9
スノティーの仮拠点を出発した二人は細い通路を歩き進んでいた。両側に聳える氷壁の所為か更に冷えた空気がユーシスを包み込む。だがそれなりの恰好をしているユーシスに対し、スノティーであるセツは春先のような服装だった。
「どれくらいかかる?」
「少し歩きますがそこまではかかりません」
それからもただ黙って足を進めていた二人だったが、ユーシスは時折セツが自分の方を見遣るのが気になっていた。
「なんだ?」
「あっ、いえ。その――もしかしてあなたが白狼なんですか? ウェアウルフの事は良く分からないので違ってらすみません」
だがセツの予想とは裏腹にユーシスは首を傾げて見せた。
「白狼? それはなんだ?」
「え? 白狼ですよ?」
まるで虚を突かれたような表情のセツ。
だが依然としてユーシスの頭上には疑問符が浮遊していた。
「他のウェアウルフは知らない。昔からな」
「あぁ。そうだったんですか。すみません」
「別にいい」
ほんの少し顔を俯かせたセツだったがユーシスは言葉通り全く気にしていなかった。そしてセツは詫びるかのように白狼についての説明を始めた。
「白狼と言うのはウェアウルフの原種です。種族によって異なりますが白狼は姿を変えた時、他のウェアウルフと外見が違っていて名前通り雪のように真っ白な毛を身に纏ってるらしいです。月明りに照らされたその姿は美しく神々しいものだとか」
「その原種ってのは?」
「はい。原種と言うのは何て言うんでしょう。――その種族の始祖だと言われています。本当かどうかと訊かれれば正直分からないんですけど、これは全種族において共通の認識だとか。つまり種族の始まりの存在の血縁が原種という訳です。その種族の中で最も血は濃く、最も力を発揮出来る存在だとか。大抵の場合はその原種が一族を収めていますね」
「お前らもそうなのか?」
「はい。エイラ様とルミナ様が僕達の原種様であり同時に僕達を導いてくれています。――それなのにエイラ様は人間の手によって……」
拳を握り、眉を顰めながら下唇を噛み締めたセツの表情は彼らにとってこの二人がどういう存在なのかを物語っていた。
「すみません。先を急ぎましょう」
それからもユーシスはセツの後に続きブゥアージュを目指した。
「僕はここまでです」
そして二人が出発してから暫く歩いた所でセツの足が止まった。
「ここを真っすぐ進むと大門があります。その向こうがブゥアージュです」
セツの指差す方向には、青空とも大海原とも違う青の氷洞が伸びておりどこか異世界へ繋がっていそうな雰囲気を醸し出していた。
「エイラ様の事、よろしくお願いします」
「やれる事はやる」
ユーシスはその言葉を残し、氷洞へと歩みを進めた。更にひんやりとした一本道の氷洞。そこまで長くはなく、間もなくして視界が広がった。
それは本当に異世界へ来たのではないかと思うような場所。先程の氷洞と同じ氷壁がドーム状に辺りを覆っていたのだが、その広さは雪山の内部にある事を考えると目を瞠るものだった。そして少し続いた道の先にはセツが言っていた通り大門が建っていたのだが、そこに扉は無くただのアーチが口を開けているだけ。そんな大門の向こうには更に道が伸び、その先にはルミナの説明通り見上げる程の王城が威厳を放ちながら聳え立っていた。
だが、真っ先にユーシスの視線を引き付けたのはこの空間でも雪山内部に聳えるブゥアージュという稀有な国でもなく、正面の道。正確には、その道を歩くスノティーの人々だった。しかも一人や二人などではない。大人から子ども、老人まで年齢も様々。
そこにはまるで今も国として機能し、日常を送っているかのように――いや、そうとしか見えない光景が広がっていた。
「一人だけじゃなかったのか?」
足を止めその光景を観察するように見つめるユーシスは少しだけ眉を顰めた。
