コメダでゆっくり話したい 上

千歳に、鹿沼さんに迷惑はかけないようよくよく言い聞かせてから、待ち合わせのコメダ珈琲に向かった。

先に入って店員に「後で一人来ます」と伝え、ボックス席に座る。鹿沼さんにも、LINEで「先に入ってるよ」と伝えた。

千歳が入店する気配を感じ、見るとヤーさんの格好だった。千歳的に、鹿沼さんの見張りは荒事なの?

コーヒーを頼んで少しして。入店した女の子が「和泉さん!」と声をかけてきた

黒いセーラー服の女の子。顔は見覚えがあったが、俺はびっくりして席から腰を浮かした。

「鹿沼さん!? 背、伸びたねえ!?」

俺の記憶にある、一昨年秋の鹿沼さん、小学生の身長だったんだけど!?

鹿沼さんは自慢げに笑った。

「えへへ、この一年で8センチ伸びたんですよ!」

この背丈なら、もうちゃんと中学生だ。

背丈だけじゃなく、手足も長い。栄養が改善したのと、あと軽運動部の活動が幸いしているのだろう。

「すごいねえ! とにかく、元気そうでよかったよ」

「和泉さんも、元気そうでよかったです!」

「いやあ、おかげさまで」

俺は照れくさくなって頭をかいた。まあ、この一年割といろいろあったんだけど、健康状態的にはよくなってるしね。

「何頼む?」

「えっと、シロノワールと、あと、コーヒーの大きいサイズまず食べたいです!」

店員さんを呼び、頼んでから、鹿沼さんは居住まいを正した。

「あの、こないだは、秘密にしとかなきゃいけないこと人に言っちゃって本当にすみませんでした」

朝日さんの裏アカウントのことである。

「それは大丈夫、俺が悪いんだし。朝日さんも収まるところに収まったし、もうなんにも心配いらない」

「でも、人のプライバシーを守るってすごく大事だって、やっとはっきりわかった気がして。学校ではよくやるけど、ピンときてなかったんです」

今の学校、情報教育ちゃんとやるんだな……。

「まあ、プライバシー厳守自体は大事なことだから、大変にならないことでそれを学べてよかった、と思ってくれればいいよ。とにかく、今回のことは鹿沼さんになんの責任もないから」

鹿沼さんは神妙な顔で俺の話を聞き、「……わかりました」と言った。

俺は話題を変えようと思った。

「あのさ、鹿沼さん、学校はどんな感じ?楽しい?」

鹿沼さんは苦笑した。

「数学以外はすごく楽しいです!」

数学は楽しくないのか。

「クラスとか部活とか楽しいけど、数学だけ苦手な感じ?」

「そうですね。一留の割に皆仲良くしてくれるし、部活でも友達たくさんできたんですけど、数学だけ本当に苦手で……他の勉強はやればやっただけ出来るようになるんですけど、数学が全然そうじゃなくって」

鹿沼さんの顔がどんどん暗くなる。

「あー、気持ちはわかる……」

俺はうなずいた。俺は理数系の大学に進んだので数Ⅲまでやったのだが、一番費用対効果が悪かったのが数学だったので。つまり、やってもやっても成績が上がらなかった。

シロノワールが来て、鹿沼さんはでかいソフトクリームとデニッシュに果敢に挑みながら愚痴った。

「生物の勉強できる大学行きたいんですけど、推薦でも一般でも数学は外せないし、でも数字見てるとこれがなんの役に立つのかと思っちゃってやる気でなくて……」

俺は、ふと思って鹿沼さんに聞いた。

「算数の時は苦手意識なかった?」

「あんまりありませんでした。中学のはなんでこんなことやるのかわからなくて、やる気でないです」

あー、やる目的がわかんないのが苦手を余計引っ張ってるのか……。

「……俺も数学に一番苦労したけどさ、大学に入るとこれまで数学でやったことが一気に必要になるから、数学やる目的は、まず一番にそれだね」

「生物でも大学で数学使うんですか?」

鹿沼さんは悲しげな目をした。

「理系一般でそうだけど、研究するっていうのはデータを取ることで、データを検証するのに数学は必須だからね。今数学でわからなくて詰まってるところがあるなら、努力のしどころだと思うよ」

