幼き離れの主

第4話 懐かしい再会


 街へ来た兼悟が緑光薬舗で玄家の薬や茶を受け取り外へ出ると、懐かしい人を見かけた。こちらへ向かって歩いてくる様子は、昔のままである。


〈あれは間違いなく静さんだ。〉

近付いて来るその女に駆け寄り、兼悟は声をかけた。


「静さん。お久しぶりでございます。お懐かしゅうございます。」


不意に声をかけられ驚いた様子の女も、兼悟の顔をじっと見つめ次第に笑みを浮かべると

「まぁ、兼悟ね。なんて偶然でしょう。この七年、一度も会わなかったのに。こんな日に薬舗の前で会うなんて。」

と兼悟の腕を叩いた。


「やはり、静さんだった。懐かしい面影の方が見えたと驚きましたよ。ですが、こんな日にとは・・・?」


「嫌だ、兼悟。忘れてしまったの? 今日は大奥様のお誕生日よ。亡くなってからは皆、命日ばかりを気にするから忘れてしまったのね。毎年、藤の香が漂い出すとちゃんと思い出すのよ。

 だから今日は、大奥様の大好きだった‘胡桃の焼き菓子’と‘よもぎ羹’を買いに来たの。」


「あぁ、そうでしたか。確かに。今日は大奥様のお誕生日ですね。そうか。ならば私も若様に、胡桃の焼き菓子とよもぎ羹を買って帰りましょう。」

「えぇ、それがいいわ。では兼悟、一緒に参りましょう。若様はお元気?」


二人は菓子店へ向かう道すがら息を弾ませて話している。


「大奥様が亡くなられてすぐ静さんは屋敷を離れられましたが、今はどちらに?」

静は、春鸞の母、玄家の大奥様の侍女だった。とても誠実で気風が善く皆に慕われた侍女頭で、屋敷の裏方の要でもあった。


「あれからすぐ、山麓の永慶寺にある別荘に越したの。あの別荘は、大奥様の好きな場所だったから。お一人で静かに過ごしたい時はいつも、あの別荘で寝起きし寺で経を唱えていらしたわ。」


「そうでしたか。あの別荘も今は喜んでいるでしょうね。屋敷は人が住まなくなると途端に痛み始めるといいますからね。寺の小坊主たちが手入れをしてくれているとはいえ、毎日住んでもらうのとは喜びが違うでしょうね。しかも馴染みの静さんが住んでくれるなんて。」


「まぁ、兼悟ったら。若様みたいな事を言うのね。屋敷が喜んでいるだなんて。若様はよく、そんな慈愛のある物言いをされていたわね。」

静の言葉に兼悟は照れた。


「いや・・・ 長いこと若様とご一緒しているので似てきたのでしょうか? ですが、とても若様には及びません。」

頭をかいて笑っている。その様子に静も目を細めて笑った。


 ひとしきり笑うと兼悟は、思い出したように言った。


「そうだ静さん。もう一度、玄家の離れに戻って頂けないでしょうか? その・・・ 若様が人をお探しなのです。」

「若様が人を? なぜ今頃になって離れに?」

兼悟の突然の打診に静は驚いた。


「それが先日、街へご一緒した時に薬舗の前で、ある幼い姉弟を見かけたのです。その姉の方が何とも賢くて優しく人の心の奥が分かる娘でして、若様がいたく気にかけていらっしゃるのです。

 その薬舗からの帰りには、若様は後ろ手に組み空を見上げて歩かれていたのですよ。」

兼悟は嬉しそうに話した。


「まぁ、若様が? そのように歩かれたの?」


「えぇ、そうなんです。私もあんなお姿は久しぶりに見ました。しかも、その姉の方を屋敷に引き取りたいと仰ったので、私が考え離れの管理者という名目でと提案してそのようになさると仰ったのです。」


「あら、まぁ。離れには若奥様でさえ立ち入らせなかったのに。その幼い娘がよほど心に響いたのね。若様が後ろ手に空を見上げて歩くなんて。」


「そうなんです。よほど嬉しかったのだと思います。しかも、それからすぐに薬舗から聞いた娘の村へ行き、両親に玄家で引き取りたいと申し出たのです。その時に若様は、娘を‘君’と呼んで優しく頭を撫でたのですよ。」

