第4話 緑の大地へ
酔っぱらいに絡まれ手を握られ、カイトは不快な気分でマンションに帰り着いた。階段を上りながら、あれこれ考えてしまう。
ライキのおかげでヒルズの様子を覗くこともできたし、空中散歩も楽しかった。だが同時に、自分が暮らすダウンタウンの現実を突きつけられた。
消防車のサイレン。またどこかで失火したのだろうか。光熱費が払えず、何かを燃やし暖をとろうとして火事になるらしい。自室に放火し自殺、というケースもあると聞く。消防車の出動は多いのに、救急車のそれは、めったにない。噂では、国民保険にも色々あって、ダウンタウンの住民が要請しても到着までに何時間もかかったり、初めから断られたりするそうだ。
「ただいま」
「おかえり」
シオンがやさしく出迎えてくれる。ほっとする瞬間だ。
買ってきた青いシャツを、シオンはとても喜んでくれた。
「私の服なんかどうでもいいんだよ。カイトが欲しいものを買って」
そう言いながらも、久々に別のシャツを着られて楽しそうだ。
「良く似合うよ、パパ」
思った通りだ。端正な顔立ちのシオンに、新しい、といっても程度のいい古着だが、とてもよく似合った。
「荷物が到着しました」
ベランダから声がして、配達ドローンが注文した食料品を届けにきた。
ベランダに出て、箱を受け取る。ガラス戸の一部が割れて、ベニヤ板が貼ってある。
箱の中には、野菜や缶詰、ハムなどがぎっしり詰っていた。
「これで当分、大丈夫だね」
カイトはほっとした。買い物に出るのも物騒で、品物を奪われる恐れもある、こうやってベランダまで配達してもらうのが確実だ。酒やギャンブルに溺れない限り、生活できるだけの額は支給されていた。
「今夜は何にしようか。ミネストローネなんかどうかな」
豆やショートパスタ、ベーコンなどを煮込むもので、冬場の体を温めてくれそうだ。
シオンの提案をカイトは快諾し、
「僕も手伝うよ。料理も覚えたい」
パパに頼り切りの生活を改めたい、と本気で思った。
ライキから連絡があった。今度は移動機ポートからハイヤーでマンション前まで乗り付けた。
「帰りも頼んだら、運転手が渋ってね」
報酬を弾んで承諾させた、とライキは苦笑した。ちょっとした移動でも車でないと危険なのだ。身なりのいいライキは特に。
「君たちを家に呼ぼうかと思ったんだが」
アンドロイドは、むやみに移動できない。ダウンタウンからヒルズに立ち入るのも問題だろう。
「これからどうするつもりだね」
率直に訊かれた。
「わかりません」
カイトは正直に答えた。
「お先真っ暗、といったところです」
視線を床に落とす。古びた床が目に入るばかりだ。
「そうだよねえ」
自分だって、カイトと同じ立場に置かれたら途方に暮れる、とライキは言った。
「この街を出てみないか」
「えっ」
カイトは反射的に顔を上げた。ライキはまじめな声で、
「山奥に移り住んだ知人がいてね。彼の隣人が、人手を欲しがっている」
「でも、僕は何もできません」
と答えるカイト。ライキは笑って、
「いやあ、普通に動ければ十分だよ。
数人の家族で暮らしているんだ。牛や羊を飼って、作物もいろいろ作って、自給自足に近いらしい。気分転換のつもりで、試しに行ってみないか」
「はあ」
カイトは、この街しか知らない。15歳まで育ったアップタウンと、今住んでいるダウンタウン。
「パパ。どうしよう?」
横にいたシオンの顔を見ると、
「いいと思うよ。私は行けないけど」
そうだった。
貸与アンドロイドが勝手に移動することは許されない。シオンは、本来は次の子供の育児に当たるべき存在だから、なおさらだ。
「パパと一緒でないなら、行きません」
残念だけど、とカイト。シオンと離れるなんて考えられないのだ。
「だいじょうぶだ、私が許可をとってあげるよ」
「ほんとですか!」
カイトの顔がぱっと明るくなる。
「それでしたら、ぜひお願いします」
「わかった」
ライキの声に、
「よかったね」
シオンも笑顔になる。
「うん」
パパと一緒に別の場所に行ける。降ってわいた話に、カイトは不安を拭いされないが、
「いいところだよ、緑が深くて、裏山ではクリも取れる。夏には下の沢で水浴びもできるし」
この世の楽園といったところだ、とライキは言うが、都会しか知らないカイトには、あまりピンとこないし、なんだか話がうますぎるけど、この荒れ果てたダウンタウンよりはましに違いない。
「それじゃ、先方に連絡しておくから」
ライキは上機嫌で帰っていった。
旅立ちの朝。
カイトは恐縮していた。
「すっかりお世話になってしまって、すみません」
出稼ぎを決めたはいいが、移動手段はなく、いつものようにライキに頼りっぱなしだ。
「いいんだよ。私も彼らに会いたいしね。君と年の近い人もいるはずだ、きっと楽しくやれるよ」
向こうには何もかも揃っているから、と、身の回りのわずかな荷物を手に、カイトとシオンは移動機に乗り込んだ。
なつかしいアップタウンと、思い出すのも嫌なダウンタウンが、ぐんぐん遠ざかっていく。すぐに眼下は緑に覆われ、灰色の街に慣れた目に、潤いを与えてくれた。
「パパは、空を飛ぶのは、はじめて?」
「そうだよ。きれいなものだね、緑って」
シオンも嬉しそうに眼下の景色を眺めている。
20分ほど飛ぶと、カイトが住んでいたような街が見えてきた。灰色が目立つ地区と、緑と小さな家が並ぶ地区、ヒルズに当たるのか、緑の深い地区。 どこも同じなんだな、とカイトはぼんやりと思った。
さらに10分ほどの飛行で、目的地が見えてきた。
山のふもとの広大な敷地に真っ白な船を思わせる邸宅。周囲には畑らしきものが広がっている。
「あそこの隣には、ヤオという男が住んでいる」
とライキは説明した。
「ヘリジェットもあるんだよ。ヤオは大富豪で、シンガポールからこっちに移住してきたんだ」
これから行くのは、ヤオの友人宅だという。
モニターに、白髪の男性が現れた。
「ライキ博士、お久しぶりです。3番へどうぞ」
「やあ、久しぶりだねノア。ありがとう」
移動機はゆるやかに緑の大地に降りていく。
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