お前に感謝はしていたい

『ただいま! ビワもらったぞ!』

買い物から帰ってくるなり、怨霊(女子中学生のすがた)(命名:千歳)が言った。エコバッグ以外にもう一つ袋を下げている。

「おっ、どうしたのさ、もしかして星野さんから?」

『そうだ! 庭で取れたって。洗って冷やしとくぞ』

「星野さんにお礼言っといてよ」

『あ、そういえば言わなかった! 今言ってくる』

千歳は玄関先に荷物をおいて外に出ようとした。

「え、星野さん、すぐそこにいるの?」

『まだそこに車止まってる!』

顔を出さないのもなんだか悪い気がしたので、ほぼ部屋着の、気が抜けた服装なのは気になったが、俺は玄関で靴をつっかけた。千歳に続いて外に出る。アパートの横の道に車が止まっていて、千歳はその運転席に話しかけていた。

『言い忘れてた! ビワありがとう! 冷やして食べる!』

「喜んでくれてよかったわあ」

俺も車に近づいて、運転席に声をかけた。

「いつもありがとうございます、千歳によくしてくださって」

星野さんは笑って言った。

「いいのよ、取れすぎて毎年持て余してたの。夏はナスとかきゅうりとかも取れるから、またもらってちょうだい」

「ありがとうございます」

『そんなにいいのか!』

「千歳も、もう一回お礼言って」

『ありがとう! 楽しみにしてるぞ!』

運転席の星野さんは笑って千歳に手を振り、車は走り去っていった。

その日の夕飯には、デザートとして、冷やしておいたビワが出た。手で皮をむかないと食べられないし、むいている時にかなり果汁が出て手がベタベタするのだが、あふれる果汁に違わない味だった。

「うわあ、みずみずしくて、なんかすごくおいしい」

千歳(幼児のすがた)は俺以上に手をベタベタに汚しながら言った。

『今日取れたてだって言ってたぞ!』

「そうかあ、いや果物とか久しぶりだ」

食べなくてもやっていけるし、価格帯も高めだから、果物なんてずいぶん長く食べていなかった。でも、たまにはいいな。星野さんには感謝しなければならない。

……そういえば、千歳の人とのつながりは、何も星野さんだけに限らないかもしれない。ちょくちょくスーパーに買い物しに来る中学生くらいの女の子なんて目を引くだろうし、かまってくる大人は割といるかもしれない。別に千歳の人付き合いに口を出す気はないが(大騒ぎになるので俺以外の人の前でポンポン姿を変えてほしくはないが)、今日の件を考えると、一度しっかり言っておかないと、千歳にとってよくないかもしれない。

「千歳」

『ん?』

「誰かに何かしてもらったら、ちゃんとお礼言っときなよ」

『え、うん』

千歳は世の中に怨みを持つ霊の集合体ということだから、お礼を言ったり言われたりという関係に、あまり身を置かなかったのかもしれない。お礼を言われない環境では、すりつぶすように使い捨てられるだけ、というのを俺はブラック企業時代で思い知っているし、お礼を言いたいと思う機会がない環境というのも、中々辛いものがある。でも、今の千歳は別にそこまで悪い環境ではないと思うし、お礼を言うことが身についていないのだとしたら、身につけておいていいと思う。

「星野さんだけじゃなくて、他の人と知り合ったり、その人に何かしてもらうことも多分あるだろ、そしたらちゃんとありがとうって言いなよ」

千歳は目をぱちくりした。

『あんまり礼言ったりする発想がなかったなあ』

「ちょっとしたことでも言いなよ、言って損することは、そうそうないんだからさ」

『まあ、そうだな、気をつける』

翌日、朝起きて、眠い目をこすりながらラジオ体操第一をやり、千歳(女子大生のすがた)が作った朝食の皿を食卓に並べた。

「千歳、こっちの鶏皮多い方食べな、脂身好きだろ?」

『お、いいのか! ありが……』

千歳(幼児のすがた)は喜んで言いかけて、ハッとした顔になって停止した。

『いや! 何でお前に礼なんか言わんといかんのだ! お前に! お前なんかに! ワシ、お前に害されたから子々孫々まで祟りに来たんだぞ!』

「いや、礼言ってほしくてやったわけじゃないけど……いや、祠のことは悪かったと思ってるよ、ごめん」

遠出せざるを得なかった帰り、へたばってよろけて転んだのが、千歳のいた祠を傷つけた直接の原因だ。全然故意ではなかったのだが、まあ、千歳が怒っても仕方がないと思う。

千歳は腕をバタバタさせながら言いつのった。

『礼なんて言わんからな! 絶対に言わんからな! 飯分けてもらっても、風呂入れさせてもらっても、ケーキ買ってもらっても、スーパーの菓子食費のあまりで買ってよくても、砥石買ってもらっても、コーヒー分けてもらっても、タブレットの使い方いろいろ教えてもらっても、チョコミントの新商品いつも教えてもらっても、何してもらっても、絶対に礼なんか言わんからな!』

千歳は一息に言った。千歳のやたら長い言葉を聞いて、俺は少し驚いたが、千歳の言葉を咀嚼するにつれて、どうにも笑みが抑えきれなくなってきた。

「うん、うん、わかった、千歳、割といろいろ嬉しかったんだな」

『礼なんか言わんからな!』

「わかったよ」

『なんでそんなにニヤニヤするんだ!』

「いや、そんなにニヤニヤは……してるか」

まあ、千歳はちょっとしたことで喜ぶ方だから、何に感謝してるかわかりやすい。本人はさまざまなことについて礼を言うに値すると思っていると今はっきりしたわけだし、俺に対しては、それで十分だと思う。

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