ビーム令嬢

比古胡桃

その1 婚約破棄拒絶令嬢

 しがない平民でしかないフラウ=ユーグは困惑していた。

 目の前で、突然婚約破棄騒動に起こされているから。


「シャルティア=レイ=ザ=レイ=クレッセンセティア、キミとの婚約は今日この場を持って完全に破棄とするッ!!」


 困惑の理由は大体三つくらい。

 第一の理由は会って十五分くらい、少し話しただけの相手が将来の名君と目されているメルクリオ海洋国家の第一王子……リオルネウス=ド=メルクリオ様だったこと。


「これまで何度も何度もキミの理不尽を耐え忍んできたが、もう我慢の限界だ!! 彼女の優しさに触れ、淑女の有るべき姿を僕に思い出させてくれた……!!」


 第二の理由が暗い表情をしていたものだから体調が悪いのかと声を掛け、フラウの持つ魔法で癒やしをかけた瞬間ボロボロと涙を流しながら手を引かれて、皆の前に連れてこられたこと。


「ようやく目が覚めた!! やはりキミは令嬢として……将来の妃として認められないッ」


 第三の理由が学園の正面玄関前ど真ん中で婚約者であるはずのシャルティア様に対して婚約破棄を言い渡したことでした。


「えっ、イヤですけど」


 くすんだ灰色がかった白亜の髪を揺らしながら、あっけらかんとにべもなく切り捨てます。とりつく島もありません。

 彼女こそ、この国の話題の中心。あまねく障害を排し、あらゆる外敵を一蹴。公爵令嬢という地位ですら覆い隠せないほどの理不尽の持ち主。体系立てて、専門の魔法使いが何百人何十年と理論を並べた末に発展してきた魔法史に唾を吐く特異点。

 火、水、風、土、光、闇……その他諸々の派生がある属性魔法。属性魔法以外の無色魔法。そして、魔法の才を強く持って生まれたが気付くことなくマナを内側に溜め込んだ結果身につく特殊な魔法が固有魔法。私、フラウが当てはまるのは最後。

 しかし、シャルティア様の使う魔法はどれにもあてはまらない。誰も名前を知らない。

 だから、皆、本人の言った言葉をそのまま引用しているのです。

 曰く【ビーム】

 末尾に魔法をつけるな、とのこと。純然たるビームと呼ばれないと不満なのだとか。

 転じて『ビーム令嬢』

 ハチャメチャの権化。


「あ、あのぅ……」


 まさか学園に入学してたった数日で、人生が終わりかねない出来事にぶつかるだなんて思っても居なかったフラウの頭の中は混乱通り越して冷静さで満ちている。

 選択肢を誤らないために全ての思考が総動員。後ろ盾も何もなければ、教育だってきちんとしたものを受けたわけでもないフラウ。貴族の多い魔法学園での新生活は罠だらけの森の中を歩くに等しいとは思っていたけれど、初っぱなから大型魔物用のトラップに巻き込まれるだなんてどんな不運だろう。雷に打たれて即死するのが不運の第一位だとするなら、多分その三つしたくらいにはランクインすると思う。


「一回、落ち着きませんか……? こんな公の場で、勢いに任せて決める話じゃない、と、思うんですけど……」


 とりあえずの提案。王族の婚約破棄だなんて国の屋台骨を左右する一大事。フラウが取った何気ない行動がリオルネウス王子の何かに触れてこんな行動に出たのでしょう。

 フラウからすれば婚約破棄は確かに一大事だけれど……貧民街のすぐ側で育ったような小市民にとっては遠すぎる事件。正直な話、婚約破棄自体は勝手にしてくれても構いません。フラウにはどうしようもない対岸の火事だから。


「シャルティア様みたいに、お美しくて聡明で、分け隔てなく接することが出来る人格者、他にはいませんっ。ですから今一度考え直しては……」

「ふふっ、場を鎮めるための世辞とはいえ褒められるのは気分がいいですわね」


 ぎくり。背筋が伸びる。


「せ、世辞なんかじゃっ……!!」


 今この場の問題はただ一つ。もしこの場で婚約破棄なんて決まってしまったら間違いなく『婚約破棄のきっかけはフラウとかいう町娘』だと学園どころか王都中に広まってしまう。

 そうなってしまえば、おしまい。家族の生活が楽に出来るなら、と乾坤一擲に学園の招待を受けたのが裏目。何も持って帰れないプラマイゼロどころか、王都から居場所がなくなるというマイナス中のマイナス。


「いえいえ、構いませんのよ。わたくし、聡い少女は好きですから。その上、かわいらしいので」

「えっ、えぇ……??」


 想定外の言葉に頭が混乱。この国随一の有名人は、噂通りの言葉のキャッチボールが苦手な人らしい。


「先は第一王子としてみっともない姿を見せてしまって情けない限りだが、名前を教えてもらってもいいかい?」

「ふ、フラウ。フラウ=ユーグです」


 第一王子とサシで、それも大衆の面前で名乗ることになるなんて。先に知っていたら魔法学園には来ていなかったのに。貧しくても、明日の食事に困ることが多くとも、下町で暮らすことを選んでいた。


「キミのおかげで目が覚めたよ……やはり淑女とはかくあるべし、とね」


 やめてください、胃に穴があきます。とは口が裂けても言えない。令嬢中の令嬢、この国で最も淑女らしい淑女教育を受けたであろうシャルティア様と、ポッと出町娘のフラウを比べる時点で論外なのに、あろうことかこの王子は町娘の方がよっぽど淑女だと言い張る。


