第6話 複雑な親心
「心配させてごめんなさい。ハヤセ、大丈夫だから」
戻ってきたタキの言葉に、ほっとした空気が流れる。皆は安心して、食事に手をつけた。先に始めていろと言われても、そうはできなかったのだ。特にカイトは、「こんなに苦しいなら赤ちゃんなんて」という言葉が気になった。
「カイト、遠慮なく食べてね」
「はい」
タキに促され、ほかほかの炊き込みご飯に手をつけた。
ランチタイムもおいしく終了した。食後のお茶を飲みながら、しばし歓談。
午後もカイトは皆の作業を見ているだけだった。
「僕は、何をしたらいいんでしょう」
カスガに尋ねたが、
「今日は見学でいいんじゃないの」
「そうだよ。今は農閑期で、そんなに仕事はないんだ。春は忙しいよ」
スギも、そんな風に言ってくれた。
夕方。ライキは、隣家のヤオ宅に泊るという。
「カイトには、そのうちゆっくり会うそうだ」
「わかりました」
ノア家を紹介してくれたのはヤオだ。大富豪だというが、どんな人なのだろう。
「散歩ついでに、入り口まで行ってみょうか」
タキがランを連れてきて、カイトにリードを渡す。
「ランの散歩も大事な仕事。今日からカイトに担当してもらうね。朝夕2回、よろしくね」
「はい!」
やっと仕事を与えられて、カイトは嬉しかった。
タキ、ライキ、ランを連れたカイト、シオンと、ぞろぞろ歩いていく。車もすれ違える舗装されたこの道も、以前は手つかずの荒れ地だったという。
「15年前にヤオはシンガポールから、ここに越してきたの」
まるでリゾート開発みたいだった。
広大な土地を切り開き、お城のような豪邸を建て、ヘリジェットの格納庫、ドッグラン、花が咲き乱れる庭園と、すっかり整備された。
「その時、この道もヤオが作ってくれた」
「へえ」
カイトが感心していると、タキが、
「そうすればノアと行き来しやすいから。ヤオはノアの幼馴染なの。事業に疲れたし、ここが気に入ったって。田舎でのんびりしたくなったのね」
林の向こうに、高い鉄柵に囲われた門が見えてきた。
「すごい柵ですね」
カイトは、ダウンタウンの移動機ポートを思い出した。
「盗られたら困る物がたくさんあるのでしょう。ウチとは違う」
タキは涼しい顔だ。
ノア家には柵も門もない。ふらりと寄っていきたくなる開放性がある。
ヤオ邸の門の中には警備アンドロイドがいて、ライキの訪問をヤオに伝えた。
「それじゃ、また」
ライキは門の中に消えていった。
深い緑に覆われ、ここからは屋敷の入り口も見えない。
夜も更けて、ふたりは今、ヤオのホームバーでくつろいでいる。
「ヤオが70とはね。信じられないよ」
ブランデーグラスを持ち上げながら、ライキが言う。
「そっちだって55だろう。あの頃と変わらないな」
「まさか」
「いや、若々しいと言いたいんじゃない。あの頃からライキは老成していた」
昔から感じていたことを、ヤオはずばり口にした。
ライキがヤオと知り合ったのは30年近く前だ。女性の死亡が目立つようになり、ただ事ではないと全世界が危機感に包まれた頃。ライキは政府系の機密機関に配属された直後だった。
当時、40台に入ったばかりのヤオは、仕事を通じてライキと親しくなった。15ほど年下だが、妙にウマが合ったのである。一言でいえば野心的、ということか。
ヤオは事業で才覚を示し一代で巨万の富を手に入れ、ライキはいくつもの分野で研究者としての名声を得た。
老成していた、という言葉にライキは特に反応せず、話題を変えた。
「カイトの件、引き受けてくれてありがとう。助かったよ」
「感謝されるほどのことじゃない」
「カイトはいい青年だよ。ちょっと子供っぽいけど。育児アンドロイドにべったりだ」
「ふうん。門の映像で見たよ」
「なかなかイケメンだろう」
「18の男というのが気にくわん」
ヤオは、あからさまに不機嫌な顔になった。
「なんで今になって男が生まれるんだ」
「私に訊くなよ」
ライキは苦笑した。
「アキナは20歳だったっけ。カイトと何かあったら、と心配か」
ヤオは首を横に振り、
「いや、アキナにはもう男がいる」
ぷりぷりしながら答えた。
「男。ただの男か。『ゼロ』じゃなくて?」
驚くライキに、ヤオはぶっきらぼうに答えた。
「ああ、そうだよ」
ヤオの子のアキナ、もちろんミライやハヤセも、「ゼロ」と呼ばれている。人工子宮から生まれた最初の子供たちだ。次に誕生したサヤカたちの世代は俗称「ファースト」と称される。
アキナは現在、某カレッジに在学中。秘密裏に運営される学園都市の寮で暮らし、週末に帰宅する。
指導陣、大学院生や研究者は男性ばかり。「ゼロ」の子たちは最年長でも23歳だから仕方ないのだが。スタッフも当然、従来の男性で、秘密厳守できるアップタウン出身の者に限られる。
「学内は恋愛禁止じゃなかったか」
ライキは首をひねったが、ヤオは更に不機嫌になり、
「3年前に解禁になった」
「カイトのダウンタウン送りも3年前だったな」
その時期に何があったのか。
「あの子たちに生殖能力があると、はっきりしたのがその頃だ」
ヤオの口調は、なんだか悔しそうだ。
相互に妊娠したり、受精卵を人工子宮で育てることも可能だと判明した年。
「『ゼロ』と男の間に子供ができた例も報告された。気に入らん」
「人類にとってはいい事じゃないか」
女性の消滅。それは人類滅亡につながる、と男たちは恐怖におののいた。新しい子供たちに生殖能力があるのか、それが判明するまでは気が気ではなかった。
それが、希望が見えたとたんに、また別の悩みが出てくるわけだ。
ライキは、やはりカイトについて考えないわけにはいかない。
カイトも人工子宮から誕生した子だ。ただひとりの男子はダウンタウンに追放され、進学も許されないとは。
人工子宮が生み出すのは新しい体を持った子だけ、のはずだった。
カイトは排除された、他の子は手厚く保護され、十分な教育を受けられるというのに。
ライキは複雑な気分になる。
「気を付けろよ、とアキナに言ったらな。いつも避妊薬呑んでるから平気、だとさ」
ヤオはハーッとため息をつき、額に手をやった。
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