第5話 列車内調査、開始
この寝台特急には職員用のベッドは無い。夜の間に特定の駅で停車しスタッフが入れ替わる。その駅には仮眠室が有りスタッフが休憩したり時間を調整したりはそこで行われる。
客室や食堂車はあっても職員用のスペースが少ない理由なのだが、知識の無い2人は単純にスタッフがどこで休憩しているのか疑問に思うだけだ。
先頭車両は動力車でもあるので居住性は低く少人数の運転士が活動できるスペースしかない。2人並んで歩く広さは無いのでカオルが前、スミレが後だ。
先頭車両には常に2人以上居るので今までの傾向から事件が起きるとは考え辛い。2人が来たのも念の為だ。
予想通り運転席の扉前まで行っても特に不振な点は見つからず、専用の鍵が必要な運転席には入らず2人は引き返した。
スミレが身体を逸らしてカオルに道を開けたのでカオルも同様に身体を逸らして擦れ違い前に出る。
ここからが本番とばかりにカオルは懐からガンナックルを取り出し左手に装備した。歩きながらシリンダを開いて弾丸を装填する。
背後では同様にスミレも彼女の装備である魔導書を装備していた。腰に大きなブックホルダーを取り付けてマウントできるのでカオルよりは一般的な見た目で済む。
「先頭車両は異常無し、ですか」
「不謹慎だとは思いますが、できれば早々に出てきて欲しいですね」
もし今夜に解決してしまえば明日以降はただの旅行だ。
先頭車両から食堂車である2両目へ移動すれば厨房に2人、ホールに1人スタッフが居る。
行方不明者の状況から食堂車の調査は現状では必要無い。深夜、スタッフ入れ替えのタイミングでスタッフが軽食用のスタッフ1人になるまでは食堂車が1人になる事はない。
次に客室である3号車。
今日は男2人のサラリーマンだけだ。豪勢に1人1部屋で2部屋の客室を使用している。恐らく警戒は不要だろう。
隣の4号車はカオルとスミレが使用している。空き1部屋は考慮しなくて良い。
娯楽車両に戻れば笹貫がシェイカーを振り男性スタッフがグラスを拭いている。ビリヤード台は食堂車では見なかった男女ペアが使用している。若いが落ち着いた雰囲気の2人で見ていて恥ずかしくなるようなバカップルとは質が違う。
まだ大人なら遊ぶ時間だが、あと1ゲームもすれば部屋に戻るつもりのようだ。
男の方は入室したカオルたちに一瞬だけ視線を向けたが人外の美貌を持つ2人に何の興味も示さずゲームに戻った。
自分の連れを優先するその態度は女にも2人にも好印象だ。女の方も気分良くゲームに戻った。
遊戯車両を抜けて6両目に向かう。この車両は食堂車で見た老夫婦と息子の3人客が2部屋を使用している。隣が遊戯室でバーとしても機能しているので息子の方が遊戯車両へ移ることが有れば危険かもしれない。
7両目がビリヤードに興じていた男女が使用しており、8両目は未使用だ。
8両目は少々特殊で他車両が3部屋なのに対し2部屋になっている。最後尾が駅の休憩室のような部屋になっており背の高いベンチが置かれている。
展望室になっており、その為に8両目は他車両よりも1割安価だが不人気だ。
深夜に1人になる客が居るのはこの展望室が有るからだ。
ふとトイレに行きたくなり、そのまま軽く列車からの夜景を見てみようと思う。その足で遊戯車両や食堂車に行くのでどこかで車両に1人になる場合が出てくる。
2人は引き戸を開いて展望室に入り並んでベンチに座る。部屋に端にはインスタントのコーヒーを淹れられる器具と水道が揃っていた。
カオルが視線でスミレにコーヒーが要るか確認するとスミレも賛成する。
電気ケトルで水を温めて紙コップにインスタントコーヒーの粉末を入れてコーヒーを2杯淹れる。ベンチに戻って1つをスミレに手渡し2人で並んで口に含み、展望室の名に相応しい天井までガラス張りの夜景に目を移す。
「ありがとうございます。夜景、綺麗ですね」
「これは人が集まりそうです」
「8両目は無人になりやすいですから、ここで行方不明になった方も居るでしょうね」