「わたくしは全く淑女ではないと聞こえましたが?」


 ほら、案の定、シャルティア様が不機嫌そうに眉を顰めている。お願いだからフラウを間に挟まないでほしい。


「逆に聞くが、キミは今まで自分が淑女らしく……いや、貴族らしく振る舞えていると思っていたのか?」

「えぇ、もちろん」


 きっぱり、はっきり。即答だった。二人の視線がぶつかり合う。


「好きな食べ物は?」

「ジビエ」

「得意な楽器は?」

「ドラム」

「座右の銘は?」

「命を最後まで使い切ってこそ生き様。悔いなしと笑って死に様」

「赤子が泣いている、どうする?」

「二度と己の弱さに苦しまずに済むようにする」

「涙の理由がトンチキすぎません?」


 慌てて口を塞いでも後の祭り。思わず言葉を溢していた。

 リオルネウス様の質問に対する、シャルティア様のトンデモ回答に途中までは我慢できたが、最後がダメだった。


「ほらっ!! やっぱり僕の感性は間違っていない!!」

「先立ちとして、人を導く。貴族として当然の行為だと思いますが?」

「人の在り方を説くのは早すぎますよね」


 言葉がポンと飛び出す。シャルティア様は貴族中の貴族……公爵令嬢のはずなのに、高貴さというか近寄り難さみたいなのが全然ない。ついつい言葉が形を成す。


「ならどうして泣いているんですの?」

「普通にお腹が減ったとかじゃないですか」

「腹が減ったとて、誇りがあれば耐えられます」

「生まれたばっかりなのに、そこまで確立されたプライド持ってたらイヤですよ……」


 ダメだ。この人。


「己が芯を確立してこそ、独り立ちというものでしょう!!」

「いやだから、比喩とかじゃなくて独り立ちしてないんですって。寝返りもこれからなんですよっ」

「寝返るなんて言語道断、腹を切りなさい!! 腹を!!」

「腹から出てきたばっかりなのに!?」


 バカだ。


「そもそも淑女の好物がジビエってなんですか!? 公爵令嬢のたしなみって言ったらピアノとかバイオリンでしょ普通!! あと座右の銘が雄々しすぎる!!」


 慣れない生活を目の前にストレスが溜まっていた。突然の出来事に混乱していた。そして、トドメのシャルティア様のトンチキ発言。

 それら三つが重なった末、爆発。


「い、いいじゃありませんか!! どんなシェフが調理した食事よりも、自分で仕留めた強大な魔物を食する瞬間の満足感の方が上だというだけです」

「んな!? 魔物はジビエじゃないです、ゲテモノですって!! 砂食ってる人間がヴィーガンって名乗るようなもんですよ!!」

「お肉を食べてないのですから広義の意味では間違っていないでしょう」

「しかも、よりにもよって魔物なんて食べるんですか。お腹壊しますよっ」

「それもまた一つの戦い。死して尚、簡単に血肉になるものかという強かさ」

「腐った牛乳飲んでもおんなじこと言うんですか?」


 噛み合わない。一体全体、この方は何を言っているのだろうか。もしかしてからかっているのだろうか。深呼吸して真剣に状況を把握する。

 真っ先に目に留まるのはやっぱり、シャルティア様。

 容姿は誰が見ても綺麗な人だと百人居たら逆人が口を揃えることだろう。背丈は平均以下のはずなのに、しゃんと伸びた背筋がそれを感じさせない。すらりと伸びた長い四肢もシャルティア様の美しい佇まいの素地にある。

 肌はシミ一つない真っ白で新雪のようで、一つ一つのパーツが精巧で美しい上に、文句のつけようのない配置。特級の人形師の最高傑作が動き出した、と言われた方が納得……これが天然で生まれてくるのだから、生命の神秘とは不思議。世界不思議発見。

 一点、公爵家の髪は誰もが艶めく白金のようなプラチナブロンド……のハズなのだけれど、どこかつやがない。それが理由で、シャルティア様をよく思わない貴族は『くすんだ真珠(マットパール)』と揶揄したりする。それだけが唯一にして最大の欠点。公爵家の落伍者なんて悪評を武勇伝と同じくらいに耳にする。

 けれど、フラウにしてみれば、落ち着いたシルバーアッシュも十分に手入れが行き届いて魅力的だと思う。


「やっぱ綺麗ですよね。男性に生まれてたら、この場でプロポーズしてたと思います」

「えっ?」

「あっ、いまのナシで」


 こほんと咳払いをひとつ。なかったことにする。問題なし。

 お人形さんみたいな容姿に相反して、中身はとんだお転婆……通り越して蛮族。ここまでいくとギャップ通り越して設計ミス。

 普段かわいらしい少女が実はスポーツが得意というギャップであれば可愛げがあるが、討ち滅ぼした魔物を貪り食ってジビエと言い張るのをギャップとは言わない。

 かわいらしいパティスリーに、濃厚豚骨背脂マシマシラーメンがところせましと並べられているような落差。


 ちらり。今度はリオルネウス王子を見る。金色の髪に……苦虫を毎秒口にねじ込まれているような表情。

 なんとなく理解した。


「……大変ですね」

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