応援コメント

第44話   リヤカー」への応援コメント

  • リヤカーと

    大八車

    ともに死語





    げん😃

    作者からの返信

    お目にかかりたければ、時代劇や古い映画をご覧あれ~、っていうようになりましたね。
    あまりものを知らない次男は、リヤカーは辛うじて知ってますが、大八車となると知りません。
    時代劇は全く見ないですから、無理ないかと思ってます。

  • そう言えば。
    ネコに水もらっていいですかぁ、ってニッカボッカのオジさんがきて、ゴツい人だけど猫の好きな人なんだなぁ、なんて暖かな気持ちになってたら一輪車にセメント用の水を汲んでいて、あれネコって言うんだと知った夏の日を思い出しました。

    作者からの返信

    工事用の一輪車がネコとよばれるなど初めて知りました。
    何かを知ると嬉しくなる浅学ローバは、早速スマホで調べてみました。
    8つばかり説があるとかで、な~るほどと思いました。(喜んでいます)
    そのネコは自分で触ってみたこともないですが、見ていると本当にバランスをとるのに難しそうですね。
    **(あはは、おバカなローバは一瞬、一輪車にお婆さんを乗せた自分の姿が頭に浮かびました。ばっかじゃね・・自分一人で笑って喜んで・・ バカ!です止まりそうにない)
    関川さんには怒られそうにないと、ローバは調子に乗り過ぎています🙇🙇 
    ふまじめな返信で申し訳ありません。おバカなおばあさんより

  • ローバさま おはようございます。

    ここで書くのも何なんですが、先日私が唯一真面目に書いた短編にお★さまをありがとうございました。

    私も浅草付近で人力車を見ましたが、お兄さん達が日に焼けて、真っ黒を通り越してドス黒くなって汗びっしょりになってお客さんを乗せていました。

    見てて可哀想だとも思いましたが、お客さんを乗せないと多分歩合制ですよね? でもこんな猛暑じゃ倒れちゃうよ! と複雑な気持ちになりました。

    ローバさまも、まだまだ暑い日が続いているのでお身体ご自愛くださいませ。

    作者からの返信

    桜蘭舞さま こんにちは
    「唯一真面目に書いた作品」だそうで。そうなんですか?
    とても心をうたれる作品で、ジーンとくるものがありました。
    私は保護犬を引き取ってくれる人にすごく敬意を表してます。
    そして大切に育てて最期を看取ってくれるなんて、とても生半可な気持ちでは出来ない事だと感激しています。
    犬を見かけただけで心臓がドキンとしてしまうローバには、信じられない「ど
    偉い人」と頭が下がります。
    犬が苦手と言う人にはぜひ読んでほしい作品だと思います。

    あ、人力車の話でしたね。まだまだ暑い日は続きそうですから大変です。
    歩合制? だったら頑張るしかない、かな。
    ローバは何とか元気に過ごしております。お気遣いに感謝しています。

  • リヤカーもちろん知ってますとも。
    あんな大きな物で人を乗せて運んだローバ様、すごいですね。
    その仕事をローバ様に任せたお母さんもご立派です。
    困った人を放って置けないこと、子供への信頼、感動いたしました。

    私は田舎育ちです。子供会の廃品回収はリヤカーでした。
    一台のリヤカーを六人くらいで交替で引き、村内一軒一軒回りました。
    懐かしいです( ; ; ) さらに、引越しはリヤカーでした。

    農家さんの仕事は一輪車とリヤカーが活躍しますね。
    セロリ畑の収穫手伝いをやってたのですが、コツがいるなぁって思いました。

    素敵なエピソードありがとうございます。

    作者からの返信

    母は私に対して少々過保護気味でした。
    危険な遊びに参加しないようにとか、おませになると困るからと〇ちゃんからなるべく遠ざけたいと思案したり・・
    そんな母でしたが、近所に駆け落ちしてきた夫婦をそっと支援してあげたりしていました。
    亡くなった時、母に世話になったと言う人が何人もいて、姉はびっくりしたそうです。
    そんな母だったのでお婆さんを放っておけなかったのでしょう。
    へなちょこな私でも行け!と送り出したのかも知れません。
    痩せっぽの私はリヤカーにヒョイと持ち上げられそうになりましたが、すぐにコツを掴みました。
    腰を落として重心を低くし、相撲の押し出しの要領で進みました。
    長兄が遊びで相撲の訓練をしてくれてたのが役立ちました。
    母は女の子に相撲なんかと嫌がりましたが、こんなところで成果を示してくれるとは・・
    ハナスさんもセロリ畑のお手伝いの経験は、きっと何処かで役立つことでしょう。
    コメントありがとうございました。とても嬉しかったです。

