第37話
いくら歩きなれた場所であっても、ある時初めてその存在に気が付く。そんな物や場所がある。
僕の場合、それは者だった。
僕はその日も、いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ時間に登校したはずだった。バスを降り、校門までの道を歩いていると、前方に、僕の目を奪う黒髪があった。
なんとなくわかった。
六条さんだ。
背筋がよいおかげで、もともと高かった身長がさらに際立っている。体幹がブレず、胸を張って堂々と歩いている。周囲の人間とは、明らかに雰囲気が違う。
だが僕は彼女の存在に、つい最近まで気が付いていなかった。ぼんやりと、背景に同化していた。それがなぜ今更になって、前面に躍り出てくるのだろう?
六条さんもまた、規則正しい生活を送っていることだろう。ここ最近ずっと見かけていることからも、これまでだってすれ違っていたに違いない。
僕の眼は節穴だったのだろうか。鷲頭から言われたように、人を見る観察力がないのだろうか。紙の上のものばかり追って、目の前の現実に目を向けていなかったのだろうか。そんな反省を、今更ながらにしてしまう。
六条さんは、校則通りの制服であった。スカートなど、ちょっと長すぎるくらいではないだろうか。地域によっては、スカートの丈が長いほうが不良の傾向ありとして取り締まり対象になるらしい。校則順守の姿勢は感心だが、ここまでくるとなんだか不自然である。
もう春も深まり(こんな言葉遣いは見たことないけれども。「秋が深まる」の方では腐葉土が積もる感じがするので間違いないが、春に対しても使っていい表現なのだろうか?)、上着ももういらないのではと思うくらいには、暖かくなってきている。その暖かさの中でも、六条さんはストッキングをはいていた。しかもずっと厚手だ。秋葉原でのあの姿を目撃してしまった僕としては、どうにも解せない。
解せないと言えば、あの登校用のカバンもそうだ。昭和の映画から出てきたのかと思ってしまうくらい古風な、通学用の学生鞄、あの革の手提げカバンを持っていた。この学校には、事実上校則がないも同然な空気があるから、別に服装検査も存在しない。だから過激なまでに制服をきっちりと着るのもすでに不思議なのだが、特にカバンの指定もされていないのに、あの学生カバンを持ってきているというのは、一体どういうことなのだろうか。(そういえば、朝比奈に至っては青いボストンバッグを持ってきていた。ちなみに、この学校のたいていの生徒はリュックサックで登校している。アホみたいに大量の教材を持ち運ぶガリ勉ぞろいだから、そうでもしないとやっていけないのだ。ほぼ登山用の巨大なリュックサックに、紙の辞書やら参考書やら、はては過去問までしまい込んでいる生徒は、尊敬のまなざしを向けられている。ちなみに僕らは、オタク特有の事情でパソコンを持ち込んでいるから、これまた大きなリュックサックになっている。)
校門を過ぎた。いつの間にか、六条さんとの距離が縮まっていた。
向こうから先生がやってくる。たしか物理学の先生である。僕はいつもの癖で会釈しようとした。時代の流れとはいえ、声を出して礼をすることを恥ずかしがってしまうとは、僕もシャイというか、面倒なやつである。
良い声がした。聞き覚えがあった。
六条さんが、しっかりと声を出して先生にあいさつしていた。普段ならあだ名か、ちゃん付けで呼ばれて、からまれるように接せられることの多い先生は、ちょっと困惑しながら答えていた。
なんだかあの挨拶をまた聞きたくなって、僕は六条さんに、「おはよう」を言った。
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