兼悟は目を見開いて言った。


「まぁ、大変。それは一大事だわ。本当にその娘が気に入ったのね。」

「えぇ、おそらく。若様は、その癖に気付いてはおられないでしょうけど。」


「えぇ、えぇ。若様は子供の頃からそうでした。飼っていたリスにも玩具の鳩車にも、特別にお気に入りの物は‘君’と呼んで撫でていたわ。」

「そうなのですよ。若様にはその癖があります。私も子供の頃、時々頭を撫でられました。」

兼悟は、昔に若様がしてくれたように自分の頭を撫でて見せデレデレと笑っている。


「もう、今はそんな事を想い出して喜んでいる場合じゃないでしょ。それは一大事よ。だって、若奥様にはそんなふうに接している姿を見た事がなかったわよ。」


「えぇ。若様は、奥様を大事に慈しんでいらっしゃいますが、一度も君と呼んだのを聞いた事がありませんし、頭を撫でているのをお見かけした事もございません。」

「そう・・・ 私もご婚礼の時からしばらくを知っているけれど、一度も見かけた事がないわ。大変よ。そんな娘が離れに来たら。」


「ですからぜひ、静さんに戻って来て頂き、その娘を守って頂きたいのです。そうすれば私も安心です。若様の幸せの為に、どうかお願いできないでしょうか?」

兼悟は、ここぞと真顔で頼み深々と頭を下げた。



 しばらく黙って考え込んでいる様子の静だったが、


「分かったわ、兼悟。若様に伝えて。私がお世話係で離れに参りますと。それから、今の若様の癖の話は秘密よ。いいわね。永慶寺の別荘を片付けてから行くから、五日ほど待ってちょうだい。必ず行くから。」

静は意を定め、笑顔を見せた。


「よかった。ありがとうございます。静さんが来てくれるのなら、私は心強い。また一緒に、若様と玄家の為によろしくお願いします。」


二人は固く手を握り合って、互いの決意を確かめ合った。そして、大奥様が大好きだった胡桃の焼き菓子とよもぎ羹を買って別れた。



 静さんという同士を得てとても心強くなった兼悟は、足早に歩き屋敷に戻ると急いで若様を探した。そして、庭にいる若様を見つけると駆け寄って行った。


「若様。今日が何の日か知っていますか?」


含みのある笑顔で兼悟は聞いてみた。ぽかんとした春鸞は、しばらく考えた後に


「あぁ、今日は母上の誕生日だ。そうだろう?」

と得意気に答えて見せた。


「えぇ、その通りです。すぐに分っちゃいましたね。」

満面の笑みで兼悟が言う。


「どうした? いつもなら悔しがるところであろう? 私に当てられて悔しくないのか?」

「はははっ。今日はちっとも悔しくありません。今は喜びで一杯ですから。」

兼悟が呆けたように満たされた笑顔で話す。いつもと違う様子の兼悟に春鸞は慌てた。


「どうした? 兼悟。何があった? 兼悟、すぐに話してみろ。」


「まぁ、まぁ。まずはこれを。大奥様が好きだった胡桃の焼き菓子とよもぎ羹です。お茶も淹れましょうか。実はね、薬舗の帰りに街で静さんに会ったのですよ。」


「なんだって。静さんに? あの静さんか? 母上の侍女の? それでどうした?」


「今日が大奥様の誕生日だって教えてくれまして。それでこのお菓子を買いに行ったんです。それから、若様が離れの世話役を探している事をご相談したら、静さんが来てくれる事になったんです。」


「誠か? 本当に静さんが離れに来てくれるのか? それは心強い。」

「えぇ、本当です。しかも、静さんがこの七年、何処に居られたと思います? 永慶寺の大奥様の別荘ですよ。そこを大事に使い守ってくださっていたのです。」


「あぁ、なんという事だ。有り難い。静さんは本当に母上の事を大事に想ってくれていたのだな。その静さんが離れに来て、あの娘と一緒に住んでくれるのなら何の心配もない。

 一度に幾つもの難題が解決したようだ。兼悟、でかしたぞ。よくやった。」


「いえいえ、若様。きっと大奥様のお導きです。なんて言ったって今日、静さんに七年ぶりに会えたのですから。これも若様が、大奥様が大事にされていた離れを再び手入れしようとなされたからです。」


「そうか・・・ そうだな。母上のお導きかもしれないなぁ。有り難い。よし、兼悟。一緒にこの焼き菓子を食べよう。あぁ、少し母上にもお供えして。」


 二人は満面の笑みで大奥様の位牌へと向かった。廊下を行く春鸞は、後ろ手に天を見上げて歩いている。













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