第8話
相馬「まあまあ君たち、ボクの推しの話を聞き給え。まずは彼女が年下の主人公と同じクラスになるために留年するところから…」
鷲頭「おいおいおい。それって愛が重いキャラっていうより、ただの馬鹿か、『やべーやつ』って総称される頭おかしいだけのキャラじゃねーのか?」
そんな会話が繰り広げられた。僕はふとさっきの鷲頭との会話を思い起こしていた。人には何かを手に入れたい、何かを支配したいという欲望があって、それがしばしば恋愛感情と誤認されるならば、その客体となりたがるこのタイプの萌えとは、一体全体何なのであろうか、と。
支配されたいという欲望、と書いてしまうと思考がずれてしまいかねない。それは被虐嗜好とかに関する、サディズムとマゾヒズムの議論になってしまう。
確かにこの概念の提唱者はこの嗜好が、実際には人類普遍に潜在しているのだと唱えた。しかしそれは、どちらかというと、全体主義やナチズムに関しての議論ではなかったであろうか。
それが萌えと結びつくとは、どうしても思えなかった。
なにより、性愛との関係が深すぎる言葉だ。
萌えと性愛を混同したくない。
そりゃあ、完全に別物だと宣言することは、困難だろうけど、まあカップルに対して『それは性愛ですか? それとも全く違う何かですか?』と問う並みに無粋なことだろう。性愛をそこまで敵視する意味もないし、性愛と恋愛を使い分けてこそ一流の日本語話者だろうて。
じゃあ一体全体、『愛が重いキャラ』への萌えとは何であろうか。相馬の演説をじっと観察する。そして遠い記憶の、そんなキャラに萌えていた自分を観察する。
「…してくれる」
という単語が頻出した。
そして「嫉妬」も。
そしてそんなキャラの行動は、言ってしまえばワンパターンで、頭のおかしいキャラの要素でもない限り、その言動の範囲は狭かった。
恋愛対象を束縛しているようで、束縛されている。
拘束するようで、拘束されている。
囚人をとらえたら、誰かがずっと見張らざるを得なくなるように、愛で縛り上げるという行為は、自分をそこに縛り付ける行為でもあった。
縛って、縛られる。
その重い関係性が双方を縛るロープとなり、手錠となる。
もしかしたら、『愛が重いキャラ』に萌えるというのは、遠回しな支配欲と征服欲の発露のように思えてきた。
共依存とは、近くて遠いようだけれど。
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