第42話 わかりたい

 感情が揺さぶられる。


 テトラは胸を抑えた。


 今までに経験したことのない心の動きに、彼女は戸惑った。


 昔、似たような気持ちを味わった気がする。


 しかし、思い出せない。


 テトラは、日々、無感情に生きてきた。


 何をしても心が動かない。


 表情も動かない。


 たまに心がざわつくときがある。


 しかし、それも一時的なものだ。


 だからこそ、テトラは戸惑った。


――この気持ちはなんでしょう?


 わからない。


 テトラは目の前のアランをじーっと見た。


 アランなら答えを知っているかもしれない。


「本で読みました」


 アランが驚いた顔をする。


 テトラは構わず続けた。


「人間には愛情があるものだと。でも私には愛がなんなのかわかりません」


 ここ数年間、テトラはいろいろな書物を読み漁り、知識を深めていった。


 人の気持ちについてもたくさん調べた。


 感情の中に「愛情」というものがあると知った。


 しかし、わからなかった。


 わからなくていいと思っていた。


 でも――


「そんなの俺だってわからんよ」


 アランが苦笑いしながら答える。


「ではなぜ私を助けにきたのですか?」


「最初から言ってるだろ。お前が俺の妹だからだ。家族を助けたいと思うのは変なのか?」


「わかりません。私はそういう気持ちになったことがないので……」


 わからない。


 わからないくて良いと思っていた。


 でも、いまは無性にその正体を知りたい。


「わかりません」


「わからない、わからないって……具体的に何がわからないんだ?」


 わからないのは、自分の感情だ。


 初めての感情に、テトラは戸惑っている。


「怖いとは感じませんでした」


「は?」


「誘拐されて襲われて殺されそうになって……それでも恐怖はありませんでした」


「……」


「でも、兄様が来てから、よくわからない気持ちになりました」


「よくわからないって、なにが?」


「わかりません。それがわからないから困惑しています」


 アランが現れたとき、心が温かくなるような感じがした。


 それがどういう感情なのかは、彼女にはわからなかった。


 アランを見たときに、アランがサイモンと戦っているときに、アランといまこうして話しているときに、テトラの感情は揺れ動く。


 人生で最も感情が動いている瞬間がいまだ。


 けれど、わからなかった。


 なにが自分の感情を動かしているのか、テトラには理解できなかった。


 それが嫌だった。


「初めての気持ちです。今までには感じたことがなかったものです。この気持ちは、また味わえるのでしょうか?」


 心がざわつくのとは違う。


 この心地良い感情を、テトラはもっと味わっていたいと思った。


「兄様と一緒にいれば、この気持ちの正体がわかるのでしょうか?」


 知りたいと思った。


 わかりたいと思った。


「それがどんな気持ちかはわからん。でもまあ、俺はテトラと仲良くしたいよ」


 テトラの感情が揺れ動く。


 その感情の正体を、彼女はまだ知らない。


「……はい。わかりました」


 テトラの口角が本人も気付かないうち上がっていた。


 それは無表情の彼女が初めて笑った瞬間であった。


◇ ◇ ◇


「くっ……は……」


 サイモンは学園の地下水道で横たわっていた。


 なんとかアランから逃げることに成功したものの、その代償はあまりにも大きい。


 全身が焼けただれ、呼吸をするのもやっとな状況であった。


 そして意識はほとんど残っていない。


 カツ、カツ、カツ。


 地下水道に不釣り合いな、ヒールの音が響き渡る。


 サイモンの前に、女が現れた。


「まともに命令一つ完遂できないとは。組織・・・の末端は使い物になりませんね」


 女はサイモンを見下しながらしゃべる。


 しかし、サイモンの意識はなく、彼の耳には女の声は届いていない。


「しかし、良いものを見せてもらいました。アラン・フォード、やはりあなたは興味深いです」


 尋常ではない魔力量と無詠唱魔法、そして規格外の成長力。


 彼女は無詠唱魔法イグニッションを調べてみた。


 原理は理解できた。


 しかし、無詠唱魔法を扱うのは不可能というのが結論だった。


 魔法陣を魔法領域に詰め込むのは、圧倒的に記憶容量メモリ不足であるからだ。


 アラン・フォードには何か特別なモノがある、と女は考えている。


「あなたの体を隅々まで調べたくなってきました」


 女の目の奥がキラッと光る。


「そういえばなぜ彼はあの場所に来られたのでしょうか?」


 ふと思い出したかのように、彼女は疑問を口にする。


「情報漏洩ですかね?」


 学園には組織の人間が入り込んでいる。


 そこから情報が漏れた可能性も十分に考えられる。


「まあいいでしょう。調べればすぐにわかることです」


 たいして気にすることでもない、と女は割り切って考える。


 問題は実験体テトラを回収できなかったことである。


 しかし、テトラがなしでも最悪問題ないと考えていた。


「代わりの実験体もいることです。ちょうど良い具合に壊れているのは幸運でしたね」


 サイモンが「あ……うぅっ……」とうめき声を上げている。


「面白い資料も手に入りましたし、これがあればひとまず目標は達成できそうです」


 彼女の手には分厚いファイルが握られている。


 その表紙にはこう記載されている。




――ホムンクルス計画。

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