  • ローバちゃん、おはようございます😊

    リヤカー、私の子供の頃にも当然ありました。
    昔は我が家に車もなかったので、物を運ぶのはすべてリヤカーでした。
    私はリヤカーを押して一人でどこかへ運んだことはないのできみちゃんの話を聞いてよくぞ頑張ったと褒めてあげたいです!
    平坦な道でも遠くまで行くのは大変ですが坂を登るとなると、それはもうクタクタになりますね。
    おまけに暑い日となるとグッタリですね。
    昭和のしんどかった思い出!
    今では懐かしいですね。

    今では我が家は一輪車で荷物を運んでいます。
    これも遠くまで運ぶのは楽ではないですけど。
    やっぱ、車が楽ですね。

    作者からの返信

    のこちゃん、こんにちは
    何でも親がかりで、例えば中学生時代は私服(後半からセーラー服に)だったので、朝枕元に着て行く服が置いてくれてあるというような、そんな甘っちょろい子だった私でした。
    車夫きみちゃんは、そんな私からとても考えられないことですよね。
    今の私が彼女に逢えたなら、ホントによくやったね、偉いぞといってやりたいです。笑
    何で引き受けたのか、何で出来たのか、とても不思議です。
    人生で一番頑張ったんじゃないか、なんて自分のこと乍ら思い出すとジーンとしちゃいます。

    **話はちょっと違いますが、先ほど24時間テレビで哲代おばあちゃんが紹介されていましたが、のこちゃんがいつぞや紹介して下さったおばあちゃんですよね?
    お元気で働き者で、人の為に優しく、ユーモアたっぷりで・・と、ホントに人生の目標としたい方だと思いました。

  • リヤカーですか。残念ながらド田舎で暮らしていたにもかかわらず、記憶にございません。リヤカーも買えない貧乏集落だったのか?(´;ω;`)ウゥゥ (笑)
    それでも、ネコ車(一輪車)は、農家なら各家庭には必需品でしたね。野菜を運んでいた覚えがあります。あれは結構中腰になるから、距離があると辛いんですよ。
    それにしても中二と言えば思春期や反抗期の中で、よくぞお年寄りをリヤカー乗せて運んでいきましたね。素晴らしい~。当時から人に優しくされていたのでしょう。
    きみちゃん、お疲れさまでした。(*^^*)

    作者からの返信

    甲斐さん今晩は コメントありがとうございます。

    いきがかりじょうかも知れませんが、送って行かなきゃという気持ちが湧いたんでしょうね。
    あの時は心配な筈なのに、母も行ってやれという感じでした。
    それだけお婆さんに切羽詰まったものがあったのでしょう。

    う~んと後になってですけど、「義を見てせざるは勇無きなり」って言葉が好きになったのも、こんな経験をしたっていう自負みたいなものが芽生えたからかも知れません。
    甘っちょろい性格だったのにな、と少しばかり自信が持てるようになれたので良かったと思っています。
    ヒョロヒョロでもできる!と弱虫さんに言ってあげたいと、お節介なおばあさんがちょっぴり胸をはっています。

    **甲斐さん、前回いただいた甲斐さんのコメントに今も感激しています。
    兄夫婦のジロー(愛犬)への愛情と同じでしたので、感動でホロリときてしまっています。


  • 編集済

    覚えていますよ。
    耕運機でリヤカーを牽引するヤツ
    小型特殊免許で公道を走ることが出来たんですよね。お米やジャガイモと一緒に耕運機に揺られて。なんと昭和はのどかな時代だったんでしょう。

    電話は三軒に1台、町内は有線放送電話で連絡するので田舎は2台ありました。(有線放送電話は農協、農村集落電話は電電公社で、ウチの田舎は有線放送電話でした)
    電話が掛かってくると、有線電話でその家に電話をかけて呼び出します。
    今から考えると、ものすごいシステムですよね(笑)

    作者からの返信

    有線放送で呼び出すという方法は、私の時代なら画期的かも知れません。
    そもそも町内に有線放送なるものがありませんでしたから、呼びに遠くまで出かけなければなりませんでした。

    なにしろ私の子供の頃の昔は、電話はまず交換手に電話したい相手の家の番号を伝えると、交換手が相手の家に〇〇町何番のXXさんからですと伝えて始めて両家の電話が繋がり話が出来ました。
    この電話を繋げる交換手を2人の姉がやっておりました。蛇足ですが🙇🙇
    因みにですが、高給取りだったので、田舎では当時の女性の花形職業でした。
    色々と思い出すと、若い人にはへ~ぇ、と言われることばかりです。
    皆さんに聞いていただけて嬉しいです。

