後編

 小屋に近づくと、犬の吠える声が聞こえた。急ぐと家の前には、数人の憲兵がたむろしている。

 アルバに気が付いた憲兵が身構えた。

「この家の住人よ」と先手を打ったものの、なかに入れてくれる気配はない。

 戸惑っていると、家の中からダニエルがレオンハルトを抱え出てきた。


「ダニエル、なにして……!」

 近づこうとするも憲兵に阻まれる。彼女の声に瞼を開けたレオンハルトはゾッとするほど冷たい眼差しでアルバを射すくめた。

 どくん、と心臓が不自然な鼓動を刻む。

 次の瞬間、憲兵に押さえつけられ、状況を呑み込めずレオンハルトを見上げた。

「やめろ、それは何も知らん」

 地面に這いつくばったまま、アルバは困惑する。

「殿下、この娘はどうなさいますか?魔女の娘。このまま捨て置けば、母親同様、王家に反旗を翻すのでは」

「これに書かれている意味も分かっていない愚者だ。放っておけ」

 その手には、古ぼけた書物が握られていた。レオンハルトとアルバを繋ぐ唯一の品、呪いを解く手がかり。

「国のいしずえを脅かす証拠も回収できた。帰るぞ」

 それだけ告げるとレオンハルトは沈黙し瞳を閉じた。


 気づけば、グレイが慰めるように頬を舐めている。よろよろと立ち上がり家に戻ると、狭い室内は見るも無残に荒らされていた。

 インク壺から零れたインクが床に黒いシミを作っている。じわじわと滲む汚れに、アルバの涙が混ざった。

 

「今は遊ぶ気分じゃないの。放っておいて」

 スカートの裾を無邪気に引っ張るグレイ。いつもなら聞き分けのいい番犬が粘り強くアルバの気を引こうとする。

 外へ誘うようにグレイは尻尾を振った。ついていくと建物の裏手の木の根もとをしきりと掘っている。


 一緒になって掘り進むと、古ぼけた紐綴じの紙束と革袋が出てきた。

 紙束は母の日記帳のようで、古代文字で書かれていた。懐かしい癖のある文字を指で追いかける。

 母は呪いの進行を遅らせるように王に請われ、王宮に招かれていたようだ。


『元を絶たねば王太子は苦しむばかりだ。【受け皿】を解き放つ術は完成した。王の目を覚ますため、謁見を申し込む』


 母は優秀な魔女だったのだ。興奮してページを繰る。

 しかしアルバの手は次のページでぴたりと止まった。


『我が子を贄にする行いを正すも、王は【受け皿】を廃することをよしとしない。そればかりでなく、私の命ともども秘術を闇に葬ろうとしている。一刻も早く王宮を去らねば』


 かさりとページの隙間から紙切れが落ちた。レオンハルトの美しい筆跡。


『王家が犯した罪は俺自身で償いたい。アルバ、文献のことはすべて忘れろ』


 まさか、母は事故で死んだのではなかったのか。そしてアルバもまた狙われていたのだとしたら。


 革袋には一生遊んで暮らせるほどの金貨が詰め込まれていた。

「立派な王様になるんじゃなかったの……?」

 そばに居てくれる番犬にもたれかかりアルバは鼻を啜る。 泣いていても始まらない。袖で目元をこすり、アルバは決意した。


 手首が豪華な寝具に埋もれていた。

 アルバは愛しさを込めてそれを撫でる。時おりぴくりと動く指先や、温かく柔らかな手の甲に、思わず笑みがこぼれた。

 断面から立ち上る黒い影はアルバをも喰らおうと触手を伸ばす。それを握りつぶすと、じゅっと音を立てて塵となった。


「魔女よ……」

 寝台脇に控えた大臣にむかって、アルバは安心させるように頷く。

「唯一生き残られた殿下を、必ずお助けいたします」

 アルバの言葉に、重臣たちはざわめいた。ある者は安堵し、別の者は周囲と何事か相談を始める。


 王が崩御し、後継者争いが起こっていた。

 その前年に【受け皿】の事実を知る王族たちは謎の奇病で死に絶えており、生き残った王太子の病を癒すことができる魔女として、アルバは王宮に招かれている。

 王族派はレオンハルトの復活を今か今かと待ち望んでいるが、反王族派は分家の男子を王位につかせようと暗躍していた。


 ー私には関係ないことだ。

「では、治療を行いますので皆様はお引き取りください」

「私は殿下をお守りする身。立ち去るわけにはいかん」

 十年前、レオンハルトの護衛を務めていたダニエルが言った。薄いヴェールの下でアルバは目をすがめる。

「殿下に施す治癒術は健康な人間の生気を吸いとりますよ。それでもよろしければ……」

 青褪めた表情で退出していく重臣たちをアルバは嘲笑う。


「お前はやはり……」ダニエルが声をあげるも、アルバは答えなかった。

 記憶を頼りに術を完成させ、レオンハルト以外の王族を排除し、王宮に潜り込むまでに十年。

 アルバのしてきたことを知ったら、レオンハルトは怒るだろうか。

 それでも助けたいのはただ一人なのだ。


「レオン、一緒に頑張ろう」

 指を握ると、応えるように握り返された。彼が身体を取り戻しても想いを伝えようとは思わない。

 アルバにとって、このぬくもりが何よりも大事なのだ。

 彼への想いは解呪にすべて込めよう。

 深呼吸してアルバはレオンハルトの顔を思い浮かべたのだった。

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魔女の娘と贄の王子 ヨドミ @yodo117

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