「ええ。報告書だと2人は8両目で消えています」
「展望室ではなく?」
「センサーの有無で8両目に入ったところまでしか追えてないみたいです」
「なるほど」
「写真でも撮っておこう」
「同居人さんへ自慢でもするんですか?」
「ええ。インドア派だから外出させろとは言われませんけど、まあ旅の様子くらいは伝えようかと」
「お母さんみたいですね」
「保護者なのは確かですから」
先日の事件を思い出して『保護者』に皮肉を感じて思わず笑ってしまった。
スミレもカオルの皮肉気な笑みから何かあったのは察したが、喧嘩でもしたのかと思っていた。
「0時になった、か」
「食堂車は閉じたし、遊戯車両もビリヤードは遊べない時間ですね」
「各車両の照明も間接照明に切り替わりますね」
カオルが呟いて数秒で小さくボタンが押されるような音がして照明が一瞬消えたように車両内が暗くなる。直ぐに温かみのある弱い照明が徐々に光度を上げて間接照明に切り替わった。
「これはデートスポットみたいですね」
「多分カップル向けなんでしょうね」
先程までと異なり室内の照明で見え辛かった星が見えている。
今は建造物の無い平地を走っているため周囲に光源が無く都会と違い星がよく見える。
良い雰囲気の展望室のベンチの背が高いのは周囲から見え辛く家族や恋人だけの空間を演出するためなのだろう。
2人は10秒にも満たない間だけ黙って星空を眺め、同時にコーヒーを飲み干した。
「行きましょう」
「はい。後衛は任せてください」
立ち上がり、紙コップをゴミ箱に入れて展望室を出る。
カオルは左手にガンナックルを握り直し、スミレは本を手に取り戦闘態勢を整える。
装備は目立つ事を嫌って私服のままだ。下手に乗客と鉢合わせしても私服なら武器を背後に隠して言い訳が出来る。
人気の無い車内を違和感のない程度に遅めに歩く。
被害者は1人になったところで行方不明になっているので車両を移動する際にはカオルが先に1人で車両に踏み込み、数秒遅れてスミレが合流する。
そのまま動力車に到達してしまい緊張からの脱力感で溜息を吐く。
「お疲れ様です。異常は無かったようですね」
事情を知っているスタッフが未開封のペットボトルが手渡された。
小さく笑みを浮かべてお礼を言うと絶世の美女2人の笑みに顔を赤くされてしまう。
カオルとしては男に笑顔を向けて顔を赤くされると気色悪いがスミレとしては悪くない。しかし別に好きでもない相手からなので単純に優越感を得るだけだ。
ラフな仕草で2本受け取ったカオルが背後のスミレにバケツリレーのようにボトルを渡す。
通路が狭くスミレが直接受け取るのは動き辛いからなのだがスタッフは明らかに落胆している。
隠そうと努力したようだが2人の笑みに呆けたせいで気が抜けていたようだ。
「やっぱり単独じゃないとダメか」
「そのようですね。もう1周します?」
「そうですね。展望室まで行って、何も無ければスタッフの入れ替えまで待ちましょうか」
「ふふ、分かりました」
水で喉を軽く潤しながら方針を相談し2人は食堂車へ戻る。
接客用のスタッフがまだ多い時間、恐らくまだ遭遇する事は無いだろうと見込んでの作戦だ。
予想通り展望室まで行っても何も起きないので2人は展望室の椅子で休憩とする事にした。
先頭車両から途中の自室に寄って時間潰しにスミレは文庫本を持って来ている。
カオルは電子書籍派なのでスマートフォンを取り出し読み掛けのライトノベルを開く。
自前の小説に目を通しながらスミレが雑談を始めた。
「カオルさんは普段はどんな本を読まれるんです?」
「ラノベか漫画が多いですね。スミレさんは?」
「乱読派なもので特別ジャンルは拘らないですね。続き物なのに1巻しか読んだ事が無いのも多いです」
「それは意外ですね」
「見た目だけなら文学小説を読むように見えますか?」
「まあ見た目だけなら」
「カオルさんは小説より少女漫画やバトル漫画を読みそうですね」
「実はどっちも偶にしか読まない」