「にしても異様だな」
そう呟きながらも感覚と理解とのズレの所為で自分の事でありながらもイマイチ腑に落ちない気分を感じていた。何がどう異様なのか自分でも分からない。だがそこには確実にその感覚が存在していた。
そんな感覚を胸に抱きながらもユーシスは兎に角、歩みを進め始めると大門へと向かった。扉は無いはずだが中のスノティーは誰一人としてユーシスの方を向かない。見えない壁があり外が見えていないかのように。
そしてついにユーシスは警戒しつつも大門を潜り一歩ブゥアージュへと足を踏み入れた。
その瞬間、つい先程まで普通に歩いていた男性も端に立っていた女性も楽し気に話していた親子でさえも例外なく全てのスノティーが同時にユーシスへと視線を向けた。氷像のようにピクリとも動かず、その表情に感情は無い。ほんの数秒まで笑みを浮かべていた者でさえも今は無表情。どちらかが少しでも動けば均衡が崩れてしまう達人同士の睨み合いの様な雰囲気の中、ユーシスもただじっと佇み辺りへ目をやり続ける。
「(コイツらは一体何なんだ? 見たとこアイツらと同じ種族みたいだが――だとすれば話が違う。生き残りがこんなにもいたことになる)」
この均衡を――この状況をどうすべきか。そう考えていたユーシスだったが、沈黙を破ったのは相手の方だった。
何かしらの掛け声でもあったのかユーシスの視界にいる全てのスノティーが同時にどこからか武器を取り出し構えた。そしてスノティーは一斉にユーシスへと跳び襲い掛かった。
「チッ!」
まだ考えがまとまらぬ内に先手を打たれ思わず舌打ちを零したユーシスだったが、すぐさま傍の屋根上へと逃げた事で攻撃の雨を浴びる事は無かった。
「面倒な事になったな」
つい先程まで自分が居た場所へ群がるように集まった攻撃的なスノティーを見下ろし呟いたユーシスは、そのまま身を隠すように動き始めた。中央の王城へ向かいながら屋根伝いに移動して行く。身を屈め見られないようにしながら。
だが下の道へ視線を移してみればそこには数人のスノティーが依然と武器を手にユーシスを追っていた。
「どこかに隠れてやり過ごすか」
呟きながらも足は進め辺りを見回してみる。
すると家と言うより倉庫のような建物の三階にある窓が半開きになっているのを発見した。誰もいない事を願いながらユーシスはその窓から中へと飛び込む。中は思ったより狭く屋根裏部屋のようだった。埃っぽくて長い間、触れられていない箱が幾つか置かれているだけ。
そこでユーシスは物音を立てず静かに身を顰めた。
「操られてるのか? 全部やっちまいたいが、だとすればそうもいかねーか。思ったより厄介そうだ」
言葉を追いかけるように零れる溜息。
その間、建物の外周辺では音が集まり散っていく。それから日常的な雑音が戻るまでそう時間は掛からなかった。
ユーシスはフードを深く被ると警戒しながらも建物内を一階へと下りて行き、正面玄関から自然に外へ。脳裏ではここへ足を踏み入れたあの瞬間を思い出していた。
「こっち! こっ――」
ドアを出て左手。出る前から聞こえていた子ども達の声はユーシスが外へ出た途端に途切れた。不自然なほど突然に。
それに合わせるようにユーシスは足を止め声がしていた方をそっと見遣る。
すると彼の視界が子どもの姿を捉えたその瞬間。ユーシスは一気に顔を動かしながら体を一歩、後ろへと退かせた。すれ違うように眼前を通り過ぎて行く子どもの双眸に愛らしさは無く、その手にはナイフが握られている。刃先は喉元を紙一枚分で外れ空を切った。
その子どもが一回転し着地するまで目で追ったユーシスだったが、顔を上げ周りを見回してみればもう既に武器を手にしたスノティーに囲まれていた。
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