ちゃんと挨拶しときたい 上
「いや、こんなに可愛らしいお嬢さんがいらっしゃるとは思わなかった、いくらでも召し上がってください」
恰幅のいいおじいさん、金谷安吉さんがにこにこしながら千歳に言う。ショートケーキとカステラ巻を前にした千歳も、にこにこだった。
『ありがとう! 甘いもの、大好きだ!』
「うちは甘いものならいくらでもあるので、どうぞどうぞ」
テーブルには金谷家の他の家族が全員付き、やや緊張した面持ちながら笑顔でいてくれている。よかった、千歳のこと怖がってる感じじゃなくて。
金谷さん(全員金谷さんなわけだが。金谷あかりさんだ)が紅茶を持ってきてくれた。
「ダージリンセカンドです。紅茶詳しい人が選んでくれた茶葉なので、お菓子に合うと思います」
「和泉さんもどうぞご遠慮なく、どんなお菓子でもお出ししますから」
五十前くらいのふくよかな女性、あかりさんのお母さんの牡丹さんが愛想よく俺に勧めてきた。俺は頭を下げた。
「ありがとうございます、いただきます」
甘いものは好きだけど、そんなに量食べられないんだけどな……まあ、失礼にならない程度に食べて、お腹いっぱいになりすぎたら夕飯は千歳に頼んで少なめにしてもらおう。
お茶が来る前に、お互い自己紹介をすませている。牡丹さんと同年代の男性が茂さん、おじいさんと同じく恰幅のいい、まだ若い男性があかりさんの兄の司さんだ。まあ司さんとは前に面識があるけど。
全員にお茶が行き渡って、勧められてひとくち飲んで香りの良さに驚いていると、司さんが頭を下げた。
「改めまして、和泉様もご足労ありがとうございます」
「いえ! 普段から本当にお世話になっておりますし、むしろご挨拶が遅すぎたくらいです!」
俺はあわてて頭を下げ返した。だって何もしないのに毎月十五万もらってるし、生活で何か困る度に相談してるし。
「私は文章書くしか出来ませんが、ホームページとか印刷物とかでまとまった文が必要になったらいつでも申し付けてください、いつもお世話になってる分働くので」
これくらい言っとけば失礼にはならないだろう、本心でもあるし。神社のことには詳しくないけど、間違いでない範囲でそれっぽい文章書くスキルなら多少はある。
「印刷物……」
茂さんが少し考える表情になった。
「パンフレットとか、お願いしてもいいものですか?」
「もちろんです、書く内容や文字数をレイアウトに合わせて打ち合わせる必要がありますけど」
仕事の時の脳に切り替えて返事する。
「……普段お世話になってるデザイナーさん経由でお願いする形でも大丈夫ですか?」
その方がいいな、レイアウトとかデザインとかはそっちの方が詳しいだろうし。
「もちろんです! いつでもお引き受けするつもりです」
「では……すぐにではありませんが、そのうちお願いさせてください。うち、ホームページもありますが、印刷物のほうがはるかに多いので」
千歳が俺をつついた。
『仕事の話もいいけど、ケーキも食べろよ。すごくうまいぞ』
「あっ、うん、いただきます」
フォークでショートケーキの先っぽを取る。生クリームが程よい甘さで、ミルキーな香りとコクがあってすごくおいしい。いちごがいいアクセントになっている。これ、かなり高級なケーキなんじゃないか?
『このケーキすっごくうまい! ありがとう!』
「気に入っていただけてよかったです」
安吉さんは、千歳を見るたびにこにこしている。デレデレと言ってもいい。戸籍上では孫に当たるからデレデレでもいいんだけど、さっきから千歳としか話してなくない? 千歳の接待を専任で引き受けてるのかな?
