ただ、変わった

ちょうわ

プロローグ

 この春、私は高校生になった。

 中学生の同級生が誰もいない学校を選んだ。学年を一個とばして三年生を見れば、中学のときテニス部だった先輩が一人いるらしいが、顔も名前も知らない人だ。テニス部じゃないし。元担任に聞いただけ。

 中学のときのことは、思い出になんてならない。忘れたい訳でもないが、わざわざ記憶の容量を使う程大事な記憶にはならない。

 そんなことがわかっていたから、あえて遠い学校を選んだ。

 中学のことを思い出すと感じる、この仄暗い気持ちはどこに投げ捨てればいいのだろうか。

 どうしたらこのままならない気持ちを殺せるのだろうか。

 ちょっとずつちょっとずつ伸びた背は、中学入学前には届かなかった棚に手が届くほどになっていた。

 ――周りは早く大人になりたいとぼやいているが、私はそうは思わない。というか、早く大人になりたいというのも、本質的には早く自由になりたいというだけなのだろう。規律や大人に縛られ、行動範囲やら使えるお金やらに限界が定められている状態が嫌。けれど、きっとみんな心のどこかで知っている。大人になっても、自由は幻想であることを。自由は幻想だから存在しえることを。

 私もそうだ。自由がほしい。でも、ないことなんて知っている。とうの昔に知っている。

 年度始めの今でも毎日毎日課題に終われ、毎日毎日寄り道して帰る友達のSNSを見て心をすり減らし、毎日毎日疲れ果てて眠りに落ちてしまう、大人もびっくりなブラックな生活をしている。これで部活に入っている訳じゃない。体力はもとからないし、気力もなくなった。――いや、気力も元からなかったか?

 けれど、こんなものどうしようもないのだ。毎日遊び呆けている友達は2年後に泣きを見る。その時に、「ざまあみろ、お前らが遊んでいる間に私は努力したんだよ」とあざ笑ってやりたい気持ちがあった。でも、同時に、私もそいつらと一緒に堕ちてもいいな、とも思っていた。人間の気持ちは矛盾だらけだ。それに、流されてやった努力なんて――いや、これ以上は考えるのをやめよう。

 こんなことを、もしかしたら犬や猫や、豚や牛なんかも思っているのかもしれないけれど――私ごときがそんなことを考えてもなんの生産性もない。天才ならば、動物にも感情があるのか、あるならばどれほどのレベルまで感情が発達するのかと研究をするのかもしれないが、その研究が世間様の役に立つのかもしれないが、私は残念ながら興味があっても放置する人間なのだ。――ほとんどの人間がそうなのだろう。人間の世界は、そういうことに手を出してくれる、手を出せる頭脳を持ち合わせた、ほんの一部の天才のおかげで機能している。

 夢も、目標も、明日を望む心さえ失った私は、いったい世界に何を残すのだろうか。きっと、社会を回してくださっている一般人を無自覚に邪魔して死んでいくのだろう。

 ある程度の進学校だから、天才たちが身近にごろごろいた。正しくは、天才の原石たち、だろうか。

 そんな人たちは、上位のクラスで日々切磋琢磨している。

 そう、そんな人たちに、最初のテストで力量の差を見せつけられた。

 2、30、橋本千恵、と可もなく不可もない文字で書いたあと、すぐに手が止まった。それでも食らいついたが、だめだった。

 なぜ私ごときが同じ学校にいるのだろう、と本気で思ってしまう程に。まあ、運が良かっただけで、間違って合格してしまった私と比べ物にならないのは当然なのだ。

 そんな天才たちの中でも一際目立っていたのは、五教科で間違えたのはたった一問だけの――合計500点満点のテストで498点の、浅井遥香の名前。

 窓に貼られた順位表の奥には、散りかけて隙間だらけの桜があった。

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