第23話
Chap.23
たくさんのお礼と再会の約束を交わした後カフェの前でシェルダンと別れ、夕焼けになる少し前の空の下を三人は『扉』の建物に向かった。人の流れは来た時とあまり変わらない。
「結局大学構内だけで終わっちゃったね。町も見たかったんじゃない?」
リオの言葉に俊も春花もぶんぶんと首を振った。
「ううん!すっごく楽しかった!」
「俺も!」
「それならよかった」
にこりとしたリオに、一呼吸置いた俊が神妙な顔をして言った。
「…あのさ、リオ」
「何?」
「ごめん。『扉』とブレスレットと魔法の話、さっき俺も聞いちゃった」
リオは少し驚いたように眉を上げて笑った。
「そんな、謝らなくていいよ」
「でも俺たちに…客人に知らせるのは規則違反なんでしょ?」
「まあね。でも、知らせないほうがいい、っていう程度だから」
「じゃあさ、その話もう少し聞いてもいい?」
間髪入れずに俊が言って、吹き出した。
「くると思った。いいよ、もちろん。話せる範囲のことならなんでも」
俊が真剣な目でリオを見つめる。
「…やっぱり、話せないことっていうのもあるんだ」
リオはちょっと考えてから、生真面目に答えた。
「そうだな、僕が知っている程度のことなら、話せないことはほとんどないと言っていいかな。でも僕が詳細を知らされていないことっていうのもあるわけで、それは二重の意味で話せないけど」
「なるほどね。…じゃあさっきの件だけど、俺たちが魔法を持っているかどうか調べない本当の理由は何?」
ずばりと訊いた俊に、リオは苦笑してみせた。
「春花に話した通りだよ。君たちの心に余計なさざ波を立てないため」
「…それだけ?」
「それだけ」
俊は納得いかないという顔をした。
「だって…なんで?魔法を持ってないってわかって俺たちがガッカリしたり気落ちしたりするのが、そんなによくないことなの?」
リオはうーんと唸ってちょっと微笑んだ。
「そうだな、これはそもそも、僕たちの世界が君たちの世界に対してどんな役割を担っているかということからきてるんだけど。最初に会った時に春花には話したよね、
春花は頷き、俊は少しためらいを滲ませつつ、
「そのことも…さっき、シェルダンと少し話してたんだ。シェルダンが、精霊の種のことを話してくれた」
「そう」
リオは軽く頷いて、淡々と話し出した。
「僕たちの世界は、昔から、君たちの世界の
で、いつからか、とにかく君たちによりいい影響を与えられるように、僕たちの世界がもっと君たちの想像力や創造力の助けになれるように、更に何かするべきだ、という考えが関係者達——まあ政府だね——の間で出てきて、それが『できるだけ客人達にネガティブな感情を与えないようにするべきだ』という考えになり、その一環として『魔法を持っているか持っていないかなんて調べないほうがいいし、そんなことを知らせないほうがいい』という規則へとつながったんだ」
「…リオも、そう思ってる?」
俊が慎重な口調で訊くと、リオは吐息をついて宙を見上げた。
「そうだな…正直言って、ちょっと疑問に思ってる。僕はメッセンジャーになって間もないし、だから今までは規則通り、マニュアル通りにしてきたけど、最近は少し余裕が出てきたからなのか、それとも」
と、いたずらっぽく笑って俊を見て、
「二言目には『どうして』って訊く誰かさんの影響なのか、少し考えが変わってきてるかな」
そして考え深げな顔をした。
「昔は、もっと自然だったはずだと思うんだ。いつ頃からこんなふうに、できるだけ君たちの心を波立てないように、あれもこれも知らせないように、なんていうことになったのかわからないけど、なんだか妙に不自然に…不誠実に思えて…。もう一度、きちんと考え直して再検討してみるほうがいいんじゃないだろうか…」
俊がうんうんと頷く。
「いつだって、本当のことを言うのが一番いいと俺は思うよ」
リオが小さくため息をついて微笑した。俊をじっと見つめる。
「…落胆したり、傷ついたりしても?」
「うん」
「あるものの存在を知らなければ、それを欲しがらなくて済むし、手に入らないとわかって悲しむこともない。それでもその存在を知りたい?」
「俺はね。世の中にそうじゃない人もいるのはわかってるけど。例えば魔法を持ってるか持ってないかってこともそう。そりゃ、調べてみて自分に魔法がないってわかったら結構…かなり残念だろうけど、でも俺は知りたいな」
そう言ってから慌てて付け加える。
「でも、リオに規則を破らせたくはないから。だから知らなくても全然構わないよ」
春花も急いで言った。
「私も」
リオが笑った。
「気を遣ってくれてありがとう」
大使館の『扉』の部屋に戻り——もちろんまたあのスリルを楽しみ——、柔らかい灯りに照らされた廊下を通って外に出ると、爽やかな朝だった。早朝の薄水色の光。ハリエンジュの香りが「お帰りなさい!」と言ってくれているようで、春花は真っ白な花たちに笑顔を向けた。ただいま!
