インソムニア
春雷
インソムニア
昔から寝付きの良い方ではなかった。怖い話を聞いたり、ホラー映画を見たりすると、絶対に眠れなくなったし、普通の何でもない日でも、自分の言動や行動を逐一振り返っては、どうしてあんなことをしてしまったのだろうと、布団の中で悶えることが多かった。脳内で反省会と不毛な一人議論を繰り返し、朝を迎えては、いったい自分はどうしてこんな無駄な時間を過ごさなければならないのだろうと思ったりもした。もっと気楽に生きられたらなあ、そんなことをぼんやり考えながら終えた高校生活は、決して充実したものではなく、むしろ空虚さが目立った。無色よりもっと悪い、灰色の高校生活だ。様々な色が混じり合い、しかし、それらは特段自らに良い影響を齎さず、ただ使い終わった絵の具をバケツにぶちまけたような、そんな生活。つまりそこに僕自身の主体的な行動の結果は含まれておらず、受動的に齎された結果のみが心に作用し、僕自身の色は見失ったまま、時間ばかりが過ぎていったのだ。それは良くないことだ。自分でもわかっているのだが、性格というものはなかなか変わらない。外的刺激を全て自分の内部に引き受けてしまう損な性格は、僕を徒らに傷付けるばかりだ。
勉強は苦手ではなかった。かといって得意なわけでもなかった。高いとは言えないハードルを設定し、ちょっとした努力で、そのハードルを超えることができた。その大学に入るのは、難しいことではなかった。
春はいつだって人に清新なイメージを与える。もちろん僕も例外ではないが、しかし、憂鬱な気分も味わっているのだった。
入学式は、型に嵌っていて、どうにも居心地が悪い。式はもちろんプログラム通りに進行する。右を見ても、左を見ても、新入生だ。僕もそうだ。でもどうしてだろうか、僕には疎外感しか感じられなかった。同じ大学に所属しているはずなのに、どうしても彼らと僕は違うのだという感じがした。それは子供のような考えなのだろうか。錯覚に過ぎないのだろうか。僕には判断できなかった。
色がない。そうだ。まだ、僕の視界には色がない。捉えることができないのだ。
それは僕の認識の問題なのかもしれなかった。
大学では経済学を専攻した。もちろんそれなりに興味があってこの分野を選んだはずだったのだが、学んでいくうちに、自分が本当に興味のある分野は、経済ではないと思うようになった。僕に今必要なのはアダム=スミスやトマ・ピケティではない。そう思った。
次第に大学から足が遠のいた。家で一日中酒を飲んでいることもあった。そうした生活を続けていても意味がないと思い、学部を変えることにした。
僕は文学部に行くことにした。これまで小説を読んだことはほとんどなかったが、僕がこれから生きていくためには文学が必要だと思った。一応試験があったが、容易だった。
文学の講義は僕にとっては新鮮で、とても面白かった。日本近代文学について論じたその講義は、まったく僕の知らない世界の話で、僕の知識欲を満たした。
それから、小説を読むようになった。自分の気の向くまま、ジャンルを問わず、様々な小説を読んだ。僕にとっては難し過ぎる内容の小説も中にはあったが、何とか通読できるよう心がけた。決して褒められるような読書術ではないが、とにかく色んな本を乱読した。系統だった知識は得られなかったが、僕にとってはそれでよかった。食物から様々な栄養を摂るように、僕は色んな本を読むことで、心に栄養を与えていたのだ。
大学生活は、高校生の頃よりは幾らか増しなものになった。友人は多くなかったが、僕にとってはそれで良かった。本の中に友人は幾らでもいた。本を開けばそこに僕の悩みを誰よりもわかってくれる理解者がいた。あるいはそれは一方的な勘違いかもしれないが、僕にとってはそれで良かった。
歌は昔から好きだった。上手くはないが、こっそり誰もいない場所で、歌をよく歌っていた。ギターは挫折した。何コードだったか、とにかくコードを押さえることができなかった。でも歌はずっと好きなままで、邦楽洋楽問わず、様々な音楽を聴いた。ジャズも好きになった。彼らのパッションから多大なエネルギーを受け取った。
