気にトレイシーが迫ってきた。だが、遅い。


「いっただろ? 俺には耐久性があり効かない……」


 再び上段から振り下ろされる刃を、手で掴み止める。耐性があるからと言ってムダに受けてやるつもりは毛頭ない。現状のまま憎しみが続けば今後、活動に支障が出ることもありうる。ゆえに今、芽を摘んでおく必要がある。


「うああああー!」


 まったく敵わないことを理解したのか、よりいっそう大きな雄叫びをあげて、突っ込んでくる。大ぶりに構えた斬馬刀を、上段から振り下ろすばかりの単純な動きに終始している。


「じゃあな……」


 俺は右手に召喚した毒蛇を正面に向けると、至近距離から毒蛇を放ち喰らい尽くさせた。


 毒蛇は闇夜だと銀色の粒子まとわれて鈍く光る。その光に当たった瞬間、ほんのわずかに安堵した顔をトレイシーは浮かべた。


 次の瞬間、上半身と斬馬刀はすべて消え去り、頭皮の一部とあしだけが地面に崩れ落ちる。


「京也……。この人族は、哀れだね」


 リムルは目の前にいた敵対した者に対して、非常に強い怒りを感じていた。京也がやったのではなく魔族がやり、逆恨みで攻撃してきたのだ。リムル自身の手でくだしたい気持ちは強かった様子だ。


「そうだな……」


 俺は決めている。どれだけ親しくても刃を向けた瞬間、あるのは死だ。勘違い・間違い・うっかりなど生優しいことはあり得ないし、誰であろうと容赦はしない。呑気に構えていると反対にやられてしまい、生き残れない世の中だからだ。


 物語のできた人物ならいうだろう。誤解だよと慰めの言葉を投げかけるだろう。立ち直りの機会を与えたりもするだろう。


 現実は甘くない。ヤルと決めた人間を止めることは誰にもできないし、止める意思が本人になければ相手の言葉や行動や態度はただの風だ。一度向けられた憎しみを解こうなど、悠長なことを言っていたら命がいくつあっても足りない。


 だから刃を向けた時点で、どちらか死ぬまでだ。


 すると暗雲とした空はトレイシーだったかのように、突然雲が消えさり月明かりは京也たちを照らした。夜道を照らす中、知る人影がゆっくりと近づいてくる。


「京……」


 俺の名を呼ぶ鉄仮面の表情は、窺い知れない。


「――敵対した。ただそれだけだ」


 俺は率直に答えた。


「そうかもな……。いくか?」


 鉄仮面はすでに大臣のアジトを掴んでいたんだろう。俺はこのまま向かおうと考えていた矢先だった。


「ああもちろんさ。俺がやっちまった後にいうのも変だけどな。敵討ちにでもいくさ」


「私も行こう」


「なぜと、聞いても?」


 京也は唐突に現れた鉄仮面を怪訝に伺う。今回にしてもあまりにもタイミングが良すぎたからだ。恐らくはトレイシーを追跡していたのだろう。かといって京也を咎めることも今し方のことも聞こうともしない。


「私も魔族たちには思うところがある。それだけだ」


 どこか悲しみを多く見てきたような、胸の内の叫びで耳が震えるような気がした。ただの思い込みと言えばそうかもしれない。どうしてなのか、悲痛を感じ取ってしまった時にどういうわけか、バルザックの言葉を思い出した。


「はじめたことを最後までやり遂げる。やり遂げる力か……」


「なんだ? どうした突然?」


「ああ。バルザックの言っていた言葉らしいな」


「なるほどな……」


 鉄仮面は、京也の次の言葉を待っているかのようだった。京也のことを気にかける理由は、何かまだわからない。


「正直なところ、唐突に声をかけられて数時間同行しただけだ。有能で有名であろうと俺は知らないし、興味もない」


「ああ。ごく自然な考え方だ。ダンジョンでのことなんて、程度問題だろう?」


 鉄仮面はいつになく親しみを感じさせるばかりか、共感もしてくれた。何か裏でもあるのかと勘繰りそうになる。


「唯一気にしていたことは、見殺しになってしまったことだけだ。……今はもう違う」


「何か変わったことでも?」


「見殺しにした。それだけだ。訳があろうと無かろうと関係ない。すべて行き着いた結果だ」


 俺は今回、明確に認める決心をした。心のどこかで認められていないからこそ、思い悩むことがあったかもしれない。

 俺にはもともとやり遂げたい目標があった。だから、足踏みしているわけにもいかない。


「それで……?」


「俺はダンジョンをすべて制覇したいんだ。だから、寄り道している暇はない。ただ降りかかった火の粉だけは払わないとな」


 まずは目先の災難のもとは叩き折る。殲滅することで、俺自身も気持ちの踏ん切りがつくはずだと、俺が俺自身を鼓舞した。


 それに勇者の足取りを追うと同時にダンジョンを制覇していくことで、西の最果ての地へ向かおうと考えていた。

 