「あれ、フランツにブレスレット返さなくていいの?」
「それは僕が。返却はメッセンジャーが責任を持って行うことになってるんだ」
「そっか。…あ!そういえば!」
俊が言って立ち止まり、リオをまじまじと見た。
「全然寝てないじゃない。大丈夫?」
「わあ、ほんとだ…徹夜だ」
春花も罪悪感に駆られてリオの端正な顔を見つめた。時差のことをすっかり忘れていた。
「心配御無用。これも仕事のうち」
爽やかに微笑む顔には、本当に疲労の影もない。
「今回の報告書とか書かなくていいの?湖の家までだったら俺たちだけで帰れるし、もしそのほうがよければ、時間になったら俺たちまたここまで戻ってきてもいいし」
リオはちょっと考える目をした。
「…それはありがたいかも。じゃあ今ささっと報告書を作って、ブレスレットの返却もして、二人が帰る頃に湖の家に着くようにするよ。六時半って言ってたよね?」
「七時くらいでも大丈夫だよな」
俊が言って春花も頷く。
「了解。できるだけ早く着くようにするから。じゃ、ブレスレットを預かるよ」
二人からブレスレットを受け取ると、リオはちょっと心配そうに二人を見やった。
「ほんとに大丈夫?ちゃんと道覚えてる?」
「大丈夫だよ」
俊が笑った。春花は実は100%の自信はなかったけれど、俊がちゃんと覚えているだろうと思って一緒に頷いた。私がボートに乗ってる間、朝市に行ったりして歩き回ってたんだし、大丈夫だよね。
まず、この前のように大使館の庭園を抜け、小さな門からバス通りに出る。湖沿いの道に入るのがどの辺りだったかが二人とも少しあやふやで、迷ったらどうしようとどきどきしたけれど、なんとか見覚えのあるところに出てほっと胸を撫で下ろした。
「ほーら。大丈夫だって言ったろ」
俊が胸を反らせてみせる。
「でもちょっと危なかったよね…」
「はは、まあちょっとな」
うーんと伸びをする。
「もうすぐゴールデンウィーク始まるじゃん。どっか行くの?」
突然向こうの世界の単語が出て、春花は目をぱちぱちさせた。いきなり目の前にピンク色のアルマジロが現れたみたいな気持ち。
「…わからない。そういえばそんな話全然してない…」
いつもなら家族で近場に出かけたり、一泊旅行をしたりしていたけれど、今年はまだ誰も何も言っていない。
「俊ちゃんは?」
「今年は何もなし。父さん達は山だか温泉だかに行くって言ってるけど、俺は受験生だから免除してもらった。ルカもどこも行かないんだったら、今日みたいに俺と出かけるってことにして一緒にこっち来れば?カッサにもまた行かれるかも」
「うん!そうしたい!あ、そうだ、あのね」
思い切って、お父さんにあげる絵本のことを提案してみた。俊は目を輝かせて賛成してくれた。
「すっげえいいアイディア!よし、じゃあさ、ゴールデンウィーク中にいっぱいスケッチしよう。ほんとはエルザのあのアルバムとか借りられたらいいんだけどなあ。コピーのコピーだと、顔の細かいとこなんかがやっぱりどうしてもな…」
湖の家に着くまで、二人で絵本作りの計画をあれこれ熱心に話し合ってとても楽しかったので、しばらく後で俊がその名を口にするまで、春花はメラニーのことなどすっかり忘れていた。
湖の家の庭に着くと、ちょうどアリが湖の方から歩いてくるところだった。少年のような笑顔で手を振ってくれる。手を振り返しながら、
「うーん、あの笑顔はやっぱりブラピ」
「ほんと。水が背景にあって、余計あの映画みたい」
「惚れた?」
「まさか。それに彼女いるんだって」
「だろうなあ」
などとボソボソ喋る二人。
「おかえり!カッサはどうだった」
「すっごく楽しかったです。早起きですね」
まだ六時前だ。
「ははは。それがユマに遅くまで付き合わされてね。中途半端に遅くなったから、さっきまで勉強してたんだ」
そこへフランス窓を開けてユマが飛び出してきた。
「おかえり!」
熱烈なハグをされて、春花は心の底から嬉しく思った。ハグって素敵だ。日本でもするといいのに。
