かわたれ時の愛部屋

長久

第1話

 『誰かに必要とされる』

 とある男にとって、それこそ承認欲求が最も満たされ生きていると感じる事象だった。

 幼い頃から厳しい教育や競争社会に身を投じさせられ、常に他者と比較され叱責を受ける。

 そうして積み上げられた知識によってテストで他者より良い点を取る。重ねてきた練習によって、スポーツ競技で他者を蹴落とし勝利する。

 そしてまた上を目指して戦う。

 そんなものに意味なんて感じられなくて。

 少しの充足感も、愛も得られなかった。

 結局女は、頭脳明晰だったりスポーツができる男より、容姿端麗でコミュニケーション能力が高い男を選ぶ。

 親は自分の遺伝子から優秀な子を輩出したいんだ。

 家族は人に自慢できるような、立派で秀でた身内が欲しいと言う。

 落ちこぼれると、まるでいなかった存在のように扱われてしまう。

 男にとって、『必要とされない、見てもらえない』というのは最も恐ろしい事であった。


「――俺は必要とされたい。認められたい。求められたい。他の誰かじゃなくて、俺を必要として欲しい」


 その為だけに、男は誰かに必要とされ求められる医者となった。


「――ああ、美しい。やっと得た栄光だ。本当、なんて美しいんだろうね」


 カーテンを閉め切った部屋、何者にも邪魔されない場所。

 彼は誰時かわたれどき薄白うすじろい明かりがカーテン上部に空いた隙間から天井を照らしている。

 十二畳程度の寝室中央に置かれたキングサイズのベッド上に横たわったまま、男は右隣の女へ顔を向け呟いた。


『私、大好きよ。貴方が頑張ったから、とても頑張ったから。私にはあなたしかいない』

「ありがとう。俺も、お前の事が好きだよ」

『私、幸せだなぁ』

「君の幸せが俺の幸せだよ」

『もう、あなたがいなきゃ生きていけない』

「ありがとう、そんなに俺の事を求めてくれて」

『本当に素敵……。あなたの事だけを愛してるわ』

「俺の気持ちは、愛なんて言葉じゃ言い表せないよ」


 好き。

 幸せ。

 求めている。

 愛している。

 上っ面の言葉なんかじゃ何も満たされない。

 言葉よりも、もっと心に響いて、脳が震える証が欲しい。

 疑う余地もない程の確かな愛の形が必要だ。

 そうでなければ、この世に存在しているという実感が湧かない。


「――ねぇ、そう思うでしょ?」


 キングサイズのベッド上で横たわりながら、男は反対の左側に顔を向け問いかける。


『うん、本当にそう思うわ』

『あなたはいつも正しいよ』

『愛してるわ』

『あなたは必要とされている』

『私達は幸せよ』

『愛してるわ、兄さん。愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる』

『私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も私も』

『大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切大切』

『貴方だけ貴方だけ貴方だけ――」

「嘘は嫌いだなぁ……」


 男が不快そうにつぶやいた。

 途端、キングサイズのベッドをきしまませる程の大人数から発せられていた声がピタリと止み――ギシギシという振動も止まる。


「俺だけって言ったよね? 俺ね、知ってるんだよ。昨夜、カーテンの外を向いてた事をさ。俺だけならそうはならないよね? 俺だけを見ていればそんな方向を向かない俺だけを考えてれば瞳は揺らがない俺だけをみないで他の何かを見ようとするのは――裏切りで嘘つきだよね?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「そんな、泣かないでよ母さん。大丈夫、母さんは悪くないよ。俺、解ってるから」