  • それは大変でした。
    小さい体で重たいリヤカーをよく引いていかれました。
    よく頑張りましたね。

    リヤカー、子とものとき廃品回収のオジサンが引いていたのを見た記憶があります。
    そういえば最近見かけませんね。

    作者からの返信

    のほほんとした子でしたから、こんな大変な思いをしたことがありませんでした。
    ほんとに今あの頃の私に逢えたなら、う~んと褒めてあげたいです。
    あれは私にとって本当に「汗と涙の物語」でした。

    思えばそうですねぇ、廃品回収にはもってこいの車ですね。
    でもそれも今では軽トラになっていますね。
    つむぎさんの農作業の相棒も車ですものね。
    リヤカーの時代だったらどうでしょう。
    農家さんのご苦労は今の100倍でしたでしょうね。
    今は本当にいい時代ですよね。

  • おはようございます。

    リアカーに何かを乗せて引いた記憶はありませんが、遊んだことはあります。
    母親の実家にそれがあって、親戚の子供だけでそれを引いて遊ぶんですよ。
    今でいえばいいオモチャなんでしょう。

    私は一番小さかったので後ろに乗せてもらって楽をするんですが、
    行き先がヤギのいるところ。
    そこにはいかないというので乗るんですが、結局はそこへ行って、
    最後はリアカーを反転させてヤギの方に私が接近するという。

    今はなんてことはないですが、あの頃は泣くほど怖かったです。
    それも今ではいい思い出ですね。(笑

    作者からの返信

    よく近所では男の子たちが仲間をたくさん載せて、猛スピードで走り回って遊んでいました。
    お手伝いで経験のある子がいましたからお手のものだったんでしょう。バス通りだってどこだって平気でした。
    引手の部分に一人が座って、荷台に次々と人が乗ると持ち上がるのが面白くて、シーソーみたいに遊んでいる子もいました。
    何もない時代でしたから、色んな事で楽しく遊んでいました。いい時代でした。

    ちびゴリさんのヤギのエピソードは、とっても楽しくって可愛いくってキュンです。
    私はヤギは近くにいませんでしたけど、ブタを見に行くのがとても楽しみでした。
    孫に話すと、ブタがブタを・・と大笑いします。
    当時はやせっぽだったのに・・信じてもらえません。😅

  • >海は凪いでいて遠くにヨットの帆が幾つか見え、楽しそうに泳いでいる人達も見えた。風はそよとも吹かないし強さを増した太陽で頭も暑く、流れる汗が目に沁みてぼうっとしだした。

    情景が目に浮かぶようです。
    しかし大変でしたね。リヤカー、知ってはいますが引く機会は今までありませんでした。

    作者からの返信

    書きながらどんどん景色が浮かんできました。
    勇んで出かけたものの、次第に情けないいつもの私になったことが蘇り、汗と涙でぼーっと見えた景色でした。
    情景が浮かぶようだと言って頂けたのは、きっと情けなく恨めしかった気持ちが何十年目かで、ここで吐露されたからかも知れません。

    編集済
  • リヤカーの大変な思い出に……つい「きみちゃんがんばれ!」と無事に着きますように応援してしまいました。クタクタだったでしょうね……ほんとに……よく頑張ったね!とその時いたら言ってあげたいです(T_T)

    ちなみに現在の折りたたみのリヤカー、きっと昔よりぜんぜん軽いのでしょうが、荷物を乗せると重かったです。普段から鍛えておかないとひけないかも……(・_・;)

    作者からの返信

    カエデネコさん
    今はドラマなどで人生の何週目とかいうのが流行っているようですが、もし私があの時2週目のきみちゃんであれたら、お転婆さんで面倒見のいいボーイッシュなきみちゃんで、泣きべそかかずに送り届けてあげられたのに、と思います。

    可愛いボクちゃんはどうでしょう。
    乗り物が大好きで詳しいでしょうが、きっとリヤカーは知らないでしょうね。
    教えてあげたいなぁ、へ~ぇ、人が引っ張るのぉなんて、聞こえてきそうで嬉しいな。
        酷暑のせいでただいま妄想中のお婆さんです。

  •  凄い大冒険でした!

     頑張りましたねぇ。今では考えられない、異世界のお話のようです。リアカーって轢くのにコツが、いるんですよねぇ

    作者からの返信

    初めての経験でしたから夢中でした。
    確かにコツは必要だと思います。
    ほんの小さい頃から兄がよく相撲をして遊んでくれていました。
    押すときには腰をうんと落として突き上げるように、などと訓練です。
    母は女の子にそんなことを教えてくれるなと困り顔でした。
    でもそんなことがけっこう役にたったかも知れません。
    坂道をあがる時、腰に力を入れて引手の先をグンと押し上げるようにしたのです。
    ま、本当に役立ったかどうかは疑問ですが、私は兄にちょっぴり感謝していました。