映画を観るたび、現実を映し出すのはむしろフィクションなのではないか、と思うことがある。心の内奥に潜む真実を映すのはもちろん、社会的な嘘を暴くのもフィクションだ。結局誰しもが嘘を抱えながら生きているのだから、嘘をあえて描くことが、真実に近づくための手段としては最適なのではないか。
そんなことを考えながら、大学一年は終わった。
「近代的自我」という用語に出くわした時、その言葉の意味するところを今ひとつ掴むことができなかった。近代とは何か、自我とは何か、僕はそれらについて上手く答えることができなかった。理解が不十分だったのだろう。
友人が僕を旅行に誘ったが、僕は断った。理由は幾つかある。まず、僕は集団行動が苦手なのだ。幼少期から単独で行動することが多かった。友達と遊ぶこともあったが、一人で遊ぶ方が好きだったし、孤独は苦ではなかった。それに、旅行へ行くお金もなかった。バイトを辞めて、学業に専念しようと思ったのだ。友人は残念そうだったが、僕の意思を尊重してくれた。彼は5人で京都へ向かった。
それが彼を見た最後の日となった。
彼は旅行先で交通事故に遭い、亡くなったのだ。僕は最初その報を受けた時、頭が真っ白になった。何も考えられなかった。ついこの間まで親しく話していた友人が、あっけなくこの世からいなくなった。どうしてだ。
そうして大学二年は過ぎた。
僕は努めて文学上の問題について思いを馳せようとした。しかし、上手くいかなかった。あらゆる文学の知識が、零れ落ちてしまったようだった。
メキシコに留学した友人から手紙が届いた。長い手紙だった。その友人も、彼の死を悼んでいた。悲しい。その言葉は何度も手紙に出てきた。
メキシコの風は、彼の肌に合ったらしい。最近は闘牛を観たりしているそうだ。ただ、治安の悪い地区もあって、彼は外国人であることがあまり露見しないように、髪を茶色に染めていると言う。
僕はそのメキシコからの手紙を受け取った後、何となくトルティーヤが食べたくなった。近くのコンビニに寄った。でもトルティーヤは置いていなかった。仕方なく、僕はトルティーヤチップスを買って、部屋で食べた。メキシコにいる友人のことを思い浮かべながら。
僕は吉祥寺に引っ越すことになった。大学の寮も居心地は悪くなかったが、もうちょっと一人でのんびりしたいなと思うようになった。大学三年生になり、勉強も忙しくなる中で、僕は一人の時間を欲していた。
映画を観ていると、京都で亡くなった友人のことを思い出して、泣いてしまうこともあった。布団に入っても悲しみは消えず、結局、僕は眠れぬ夜を過ごすことになった。
友人が話してくれた、不思議な話を思い出す。
昔、人々の間では、夢を行き来することができたという。夢で逢うことは、現実で逢うことと同意なのだ。
『源氏物語』において、六条御息所は、夕顔を呪い殺した。ある種の念だ。昔の人は念を通じ、交流したり、ある種の作用を及ぼしたりすることが可能だったのだ。
あるいはそれは、彼自身の偏った考え方なのかもしれないし、それこそ虚構と現実を綯い交ぜにした空疎な理論に過ぎないのかもしれない。しかしどちらにせよ、現代人にそうしたある種の空想的な考えに依拠することが欠けているということは確かだと思う。それが良いことなのか、あるいはその逆なのか。僕には判断できない。
夜は日に日に長くなった。僕は小説を読みながら、時々窓から月を見上げた。月は綺麗だった。古代から、月はその形を保ったまま、人々の心を癒し、あるいは狂わせてきたのだろう。それは物凄いことでもあるし、人がどこまでも同じ感覚を持ち続けているという証左にもなりえると思う。竹から生まれた姫の物語から千年。僕らはいったいどこにたどり着いて、そしてこれから、どこへ行くと言うのだろう。
月を眺め涙を流し、大学生活も残り一年となった。
僕の大学生活は予想だにしない形で終わった。
卒業研究を進めていく中で、僕は着実に自分の知識が確かなものになっていることを実感した。毎日研究室に行って、パソコンに文字を打ち込んで行った。
その時、僕はパソコンの画面に吸い込まれるような感覚を覚えた。しかし、それは錯覚だった。実際は、ネット上に潜んでいた悪魔に眠りを奪われたのだ。僕はその日から、眠ることができなくなった。