牡丹さんが言った。
「本当は、うち、司とあかりの間にもう一人息子がいまして。蒼風と言うんですが、海外担当でして、今日本にいなくて……申し訳ありません」
「あ、もうお一方いらっしゃるんですね」
『じゃ、ワシ、きょうだい三人いるんだ?』
「そうですね、蒼風は今年二十五なので、戸籍上は千歳さんの兄になります」
『ふーん、兄ちゃん二人、妹一人かあ』
千歳はショートケーキの最後のひとくちを食べ終わり、紅茶を飲んでから言った。
『えっと、あの、ちゃんとした場所だからちゃんと言うけど、養子にしてくれてありがとうございます。仕事も、言ってくれたらちゃんと働くし、これからもよろしくお願いします』
千歳は牡丹さんと茂さんの方向にぴょこんと頭を下げた。ふたりともかなり驚いて衝撃を受けた顔をした。あー、千歳ものすごく強い霊だし、やっぱ恐れられてるというか畏れられてるというか、なのか……。
俺も口を開いた。
「その、私からもお礼を言わせてください。千歳と普通に暮らす上で、戸籍とかの身分がないとやっぱりいろいろ不便だったので、戸籍申請の世話してくださった上で養子にまでしてくださって、本当にありがとうございます」
別にフォローではないけど、俺は千歳の身分が確立したことが素直にありがたいので、率直に感謝を述べる。
「あ、いえいえ、その……」
「こちらこそ本当に泉様にはお世話になっていまして……」
牡丹さんも茂さんもちょっと対応に困っているようだったが、悪くは思っていない感じだ。
茂さんが咳払いした。
「あの、お二人が穏やかに日々過ごして頂いてるだけでこちらとしては十分なので。そのために、できるだけのサポートはさせていただきますから」
牡丹さんも言い添えた。
「千歳さんはご存知かもしれませんが、うちは素質はともかく歴史だけはあるので、いろんなところに顔が利きます。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
お互いに頭を下げあう。その後、俺はふと、疑問に思って聞いた。
「あの、素質はともかくって言うと、霊感そんなでもないって聞こえるんですけど……金谷さん、いや、あかりさんは霊感すごくある感じではないですか?」
初対面の時はちょっとポンコツ感を覚えたが、千歳がすごすぎるだけで、金谷さんいろいろできるみたいだし。狐の霊か何かを自由に使える南さんができないこともできるみたいだし。
司さんが説明してくれた。
「ああ、それはですね、あかりが例外というか……。金谷家は素質ないわけではないんですが、素質だけでいうと二番手三番手なので、事情がわかる事務方として代々続いてきた家なんです」
『あ、やっぱりそうなんだ、金谷家にしてはずいぶん素質あるなと思ってた』
千歳は事情をわかってたらしく、納得したようにうなずいた。
金谷さん(あかりさん)が言葉を繋いだ。
「なので、私、仕事では実働部隊として教育されて働いてる感じで、働いてる時はまた別の所で寝泊まりしてるんです。詳しい人のところの方が生活や食事に気をつけやすいので」
食事?
『あ、じゃあ仕事の時は潔斎扱いなのか?』
「そうですそうです、私は五葷が特にダメなんですよ」
けっさい? ごくん?
「ごめん千歳、ちょっと解説して……ごくんって何? 潔斎って何するの?」
俺は千歳の袖を引いた。
『ん? あ、そうか、お前はよくわかんないか』
「あ、すみません、話先走っちゃって」
金谷さんがすまなそうに言った。
『潔斎って、精進潔斎の潔斎で、酒とか獣肉とか五葷とか、気持ちの揺らぐ物とか精のつくもの断って、なるべく平静に過ごすんだ。五葷っていうのは、ネギ、あさつき、ニラ、ニンニク、ラッキョウのこと』
ネギとニンニクがだめ? それ、結構強力な縛りじゃないか?
「食べるもの、だいぶ困りそうだけど……」
「外食は難しいですね、コンビニでも安心なのはおにぎりと野菜ジュースくらいです」
金谷さんは真剣な顔でうなずいた。千歳も訳知り顔でうなずいた。
『自分で作るか、詳しい人が作ってくれるのが一番安全だよなあ』
「玉ネギもダメなんだ?」
『ダメだな』
「ダメですね」
聞いてみると、二人に同時に却下された。
「それはきつい縛りですね……獣肉なら、普段食べそうにないけど……。鹿とか猪とかだろ?」
千歳に聞くと、首を横に振られた。
『いや、豚と牛もだめだぞ。鳥と魚はいいけど』
「うわ、それも大変だ……」
宗教で食事に制限があるって、外国とか遠い世界のことだと思ってた。こんなに身近にあったんだ。
牡丹さんが苦笑しながら言う。
「出汁とかに入るのもだめで、なかなか除去が難しくて私にはできなくて……仕事の日だけ気をつければいいので、あかりがお世話になってる先に全部おまかせしちゃってますね」
「仕事の日は寮に寝泊まりなんですか?」
そう言えば、金谷さん、休みの日だけ実家みたいなこと言ってたな。
「寮って名前が付いてるわけじゃないですけど、まあ、私がお世話になってる所の家でご飯食べて寝泊まり、って感じです。……あ、千歳さん、お茶おかわりいかがですか? 淹れてきます」
千歳がティーカップを飲み干したのを見て、金谷さんが気を利かせてくれた。
『うん! 欲しい! この紅茶、すごくうまい!』
「それはよかったです」
金谷さんは、愛想だけでない自然な笑顔になった。千歳はいつの間にかカステラ巻も食べ終わっていたので、安吉さんが立ち上がった。
「茶菓子も追加持って来ましょう、いいのがあるんですよ」
それからなんとなく場がほぐれ、俺たちはいい紅茶と甘いお菓子をずいぶんごちそうになりつつ雑談し、神社業界や拝み屋業界のことをいろいろ聞かせてもらった。
程よいところでお開きになって、帰り道を歩きながら、千歳はほくほくしていた。
『お土産もらえるなんて思わなかったなあ、どれもうまそうだ』
千歳が何でもうまいと幸せそうに食べるせいか、安吉さんがふたつもお菓子の詰め合わせをくれた。なんかたくさんお菓子の備えがある家みたいだったけど、月餅やバクラヴァまでもらえるとは思わなかったな……。
「和やかに話せてよかったね、これからも仲良くできるといいね」
『うん!』
結構うまく行ったと思っていた。帰って、金谷さんからの「本日は申し訳ありませんでした。後日お詫びさせてください」のLINEを見るまでは。
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