追放

ケストドン

第1話

 ひどい耳鳴りで、頭がガンガンする。日課にしているランニングを終えた時の心地よい疲労感は無かった。どうも体調がおかしい。思わず付近の公園のベンチに座り込んで呼吸を整えた。

 しばらく呆然と電灯を眺めていたら、足音が重なるような音が聞こえた。犬を連れているようだ、公園の入口に視線を移すと女性が柴犬を連れて公園内に入ってきた。僕を一瞥すると犬を連れて近寄ってきた。

「大丈夫ですか?」

 僕の顔を覗き込むようにして話しかけてきた。彼女の表情は僕を心配しているように見えた。少ししか顔が確認できなかったが、美人の部類に入る顔だった。

「大丈夫です。直ぐに落ち着きまー」

 思い切り咳き込んでしまった。すると、彼女は小さなリュックから水筒を取り出してコップにお茶を注いで渡してきた。曰く、これを飲むと少しは落ち着くらしい。

 言われるがまま飲んだ。紅茶に生姜とハチミツを混ぜてある、優しい味だった。

 美味しいと伝えると彼女はそれなら良かったと行って立ち去った。不思議な人も居るものだと思いながら後ろ姿を見ていたら、尻ポケットからハンカチが落ちた。急いでハンカチを拾って砂を落とすと、小さな紙がハンカチの折り目から出てきた。ふと気になって、紙を開いて読むと警告文が書かれていた。またあの、丸っこい可愛らしい字体だった。

(遠くへ逃げろ)

 どうやら追われているようだ。昨晩の一件からはまだ解放されていない。大きくため息をついた。

 いったい誰だろう、俺の足取りを掴んだ奴は。

 あの出来事は、とても思い出したくない。最悪な日だった。

 

 殺害当日


 弟が10歳の時気付いた。俺はこの男と気が合わないと。殺意が沸くことはあったがいつも堪えてきた。その殺意という小さな蛹が11年かけて成虫になってしまった。真っ黒で赤い目を持つ巨大な百足の様な物が心の中で暴れる感覚に支配された。そいつは僕に語りかけた。

「毒が良い。猛毒を飲ませろ。あと、ピッキングの練習と泣く芝居ができるようにしておけ」

 従わなければ大変なことになりそうだった。僕は怯えながら、彼しか食べないヨーグルトのパックに注射器を使って毒を混ぜ込んだ。

 そして、空になったパックを回収して公園のゴミ箱に捨てた。

 翌朝、弟の部屋に行った。弟は休日の夕方頃起きるので今日は両親もあいつの姿を見なかったようだ。

 弟は就寝前に部屋に鍵を掛けることは知っていたので針金を使って開けた。これは何度も練習した。あいつの警告がなければ手間取っていただろう。

 皮手袋を装着してドアを開ける。ベッドの中で息を引き取っているはず。そう思って掛け布団を剥がすと、案の定死んでいた。確認のため、みぞおちを触ると心拍がなかった。

 両親は出掛けている、このまま放置しておけば遺体の発見は翌日の夕方、若しくは月曜日の朝になるだろう。両親はピッキングができない上、騒ぎを恐れる性質がある。

 一先ず安心して掛け布団を元通りに戻して、ドアの鍵も針金を使って閉めた。

 さて、あとは成り行きに任せることにした。


月曜日 9時頃


 弟の遺体が発見された。両親は大泣きして泣き崩れていた、僕もその場では泣いた。

 遺体をよく見ると敷き布団の下に小さな紙が挟まっていた。両親がショックで泣き崩れている中、そっと移動してその紙を抜き取り、ポケットにしまった。その後、気分が悪くなったと伝えて部屋を出た。紙を確認すると、目を疑うようなことが記されていた。


(見たぞ。お前の罪は必ず裁く)

 可愛らしい丸っこい字体なのに、震えが止まらない。

 この字体はミスリードを誘うためか?いや、どうやってあの部屋に入ったんだ?窓から?2階なのにどうやって?まてまて、この紙はあいつが寝入る前からあったかもしれない。そう、上半身までしか掛け布団を捲らなかった。だが、誰かからのメッセージなら、俺は殺されるかもしれない。

