ネルシア学院物語

庄野真由子

第1話 井上愛子は学校の図書室で『ネルシア学院物語』と出会う

図書室は好き。

小学生の時、図書室の存在を知ってから、学校の図書室は私の隠れ家になり、避難場所になった。

悲しいことが会った時、友達との話についていけない昼休み、静かに教室を出て図書室に行く。


図書室は静かで、書架には生徒の姿はない。

机は勉強している生徒が使っていることもあるけれど、書架は本当に、誰もいない。

小学校でも、中学校でもそう。

そして私は今日の昼休みも、図書室にいる。


今日は2021年5月24日、月曜日。

先週、私が中学校に入って初めての中間テストが終わった。

中間テストのテスト勉強のために図書室を使っていた生徒の数はごっそり減った。

いつも通りの、閑散とした静かな図書室で私はほっとしている。

カウンターでは同じクラスの図書委員の男子生徒が、頬杖をついている。

彼の顔を覚えているのは、狙っていた図書委員のじゃんけんに負けてしまったから。あの人、本なんか、全然好きそうじゃないのに、なんで図書委員になったんだろう?

そんな恨みに似た感情があるから、彼の顔は覚えているけれど、彼の名前は忘れてしまった。向こうも、たぶん同じだと思う。……もしかしたら、彼は私の顔すら覚えていないかもしれない。


私は厚ぼったい一重瞼で、幼稚園生の時のひな祭りに「お雛様みたいな顔」と言われたことがある。

その時は、雛壇の一番上に座って綺麗な着物を着ているお雛様と同じ顔だと少し嬉しかったけれど、今は鏡で自分の顔を見るたびに微妙な気持ちになる。

……古風な顔立ち、といえば少しは聞こえがいいだろうか。


顔と同じように、私の名前も古風だ。昭和レトロな名前と言われたことがある。

井上愛子。それが私の名前だ。

『愛子』というのは母親が好きな女性アーティストの名前からとった。

女性アーティストの名前はアルファベット表記なので、漢字は『誰からも愛される子になるように』という意味でつけたと言っていた。

私、名前負けしている……。


書架を眺めながら、とりとめのないことを考えていると、見たことのない背表紙が目に飛び込んできた。

『ネルシア学院物語』と日本語で書いてある。ファンタジー小説だろうか。

読んでみよう。

私は『ネルシア学院物語』を書架から引き出した。……分厚くて重い。

立ち読みで小説の内容を確認するのは無理だ。

私は重厚な装丁の分厚くて重い『ネルシア学院物語』を抱えて、机に向かった。

本を机の上に置いて、椅子に座って読めば分厚くて重い本でも読めるだろう。


机に『ネルシア学院物語』を置き、本を開く。

本は好き。物語の中の登場人物は素敵で、素敵だと思わない登場人物が出てきたらすぐに本を閉じればいい。

そんなことを考えながら、私は『アルカディアオンライン』というゲームのことを思い返した。


『アルカディアオンライン』というのはファンタジーブイアールエムエムオーというジャンルのゲームらしく、ゲームの主人公を選んでファンタジー世界を冒険したり、生活したりする。


私は中学に入るまでゲームには縁が薄く、やったことがあるのはトランプやリバーシくらいで『アルカディアオンライン』にも全然興味がなかった。

でも、クラスメイトの話題は無料で遊べてゲーム内通貨をリアルマネーに変換できて、まるで現実のようにモンスター討伐ができる『アルカディアオンライン』一色になり、話についていけなくなった私も『アルカディアオンライン』をプレイすることにしたのだ。

新型コロナが蔓延していて自由に外出したり、たくさんの人と会ったりするのを制限されている今だから、マスク無しで遊べる『アルカディアオンライン』がこんなに流行っているのかもしれない。


『転送の間』というところでサポートAIからゲームに関する知識を教えてもらい、主人公を選択するところで、私は大きな失敗をした。

ゲームなのだから、リアルの自分とは真逆な登場人物を主人公に選んでみようと思ってしまったのだ。

私が主人公に選んだのは美青年の船乗り。

大航海時代に憧れていて、船に乗ってみたかったのだ。

……そしてゲームを始めた私は大揺れに揺れる船で船酔いになり、低い声にも高い視点にも慣れずに『転送の間』で主人公の変更を申請した。

その時、サポートAIから『主人公の変更は条件を満たさなければできない』と言われてしまったのだ……。


その言葉に打ちのめされた私は『アルカディアオンライン』から足が遠のき、クラスメイトの話題についていけず、だから昼休みにひとり、こうして隠れ家であり、避難場所でもある図書室にいる。

ゲームって面倒くさい。主人公が嫌になってもそのまま続けなくちゃいけないなんて知らなかった。


私は『ネルシア学院物語』を読み始めた。


『ネルシア学院』というのは『ネルシア王国』の7代目王妃のアイリーン・ネルシアがネルシア王国の民のために建てた学院で、6歳以上のネルシア王国の民は入学試験を受けて、資格を得た者が『ネルシア学院』で学ぶことができる。

学力が低い者は高額な入学金が課され、優秀な者は特待生として入学金や学費が免除となるシステムのようだ。

『ネルシア学院』は全寮制で、全ての生徒は寮に入る義務があり、在籍できるのは基本的には18歳まで。但し、16歳以上で入学した生徒は入学してから三年間の在籍が許される。


『ネルシア王国』には王族、貴族、平民の身分の区分けがあるが、『ネルシア学院』に在籍している間は身分の区別なく、生徒はすべて平等に扱われると書かれている。

そんなの、絶対に建前だよね。でもこの小説、面白そう。

そう思いながら、私はページをめくり、そして眉をひそめた。


「主人公を選んでください……?」


思わず、書かれた文章を声に出して呟く。

マスク越しの小さな声だったけれど、静かな図書室内では響いて聞こえて、私は慌てて口を閉じた。

『ネルシア学院物語』は本で、ファンタジーブイアールエムエムオーというジャンルのゲームの『アルカディアオンライン』とは違う。

たぶん、複数主人公で構成された小説で、最初に読む小説の主人公を選べっていうことだよね。


ページには複数の人物の記載があった。

私は順番に読んでいく。



リア・クラーク(6歳/女性)


ネルシア王国で手広く商売を行っているクラーク商会の一人娘。

金髪に青い目の愛らしい容姿で、父親に溺愛されている。

母親の方針で、6歳から『ネルシア学院』に入学することを強要され、泣いて泣いて泣きわめいて抵抗している。



可哀想。6歳から親元を離れて全寮制の学校に行くなんて嫌だよね。

そう思いながら『リア・クラーク』の名前に触れたその時。


「転生先が『リア・クラーク』に決定しました」


謳うような、美しい女性の声がまるで『アルカディアオンライン』のサポートAIのようなアナウンスを告げ、その直後、私は意識を失った。







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