眠りを奪われた僕は、日に日に衰弱していった。
思考力は明らかに低下し、記憶力も覚束ない。あらゆる事象がぼんやりとしか捉えることのできない磨りガラス越しの風景に変わり、闇も光も区別できないほどになるまで、時間はかからなかった。
起きているのに、眠っているよりもっと酷い状態になった。
もちろん、大学に居続けることは困難だった。
僕は両親とともに、大学へ赴き、何とか脳を叩き起こして、退学の意思を伝えた。
それから、僕は生きながらに死んでいるような状態になった。
そして、30年後。
「つまり、君はある種のタイムスリップをしたということになるのだろうか」
「そうかもしれません。記憶も殆どないですから」
「少しはあるのかね?」
「多少は。でも瑣末なものですよ」
「たとえば?」
「基本的には感情とか印象の記憶です。疲れたなあ、とか。苦しいなあ、とか」
「ネガティブなものが多い?」
「そうですね」
「肉体的にはどうだろう。違和感はあるかな」
「やはり筋肉が落ちてしまっているので、身体は動かしづらいです。それに、あちこち痛みがあります」
「体力も低下している?」
「もちろん」
「君は一種の不眠症の状態にあったわけだ。でも実際、生物の肉体は睡眠なしには生きていけない。ところが君は寝たきりならぬ起きたきりの状態で30年を過ごした」
「ええ」
「それはどういうことなのだろう」
「正直僕にもよくわかりません。そうなった、としか」
「学者の先生も頭を抱えているようだ」
「奇妙なことは起こるものですよ。首を切られても数年生きていた鶏がいるという話を聞いたことがありますし」
「しかしだな。あまりにも非現実的だ」
「そう言われても」
「ふむ……」
僕は出版社に入社した。会社は僕の経歴を考慮したうえで、公平な審査を行ってくれた。その結果、僕は新卒扱いで、この会社に入社することができた。
会社のテラスで、僕は30近く年が離れている先輩と話をしていた。彼は最初僕に敬語で話しかけていたが、僕の方が後輩なのだからと頻りに言って、何とか敬語を辞めてもらうことに成功した。
「それにしても、こんな人初めてだよ」
「ですよね」
僕は彼との話を通して、自分の人生を振り返った。やはり、不思議な人生である。どうして今生きているのか、自分でも理解できない。理屈や理論を超えた、何かがあるのかもしれない。今はただ、そういうものだと受け入れるしかない。
「君はずっと起き続けているのに、ある意味ずっと寝続けていたような状態になっていたわけだ」
「そうですね」
「だとしたら、起きているという状態と眠っている状態との間に、違いはあるのだろうか」
「僕の場合は特殊なケースなので、例外的な扱いになると思いますが、一般的な認識として、両者の間には区別があるだろうと思います。でも、それは案外明確な区別ではないとも思います」
「たとえば、夢遊病」
「はい。僕のケースもある意味それに近い」
「不思議だなあ。やっぱりまだ理解し難い。それに、君は見た目もそこまで老けていない。まるで冷凍保存されていたかのようだ」
「冷凍保存によるタイムスリップですか」
「うん」
「たしかに、冷凍して強制的に眠らせてくれても良かったかもしれないと思います」
「しかし君は物事を判断できる状態じゃなかったのだろう? 倫理的な観点から、それは難しかったんじゃないか」
「あるいは両親が反対していたのかもしれません」
「なるほど」
沈黙が流れた。先輩は何かを考えているようだった。紙コップに入っているブラックコーヒーを見つめながら、何かを考えていた。哲学者のように見えた。あるいは顕微鏡を熱心に覗き込む科学者が連想された。
「生と死の違いも、案外たいした違いはないのかもしれないな」
先輩は独り言のように呟いた。
「僕らは全員いつかは永い眠りにつきますからね」
「ああ」
僕はジンジャーエールを飲んでいた。ほどよい辛さが炭酸とともに喉に心地よい刺激を与えた。僕はその感覚を覚えておこうと思った。どうしてかはわからない。ただ、この感覚は一生忘れまいと思った。それは、死生観について考えを巡らせたことによって、あらゆる感覚を逃すまいという心の作用がそうさせていたのかもしれなかった。