「ありがとうありがとうありがとうあり――」

「――悪いのは、俺と誰かを比べようとしてしまう。そんな誰かを知っている瞳なんだよね。ちゃんと解ってる」

「――……」


 男はベッドから身体を起こして伸びをする。


「みんな、朝ごはんだよー。はい、点滴ラインつなぐね」


 ベッドから降りた男は、部屋の片隅に置かれた冷蔵庫へ歩きながら、ご機嫌そうに話しかける。

 ベッド脇に置かれた無数の点滴カートへ栄養剤や薬品の入ったパックを吊るし、透明な点滴ラインへポタポタと垂らしていく。

 身体に刺さる留置針りゅうちしんを通じ、ラインをつたった液体は体内へと至る。

 部屋中の人間の体内へ、ポタポタポタポタと液体が入っていく。

 他ならぬ男の手によって、命を繋ぐ液体が届けられる。

 一滴、一滴と体内へ入っていく様を観るのが、たまらなく男の心を満たす。


「ああ、俺がいないと――みんな生きていけない。俺は間違いなくみんなに必要とされている」


 美しい日の出を見たように恍惚とした表情を男は浮かべる。


「――さて、母さん。悪い瞳は取らないとね。でも、どうしようかな。今は悪い眼球を取れるような道具なんて……」


 男は顎に手を当て、小首を傾げながらクローゼット内に入れられた収納箱を覗き込んだ。

 血でびついたノコギリや包丁、ナイフを持ち替えては「これじゃダメだ、ダメだ、母さんを嘘つきにしちゃう。愛を証明できない」と悩ましげに眉を寄せる。


「許して、もう二度と他の何かなんて見ない。貴方だけ貴方だけ貴方だけだから……ッッ」


 男へ縋ろうとするも、女性の脚は両大腿部から先がなく――、ベッドから転落した。


「貴方だけ貴方だけ貴方だけだから……ッッ」


 必死に手だけでフローリングを素早く移動し、男の足元へとすがりつく。


「――あ、そうだ。ワインを飲んだ時に使ったコルク抜きがあったね。そうだそうだ、良かった!」

「――……」


 己の脚に縋る腕を愛おしそうに掴むと、男は自分の半分ぐらいの身長しかない女性を別室へと連れて行く。

 自分の両手の指と、女性の両手の指を絡ませ、その小さな身体を持ち上げて。

 ブラブラと揺らしながら一緒に移動する。


「ああ、こうしてブラブラしているとさ、仲のいい親子がブランコしながら歩いてるみたいだよね。本当、素敵だなぁ。親子愛を感じるよね。ね、母さん?」


 ブラブラと笑顔で母を揺らしながら、男は寝室から隣室へと移動する。

 ホルマリンの香りと、身体部位しんたいぶいが入ったガラス容器で満たされた部屋だ。

 長さの違う、複数人の手足が芸術品のように飾られている。


「さぁて、ねんねしようね、母さん」


 人形のように軽く小さい母を、男は診療台へ横たえ固定する。

 小走りで数歩歩き、リビングテーブルに置いたままだったバタフライ型のコルク抜きを手に取り戻ってきた。

 

「お待たせ。はい、じゃあ始めよっか。おお、母さんの眼球とコルク抜きの輪っか、サイズピッタリだよ? やったね!――それじゃ、徐々に先端が瞳に向けて落ちていくけど……俺だけを見ててよね? 俺から目を逸らしちゃ、嫌だよ?」


 キリキリキリキリキリキリキリキリと音をさせ、コルク抜きのネジ先が母の眼球へ向け降りていく。


「あ、ぁ、ぁ……イタイタイイタイイタイッッ‼︎」

「母さん、感じるよ。プツッと破れたらあとはドンドン深くまで入っていく。温かい、柔らかいなぁ。感じるよ、母さんの優しい温もりをさ。感じるよ、母さんの愛の温もりと柔らかさを。ありがとう、母さん。俺も愛してる、愛してるから、絶対に母さんを嘘つきにさせないからね?」


 ヌブヌブとめり込んでいくコルク抜きのネジ、ビクビクと揺れる母の身体。

 ピクリとも動かず、慈愛じあいの笑みを浮かべる男の表情。

 コルク抜きのネジが眼球の奥深くまでめり込んでから、男は空を飛ぶ天使の羽のように開いた左右の持ち手をきゅっと握る。


「さ、この持ち手を下ろせば悪い眼は取れるよ? 本当、待たせてごめんね。――今、母さんの愛を証明してあげるからね?」


 左右に開いたコルク抜きの持ち手を、天使が羽を畳むようにグッと下げると――ギュギュギュという音とともに――眼球が抜け出てくる。


「――ッッ」

 

 ビクビクと声も出せずに痙攣けいれんする母、ガタガタと音を立て揺れる診療台。

 男は優しい笑みを崩さず、母の頭をそっと撫でながら、愛を証明する為の作業を継続していく――。


「――うん、これで母さんの瞳は俺だけに向けられてるね。良かったぁ、これで母さんの愛は嘘じゃなくなったよ。ちゃんと俺だけを見ててくれる、素敵な愛の証だよね……」


 ガラスケースに入れられたホルマリンに浸かる一対の眼球を眺め、男は心から安心したように息をつく。


「それじゃ、俺は病院に行ってきます。いい子にしててね、みんな」


 同居人にそう告げて、男は今日も自分の職場である病院へと出勤して行った――。

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