 色んな考えをしたが、逃げることを優先した。半年以上は身を隠さなければならないだろう。


 母親から検死の結果を聞いたが、トリカブトの毒で間違いないそうだ。アコニチン系アルカロイドの作用により細胞活動が停止したとかどうとか言っていた。そして胃の中にヨーグルト残っていたことから、ヨーグルトのパックを探したが見つからなかったという報告も受けた。

 勿論疑われたが、服毒した時間はテレビを見ていたと伝えて、その番組名と概要を説明して難を逃れることができた。

 母親は大きくため息をついて言葉を紡いだ、警察が自殺として処理したがっていることを嘆いて泣き出した。

「誰かは分からないけど絶対に許さない」

 思わず笑いそうになったが、同情するふりをしてから明日も仕事だからと伝えて電話を切った。

 もっと早く発見すれば違う結果になっただろうがと言いそうになった。母親は発見が遅れたことを棚にあげている。

 とりあえず、県外で半年ほど暮らすことにした。警察の押し問答が厳しすぎて精神的に堪える。あと、あの紙の真相を探らなければならないからだ。

 スマホを操作して、隣の県のビジネスホテル一覧を調べた。

 


 〈恭子の手紙〉

 私は息子たちに平等に愛を注げていたのでしょうか。次男の宏樹は夫の子ではないのですが、私の血を継いでいるとこは確かでした。

 夫は勘づいてもいません。カモフラージュとして、あの人と交尾した翌日に夫とも避妊具を外して交尾したからです。そう、夫より何倍も給料を稼ぎ、他者に対しての心の余裕もあり、人当たりの良い好青年でした。あの好青年、翔太との不倫関係は私が身籠った瞬間に終わりました。翔太はビビりだったのです。それに加え、もう1つ理由があるかもしれませんが、、、。とにかく今は何処にいるかも分かりません。

 話を戻します。私は宏樹にはとても甘く、俊哉には厳しく接していました。翔太の血を継いでいる分やはり宏樹の方が可愛らしく、聡明であることは確かでした。芸術に関しては全くといって良いほど才能を見せなかったのですが、勉強と運動は得意にしていました。

 俊哉は勉強と運動は人並でしたが、芸術の感性が抜きん出ていました。この才能を伸ばせば金になるかもしれないと、小学生の高学年の頃からピアノ教室と絵画教室に通わせました。絵画教室は月謝が高く頭を抱えましたが、夫は先行投資と割りきってくれて助かりました。

 宏樹はもしかしたら、自分は兄のように期待を向けられていないと感じていたのかもしれません。彼が小学生の頃、俊哉が取った賞状を忌まわしそうに睨んでいるのを見たことがあります。私はそっと宏樹を抱き締めて、「貴方は運動と勉強が出来るじゃないの。得意不得意があって当然。気にすることはないわ」と言いました。宏樹は頷いて機嫌を直し、部屋に戻っていきました。

 俊也と宏樹はどうしても仲良くなりませんでした。宏樹が中学3年生の頃、俊哉は高校2年生で、絵で小遣い稼ぎをするようになっていました。

 私たちの教育が実を結んだようです。宏樹は県トップクラスに偏差値が高い高校に進むため、必死で勉強していました。深夜にヒステリーを起こすくらいには必死だったようです。

 そして高校入試の結果は合格で、私も涙を流して喜びました。宏樹は放心していました。よほど、疲れていたのでしょう。その日は寿司を食べて祝いました。珍しく、食卓で俊哉とも会話が出来ていました。

 俊哉は「ヒステリーを起こされないよう細心の注意を払っていた」と笑いながら言っていました。宏樹は「もうしばらくはないから安心してくれ」と言っていましたか。もうしばらく?あのヒステリーの原因は別な所にあったのでしょうか。

 寿司を食べ終えて、宏樹は合格祝いでパソコンが欲しいと言いました。勿論、買ってあげました。

 夫は5万までと渋っていましたが、今は5万もあれば中古で結構良いスペックのパソコンが買えます。それも入門機なので、私が選んであげました。OSも最新版をインストールしてプレゼントしました。