 あの”外界の民”と呼ばれる者たちのいた場所で何か手がかりがあるやもしれないとまだ心のどこかで期待する俺がいた。

 その場所はとても積もなく強い魔獣がいると聞く以上、俺自身が強くなければ探索もできない。ゆえに方法の手段を問わず俺は強くなる必要がある。


「ダンジョン制覇か……。達成した先には、何があるんだ?」


「もちろんあるさ。無能と呼ばれた俺でも制覇者の力ではばたき、神が殴れることを証明したい」


「神を?」


「ああそうだ」


「なぜ神なんだ?」


「世界を作り出した者だからかもな。神が与えた翼でなく、俺の翼で凌駕してやる」


「そいつは、傑作だな。まさに”無能の翼”だな」


「いい響きだなそれは。――誰のためでもない。俺だけのために動く俺の翼だ」


「ああ、それでいい。本来の君に戻ってきたようだね……。おかえり、京」


「ただいまといっておいた方がいいかな?」


「ハハハ。そうだね」


 不思議といつもの調子に戻ってきた気がしたのは、京也だけではなかった。様子を見ていたリムルも、いつもの京也へ戻ったことに安堵していた。反面、闇精霊は少し不機嫌な表情をしている。


「タイミングが良すぎる女だから、気をつけた方がいいかもね。何か起きるかもよ? イヒヒヒ」


 闇精霊は、どこか含み笑いをするかのような表情が続く。


「忠告ありがとな。何かあったとしても、協力はしてくれるんだろ?」


「そうね。時と場合によるかな? イヒヒヒ」


「とりあえず、期待させてもらうよ……」


 闇精霊は何か気になるのかしきりに鉄仮面のアリッサの周りをまとわりつくように回っている。まったく気が付かない様子なので、見ている側がヒヤヒヤしてしまう。


 京也と鉄仮面は、目くばせをしながら互いに道を歩む。向かう方向は当然同じだった。目先に見えてくる巨大な倉庫街が見えてきた。


「仮面女イカれてやがるな。一緒にいて大丈夫なの?」


 闇精霊は横から覗き込むように、ふわりと宙を舞うと顔を近づける。いつものやり方だ。何かを察知しのだろうか今は大して気にも止めていなかった。


「ああ。大丈夫だ問題ない」


「ふ〜んそうなんだ。京也もしかして、仮面女のこと好き?」


 何を言い出すのかと思えば、一瞬吹き出しそうになる。


「今のところ、信頼はできると考えている。言動からだけどな」


「そう……。ならいいわ。イヒヒヒ」


「おいおいまた、魔力を暴力的に高めるのは止めてくれよ?」


「あら? 何でそう思うのかしら?」


「前もそうだっただろう? 妙に他人を気にしたあと、魔力を高めた。今回も似ていると思ったからだよ」


「へーよく見ているのね。嬉しいわ」


 どこかからかうようにしてはぐらかすと突然、倉庫街の一点を見つめ出した。宙に浮いたまま、考えているのか悶絶していのかわからないような動作で、何か口にでかかっている。


「どうした? 腹でも痛いのか?」


「なっ! そんなわけないでしょ?」


「ん? じゃあどうしたんだ?」


「もう……。なんというのか、魔族とは違う何かの力があるのよね。近い物で言うと糸みたいものが、遠くからつながっているように見えるのは何かしら?」


「何とはいってもな……。俺じゃ見えないしな。”糸”がそんなに気になるのか?」


「ええ。そうよ? いわゆる繋がりみたいな物かな。そのうち君も好むと好まざるとわかるようになるわ」


「だとすると俺とお前にもあるのか?」


「あら? 私のあなたに対する深い愛を試しているのかしら?」


「もちろんだ」


「そう……。この”糸”は、種族を超えたつながりを示すわ。でもそれは最初の一歩よ」


「一歩?」


「ええ。本当のつながりというのは、同じオーラで包まれている状態になるわ。私と京也のようにね。まだ、見えないだろうけど……」

 

 俺に伝えると闇精霊は、やけに見えるらしい”糸”とやらに、遠くを見るようにして訝し気に眺めている。


「俺には見えない糸がもしかすると、何か変な物とつながっているのか?」


 いつまでも闇精霊との関係の話をするより、次の話を促した。

 

「うーん。まだわからないけど……。近くに行けばわかるかも?」


「ならば問題ないな。今から奴に近づくぞ」


 鉄仮面と俺とリムルは、奴らが根城にしている倉庫街へと足を運んだ。

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