第17話 ヒーライ
ヒーライの言う『お』ではじまるものは何か。
僕の脳内におにぎりという言葉が浮かんだ。
これはまずい。警戒せずにはいられない。
今や、不安が大半を占めるようになった。
もし、おにぎりだったら、僕は絶対に口にしない。
音楽隊がドラムロールを奏でる。場内が暗くなる。
ヒーライの周辺だけに灯りがあてられる。
たかが贈り物の紹介にヒーライのやつ、凝り過ぎだ!
暗闇からヒーライを照らす灯りにギリギリ入ったところに男が立つ。
彼は再現道化師——要人の歴史的瞬間や御言葉を忠実に再現する者。
ハイブランド・トーレビアン製の派手な衣装を身に纏っているのに、
質素な最高司祭猊下に見えてしまうから不思議だ。
「……お……おーっとその前に、ここで再現道化を披露いたします……」
場内は騒然とする。再現道化師の一挙手一投足に注目が集まる。
これは、期待してもいいのだろうか!
「まさか宮殿舞踏会の席で、最高司祭猊下の御言葉が聞けるなんて!」
「素晴らしい、素晴らしいぞ!」
「一体、どんな御言葉なんだ?」
「兎に角、聞こうじゃないか……」
鎮まりかえるのを待って、再現道化師がゆっくりと口を開く。
「これを食べれば、胃痛・腹痛・腰痛・頭痛・歯痛も全て解決! です!」
再現道化師だと分かっていても本物の最高司祭猊下に思えるからすごい!
ほとんど全ての痛みに効くなんて、さすがは最高司祭猊下。サイコーだっ!
猊下からの贈り物が何なのか、早く知りたい。早く食べたい。期待が膨らむ!
ただし、おにぎりだったら、絶対に食べない!
再現道化師が闇に消え、代わりに2人のウエイトレスが登場する。
布に覆われた実物らしきを盆に乗せ、特別な割烹着を身に纏っている。
トーレビアン製バニースタイルの割烹着だ!
体型に相当な自信がなければ着こなせない。
ヒーライのやつ、いい仕事しやがるぜ!
「ご紹介しましょう。最高司祭猊下からの贈り物は……これだっ!」
ワン・ツー・スリーで布がまくられる。
中に隠れていたものが、灯りに照らされて黄金色に輝く。まっ、まぶしい!
今まで、こんな見事な食べ物を見たことがあるだろうか? いや、ない!
断じてない。あろうはずがない。さすがは最高司祭猊下! 早く食べたーいっ!
目が慣れてきて、ようやく正体が分かる。わっぱに詰められたそれの正体が!
ヒーライに続いて、2人のお姉さん!
「今日は無礼講。メンズもレディースも従者もメイドも関係なーしっ!」
「並んだ、並んだーっ! だし巻き卵のおまけ付きだよーっ!」
「最高司祭猊下が手ずから作られた、聖なるおいなり、4個入りーっ!」
お姉さんが言い終わる前に、僕は並んでいた。前から3人目だ。
1つ前にはキャス、さらにその前にはリズ。背後にはズラリ数百人。
早く! 早くして、お姉さん! 期待で胸がいっぱいだーっ!
お盆を台の上に乗せたお姉さんが、両手でおいなりさんを配りはじめる。
3番目に受け取った僕は、端に避けてからおいなりさんをまじまじと見た。
なんて素晴らしいおいなりさんだ。わっぱにぎっしり4個入り。
だし巻き卵にはハーカルス大聖堂の紋章が焼き付けられている。
さて、どうやって味わおうか。
リズのようにチビチビ食べるのもいいしキャスのように両手で頬張るのもいい。
が、僕は思い切って一口にした。聖なるおいなりさんを丸ごと口に放り込む。
なんて贅沢な瞬間だ! 生きててよかった!
して、そのお味は?
甘さと辛さが油揚げにしっかり染み込んでいて、噛むたびに滲み出てくる。
ご飯には酸っぱさがちゃんとあり、具材の人参・椎茸の食感も楽しい。
聖なる力もちゃんとあるのか、お腹のしぶりがすーっと消えていく。
大満足だーっ!
たいへん美味しゅうございます!
嫌々参加した宮殿舞踏会だったけど、頑張って来てよかったよ。
もう、思い残すことは何もない。あとは、腹痛を装って帰るのみ!
僕の横にヒーライがやってくる。
舞台上で灯りを浴びていたときと違う、低めのトーンではなしかけてくる。
「いかがですか? トール様」
「サイコーだよ!」
こんなに美味しいおいなりさんははじめて。心からうれしい。
ヒーライの声がさらに低くなる。
「それはよかった。これで……腹痛早退とは……なりませんな。トール様!」
「あっ!」
血の気が引いた。
最初にヒーライに会ったときを思い出す。はじめから狙いは僕だったのか?
それは分からないが、どうやら僕は自ら退路を断ってしまったようだ。
『不屈の腹痛作戦』は続行不可能。失敗に終わった。
「それでは今宵のラブゲーム、心ゆくまでお楽しみください!」
一際低い声だった。
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