しばらくカッサの話をした後、俊が唐突に
「あのさ、ユマ。メラニーのバレエスクールどこだか知ってる?」
と言ったので、春花の心はびくりとした。
「…うん、知ってるけど…」
ユマがちらりとアリを見上げ、アリが小さく頷いた。生真面目な、しかし柔らかい表情で俊を見る。
「俊、すごく個人的な質問をさせてもらいたいんだけど、いいかな」
俊は戸惑った顔で頷いた。
「はい」
「答えたくなかったら答えないでくれていいよ。プライベートなことだからね。ユマから、メラニーが君に随分熱をあげてるって聞いてるけど、君の目にもそう見える?」
俊は少し決まり悪げに、
「…はい、まあ」
「メラニーが好き?」
直球の質問に、さすがの俊も口ごもった。
「…えっと…」
「答えなくていいよ。こんな質問をするほうが失礼なんだからね。ただ、僕の経験から、忠告だけさせてほしい。メラニーを好きじゃないなら、離れたほうがいい。同情とか、何か力になれるかもしれないとか、そういう気持ちはあの子に通用しない。あの子はそういう気持ちを理解できない。こっちが助けるつもりで、友人として一緒にいると、完全にそれを恋愛と勘違いしてしまうんだ」
俊は、真剣な表情でアリの言葉を聴いている。
「それから、もしメラニーと一緒にいるつもりなら、独占されることを覚悟しておくほうがいい。あの子は自分の好きな相手を他の人とシェアできないからね。君の家族や友達を排除しようとするから」
過去を思い出したような顔をしてアリが小さくため息をつき、隣に立っていたユマが、アリにそっと寄り添った。
俊が低い声で、しかしきっぱりと言った。
「メラニーのことを、そういう…恋愛の対象として好きだとは思っていません。全然。ただ、彼女について色々話を聞いて、辛いだろうなと思って…友達として助けになれたらと思ってたんですけど」
アリが優しく首を振った。
「それならやめておいたほうがいい」
「…そうですね」
俊はため息をついてアリを見た。
「でも…じゃあこれからどうしたらいいと思いますか。もしメラニーが来たら」
「居留守使えばいいよ。大丈夫、ちゃんと匿ってあげるから」
ユマが請け合って、アリも頷いた。
「そう、会わないのが一番いいだろうね」
俊がちょっと辛そうな顔をして、春花はちくりと胸が痛んだ。
「なんだか…」
言葉を探すようにした俊の目とアリの目が合った。
「わかるよ。自分を必要とする人を見捨てるようで辛い?」
「…はい」
「あの子に必要なのは専門家の助けだ。母も僕もあの子の両親に何度も言ってるんだけどね」
「俺がメラニーと会わなくなったら、…どうかなっちゃわないでしょうか」
「大丈夫、すぐ他のイケメン探してそっちに移るだけだから。アリの時もそうだったもん。イケメンなら誰だっていいんだよ」
ユマの辛辣な口調に、アリが苦笑して「ユマ」とたしなめた。
「そうだったんですか?本当に?」
俊の目は真剣だ。アリはしっかり頷いてみせた。
「そうだったよ。最初はずいぶん腹を立てて、僕の…当時のガールフレンドに嫌がらせをしようとしたりしたけど、すぐに他の相手を見つけて、そのうち一緒に家に遊びに来たりするようになった」
「…でも…あんなふうじゃ、どんな相手にも次々に去られてしまうんじゃないですか。なんていうか…かわいそうだ」
春花と目の合ったユマが、ぐるりんと目を回してみせた。「その優しさが命取りってなるタイプ」とユマが言っていたのを思い出す。
「そうだね。でも、僕たちが自分や自分の大切な人たちを犠牲にしてもあの子を助けられるわけじゃない。それを覚えておいて」
「…はい」
頷いた俊はやっぱりまだ憂えた表情で、春花は複雑な気持ちだった。俊がメラニーのことを恋愛対象としては好きではないとはっきり言い切ったのを聞いて、その場にへたり込んで泣き出したいほどほっとしたけれど、優しい俊が心を痛めているのを見るのは辛かった。
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