 パソコンを受け取った時の素直な明るい笑顔を見て、私は感激したのを覚えています。

 ああ、翔太と一緒だったらもっと喜べた。暗い感情も沸きました。


 宏樹は高校生活も順風満帆に過ごして、彼女も作っていました。リア充と呼ぶのでしょうか。

 勉強もスポーツもできる好青年ならばモテない訳はないので、私も鼻が高くなりました。

 俊哉は大学進学もせず、就職もせず家に引き込もって絵を描いて、金を儲けていました。フリーのイラストレーターのような仕事です。仕事が終わると家から出ていって、釣りに行くか、イラストレーターの友達とオフ会で会いに行くか適当に過ごしていました。

 家事を手伝ってくれと言いたいのですが、あのカードを握られている上、割りと高い家賃を徴収しているので文句は言えませんでした。夫は、進学しない上、就職もしないという意向については難色を示して、酒が入ると愚痴をこぼすようになりました。その度に「家賃の徴収でいままでの投資を回収できるから。俊哉は内向的で嫌みったらしいけど、悪い子じゃない。自慢できる子よ」と言って宥めていました。

 勿論、私も夫と同意見でなんなら家から放り出してやりたい気分に駆られてしまうことがありました。ですが、報復が恐かったのです。俊哉は昔から切れると手がつけられなくなりますから。それも、肉体的な恐怖では無いのです。

 過去の汚点を暴く脅迫です。現に弟と血が半分しか繋がっていないことが暴かれてしまっています。このカードを切られまいと必死になっているのに、誰も分かってくれません。

 ああ、苛立たしいあの野郎。手首を掻き眼を充血させてしまいました。気付くと手首は真っ赤に腫れていました。

 また変な方向に脱線しました。話を戻します。宏樹が大学3年生になった時です。彼は夏休みの2ヶ月をこの家で、半ば引きこもりのように生活しました。どうやら、物凄い集中して作品を作っているようです。タイピング音が聞こえることから、恐らく小説か脚本か何かでしょう。

 大学生活で得るものがあったのでしょうか、顔が見れないのは残念ですが、ここまで集中しているのは受験前以来でしたので懐かしい感じがしました。

 引きこもり始めて1ヶ月と3週間が過ぎた辺りで一段落着いたのか、青髭を生やして部屋から出てきました。そして、廊下で運悪く俊哉と対面しすれ違う形になりました。私は陰ながら様子を観察しました。宏樹が、すれ違う瞬間に何か言いました。「ーーーはどうだ?ーーーー知っているぞ?」と言っていたのでしょうか。うまく聞き取れませんでした。

 俊哉は恐ろしい眼で振り返って宏樹を睨みました。宏樹は目線を数秒合わせて鼻で笑って家から出ていきました。

 何故か、また戻ってきて2日後の朝には死んでしまったのですが。私は犯人は俊哉に違いないと睨んでいます。共犯の可能性も考えたいのですが、それはよしとしましょう。

 私が知っているのはここまでです。しばらくは立ち直れそうにありません。この手紙を読んでいる貴方は、真相を暴いてくれるのでしょうか。


 




 上等だ。恭子さん(お義母さんになるはずだった人)の手紙は補足のようなものだった。彼が1ヶ月半以上掛けて作った小説には真相が描かれていた。

 彼は、私が決めた小説のテーマを布団に挟んで息を引き取ったのだ。そして、あの紙は回収されている。勿論、犯人によってだ。

 あの注意深い俊哉を見付けて最後は同じ形で死に至らしめる。それで私はこの小説を発表する。彼は、天国で喜んでくれるだろうか。そう、芸術作品は作者が死んでから高い評価を受ける物が少なくない。

 私は、自分の頬を両手で叩いて気合いを入れてから彼の実家を出た。

 俊哉の足取りを掴むのに5ヶ月以上掛かった。彼のTwitterのアカウントを見付けて、最近投稿された地域付近で顔写真を道行く人に見せて確認してようやく見つけた。あとは、作戦が上手くいくよう練習するだけだ。

その前に宏樹の本当の父親に話を聞かなければならない。あの小説では、共犯者が居たのだ。

 共犯者の名前は翔太だった。

 私は、翔太のことは一応知っている。俊哉とは違う方向で屑だった。

 彼からしたら、私のことなど覚えていなくても当然なのだが。

 それよりも、彼が無事か心配だ。なるべく急いであのアパートに行かなくては。

 愛車のインプレッサに乗って、国道を走り出した。

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