鹿沼さんはへにょへにょした。

「今、特にわからない所のノート持ってるんですけど、和泉さんなら教えてくれたりします?」

うーん、中学数学ならまあなんとかなるかな。がんばるか。

「見せてくれない?」

鹿沼さんはカバンから出したノートを俺に渡した。開いてみると、負の数と負の数の乗算、複雑めの二元一次方程式、複雑めの因数分解などなど。

「あー、マイナスとマイナスかけるとプラスになるの、ピンとこないよねえ」

「そうなんですよ!」

鹿沼さんは激しくうなずいた。

「ねえ、鹿沼さん。マイナスの方向に時速4キロで歩きつづけてる人がいて、今その人ちょうどA点とするじゃない」

「……? はい」

いきなり数学の文章題を話しだした俺に、鹿沼さんは訝しげな顔でうなずいた。

「マイナスの方向に歩く人、今から1時間前はA点からどこにどれくらい離れてた?」

「え? えーと、プラス方向に4キロ……あ、マイナス4かけるマイナス1でプラス4!」

俺は微笑んだ。

「うまい例えがあると、すっと飲み込めるんだよね。そういうの、大手の塾とか通信教育とかが強いから、ご両親に頼んでみたらどうかな」

「方程式と因数分解はどうですか?」

「その2つはとにかくたくさん解いて慣れるしかないけど、そういう問題集も、いいのがあるのは塾か通信教育だな」

「……塾、週二で行ってるんですけど、もう先生が何言ってるのか全然わかんなくて……」

鹿沼さんはしょんぼりと言った。

「もう少し基礎からやってくれる塾に変えるのも手だよ。自分のペースでじっくりやりたいなら通信教育だね」

鹿沼さんはすがるような目で俺を見た。

「和泉さんは中学の時何で勉強してました?」

「通信教育だね、スマイルゼミか進研ゼミが堅いかな。自分で毎日勉強する意志はいるけども」

「……うーん、塾行くのめんどくさいから、通信教育もありかなあ……」

「まあ、ご両親ともよく相談して。お金かかるからね」

話してるうちに、シロノワールがすべて鹿沼さんのお腹に消えてしまった。運動部の中学生、食欲すごいな……。

「他、まだなにか頼む?」

水を向けると「みそカツパン食べたいです!」と元気な返事がきた。ここのメニュー、どれも量多いけど平気!?

余るようなら俺も消費を協力しよう、と思ってまた店員さんに注文し、俺はまた話題を変えて「数学以外はすごく楽しいんだね?」と鹿沼さんに聞いた。

「そうなんです! 最近は筋トレに燃えてるんですよ! 友達と一緒にノルマ競い合ったりして!」

「軽運動部じゃなかったの?」

軽い運動を楽しむ部活では?

「最近、「軽い気持ちで運動を楽しむ部活」という意味も付け加えられました」

「うーん、言葉の奥深さ」

Webライターとして見習わなければならない。

鹿沼さんが身を乗り出した。

「ていうか、和泉さんの協力した『唐和開港綺譚』読みましたよ! すごく面白かったです!」

「あ、本当? ありがとう、狭山さんにも伝えとく」

書いたのは狭山さんだが、それなりに俺も協力したので、嬉しい。

「あれ、コラム全部和泉さんなんですか?」

「そう、二巻以降もそうなる予定」

「二巻いつ出るんですか?」

鹿沼さんのわくわくの瞳、狭山さんにも見せてあげたい。

「もう最終稿も俺のコラムも上がってるから、あとは編集部と印刷所の仕事なんだよね。まあ、そのうちには出るし、出る前には作者の狭山さんが旧Twitterで宣伝するよ」

「じゃ、狭山先生のTwitterチェックしときます」

鹿沼さんはぐっと拳を握った。

その時、店内で騒ぎが起こった。

『おい! お前何者だ! さっきからコソコソ、あいつらのことずっと見て!』

千歳の声だ。

騒ぎの方を見ると、帽子を目深に被ったサングラスの男性が、千歳に因縁をつけられているところだった。

帽子の男性は明らかに狼狽していて、「い、いえ、私は……」としどろもどろしていた。

帽子の男性の声を聞いて、鹿沼さんがハッとした。

「お父さん!?」

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