「ふふ、私も文学小説を読むのは稀です」
「見た目って当てになりませんね」
「ええ、本当に」
それから2人は無言になり、スミレが本を捲る音と、カオルがコーヒーを啜る音がするだけの静かな空間になる。
特に気まずさも無く無言のまま深夜1時、スミレが再び口を開く。
「カオルさんは、本当に男性なのですか?」
「……ええ」
「聞かれない限りわざわざ言わないのは何故です?」
「周囲が変に騒ぐでしょう。騒がしいの、嫌いなんです」
「騒ぐでしょうね。特に女性たちが大きく騒ぎそうです」
「女性の社会進出に女性アバターで貢献してしまったのも悪かった」
「そうですね。隔離都市計画、カオルさんが政府や未帰還者を説得する事で成立し、同時にその活動が女性の社会進出を促進しましたものね」
「隔離都市の建造は地方再生と雇用確保、人間と未帰還者を分ける事で差別や人権問題が表面化し辛くする為の計画でした」
「その具体的な提案と調整を行ったのがカオルさんだった事で女性の労働人口も役職者も飛躍的に増えましたね」
「今、カオルという未帰還者が男性だと世間に大々的に公表されれば『男性の未帰還者が頑張った』という評価に変わってしまう」
「そして折角の女性の社会進出に水を差してしまう」
「それはそれで良くない流れでしょう? ただでさえ日本は先進国の中では異常に女性差別が残った国と言われてます。男性プレイヤーの多い未帰還者が労働人口から居なくなったのに女性の役職者の比率が元に戻れば、元々低い日本の生産性が人材不足で更に下がってしまう」
「女性の役職者が増えたと言っても待遇などの実態についてはこれからが本番でしょうしね」
「性別の記入が必要な書類が無いのは本当に助かりました。まあ、隔離都市計画の際に排除したんですが」
「カオルさん以外にも男女の区別が無い方が未帰還者にとっては都合が良さそうですものね」
「ええ。アメリカの履歴書には写真も性別も記述欄が在ってはいけないので、それを引き合いに説得しましたね」
「『感情で発展を阻害する老害共は黙っていろ!』は痛快でしたね」
「……忘れてください」
「数年後には何かの教科書に載りそうですけどね」
「……マスコミ締め出しておけば良かった」
「あの発言がテレビでもネットでも生放送されたから世論が動いたのでしょう」
「まあ、確かにあの後に通したい要望が通しやすくなったのは確かです」
「凄かったですね、普通なら暴言なのに社会は寧ろカオルさんに総理大臣、もしくは日本を大統領制にしてカオルさんに大統領の就任を求める意見も出ましたし」
「偶々ですが雇用増加によって経済も安定しましたからね。今じゃ物価も所得も上がってラーメン1杯2000円が普通になりましたし」
「ケーキバイキングは女子高生でも8000円を払うらしいですよ」
「女子高生凄いな」
苦笑しつつ2人はコーヒーで唇を潤し一息吐く。
「これで今後はカオルさんを男性として考えられそうです」
「何故、1泊残っているこのタイミングだったんです?」
「身体は女性なのでしょう? 単にゆっくり時間を確保するのに都合が良かっただけです」
「なるほど」
これで肉体まで男性なら同室の宿泊は大変な事になる。
女性同士なら中身が男性でも間違いが起きようと限度がある。
だから最初からスミレはカオルの本来の性別がどちらでも良かったのだろう。
……軽い調子なのに考えている。
謙遜した言い回しだと感じながらカオルは時計に目をやった。
13時50分。
あと10分でスタッフが入れ替わる駅に到着だ。
「カオルさんの性別も分かったところで、そろそろ本番ですね」
「ええ。頑張っていきましょう」
10分後には電車は駅に停車する。
複数の職員が入れ替わるタイミングでは1人に成る者が出ても可笑しくない。
ここからが本番だと2人は気合いを入れて停車に合わせて探索を再開すると決めた。
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