ヘッドレストにふくらはぎ

長山征樹

第1話・畳とベッドの境目に

 中年になって青春の事すら思い出すのも面倒になった。

 子供を仕込めるような頃になった途端、いやらしい本と映像から仕入れた知恵熱だけがすべてのエネルギー源だったのは覚えている。そこからは断片化された記憶しかなく、ことあるごとにひたすら親以外には相手にされない人生を歩んできた。


 2022年5月。とうとう夏日を迎えた。

 蒸し暑くて、いたたまれない夏がやってきた。


 ベッドは不思議なことに放熱機構が無いので、気がつくと汗だくになって目覚める。そこで僅かな涼しさを求めてベッドから降りて寝室の畳に雑魚寝する。午前2時の冷気を感じながら眠りにつく。


 午前4時、体が痛くなってもう一度ベッドに戻る。

 自分でも無意識にこの説明が付かない行動を数時間おきに繰り返す。


 安普請のアパートは朝日が登るのと同時に熱を溜め込み、まるでクッキーでも焼くかのように部屋がオーブンのように加熱していく。するともう一度、畳に降りる。もう少し暦がすぎるとクーラーを付けるが、指の記憶だけで操作するため、冬の時に操作していなかったクーラーがそのまま間違って暖房を付けた時は、文字通り灼熱地獄だ。


 浅い眠りの中、心地のいい場所を探すために体を動かす。ベッドと畳の隙間に右足だけを突っ込んで見る。布団をまるめて腰の下に敷いてみる。すべて具合が悪く、リセットするためにベッドに戻って僅かな時間を過ごす。


 金が無い頃はカーテンすら、おれに敵意を持っていた。僅かな隙間から猛烈な朝日がなぜか必ず瞼に突き刺してくる。

 貧乏は全てにおいて人生を邪魔してくることを痛感させられた。自分の中では、若い時は金も夢もなかったため若い頃に戻りたくないと思ってしまう。しかし、漫画やエッセイなどではまるで今の収入のまま若い頃に戻れるようなつもりで書いている人たちを見ても何も共感が得られず、マスから落ちこぼれたというのはこういうことか、というのを知る以外の何者でもなかった。


 朝7時も少しすぎると隣の家の解体作業が始まる。とっくに一軒家はなくなって、50cm四方のコンクリート片しか残っていない状態の平地でショベルカーがうんうんと唸る。工事前からその道路をエンジン式のフォークリフトが朝からで走り回っていたので、むしろそれより静かだと感心していた。都内の準工業地域だから、そういうような機械の音は朝から鳴り響いているので、波長があった虫の声のように遠くでもエンジンが始動する音が聞こえてくる。更には保育園が近くにあるから、幼児たちの理不尽な叫び声が威勢よく出てくる。親と今生の別れを悲しむ子どもたちだ、午後の昼寝をしたらもう来世で違う人生が待ち構えている。

 もう寝ることは許されないとばかりに世界が始まってくる。

 そして、ショベルカーのしごとが始まるとアームの部分のネジ止めが緩いのか、ガチャガチャと腕を動かし揺れるたびにまるでハツリ工事のような金属をぶつけ合う轟音が鳴り響く。エンジンの静音性は完全にかき消され、初夏のセミよりも不愉快な音が部屋の中であふれる。


 目が覚める。


 30分で淡々と支度し、家から逃げるように会社へ向かう。

 こんな状態で老いて死に向かうのかと思うだけでも、世の中の帳尻はどこかで合って欲しいと願わざるをえない。

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