「君はこれから、どうするんだい?」
「さあ。とりあえずはここで一生懸命働きますよ。起きていることも、眠れることも、僕にとっては特別ですから」
「幼少期、眠ることが好きじゃなかった」
先輩が語り出す。
「それは、勿体無いと思ったからなのだろう。眠るなんて勿体無い。今この瞬間に、素晴らしいことが、とても面白いことが起こっているかもしれないのに、眠らなきゃいけないなんて、とんでもない。そう思っていた。でも、本当は眠ることも起きていることと等しく大切なことだったのかもしれないな」
「ええ。眠るから人は生きていける」
「うん。そうかもしれない」
僕はその出版社で6年働いた。その後海外の企業にスカウトされたことをきっかけに、自分のキャリアを見つめ直し、自分が本当にやりたいことは何か、考えた。そして、僕はアメリカの研究機関で働くことにした。眠りに関する研究を行なっている研究所だ。研究を行い、時には僕自身の脳の構造や身体についての研究も行いながら、僕は自伝の執筆も行っていた。タイトルは『眠りを奪われた男』。3年ほどしてその文章が纏まり、自費で出版した。本はそれなりに売れた。インタビューを沢山受けた。上手く受け答えできたかどうか、わからないけれど、基本的に取材は楽しんでやることができたし、取材者も丁寧に質問してくれたので、気持ちよく取材を受けることができた。僕が上手く言葉で表現できなかったことを、アシストしてくれる人もいた。マスコミや雑誌に良い印象を持っていなかったので、そのことは、僕にとっては意外だった。
研究が順調に進んでいた頃、僕は眠りの研究のチームリーダーに呼び出された。彼は僕を自分の部屋に招いた。真剣な顔をしていた。いつも軽快なジョークを飛ばしている彼らしくないな、と思った。
「君の肉体はもう限界らしい」
彼は俯き加減にそう言った。
「限界」
「ああ。やはり30年間起き続けていたことは、君の肉体にかなりの負担をかけていたらしい。今生きているのが奇跡なくらいだ。君はもう、いつ死んでもおかしくない」
「そうか」
「驚かない、のか?」
「何となく自分でも気付いていたんだろう。それほどシュックではないよ。少し、寂しいけれどね」
「これから、どうする? この研究所に残るか?」
「そうだな。世界を見ようと思う」
「旅行、か」
「ああ。最後の旅だ。色々見て回るよ。研究を途中で放り投げるのは、本意ではないけれどね」
「どうにか君を救えたら、と思っていたんだが」
「僕の症例は類を見ない。仕方がないよ」
「すまない」
「謝ることじゃない」
僕は独りで旅に出た。南米を周り、ヨーロッパに行き、アフリカにも行った。メキシコで久しぶりに友人に会えたのは嬉しかった。彼の変わらない軽口が、僕の心を温めた。イギリスはご飯が美味しくなかったけど、ホームズの銅像を見れたし、ビッグベンも見れたし、特徴的な二階建てのバスも見られたから、それで良しとした。アフリカでは、色んな動物を見た。キリンは大きかった。ライオンは恐ろしかった。オーストリアにも行った。大きな蟻塚が印象的だった。
そして、日本に帰った。
僕は京都で亡くなった友人が泊まった旅館に滞在した。さすがに貯金も尽きてきたが、最後の旅だ。気にしない。
あいつは、最後に何を考えていたのだろう。きっとここで死ぬなんて思っていなかったはずだ。僕は今、少しずつ死へ向かっている。その意識がある。永遠の眠り。30年も眠れなかった僕にとっては、願ってもないことのように思える。死。僕はすんなりとその事実を受け止められている。覚悟、と言って良いのだろうか。眠るように死んでいけるだろうと思う。安らかに逝ける。
でもやはり、寂しさはあって、もうちょっとだけでも、彼と話したかったな、と思った。彼に会いたい、強くそう思った。
いつの間にか眠っていた。窓から風が入ってきて、僕の身体を撫でた。二階の窓から見上げる月は、幻想的だった。夢の中で、彼と会えたような気がした。
僕は永い眠りについた。
インソムニア 春雷 @syunrai3333
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