第20話
Chap.20
大使館の広い廊下をフランツの部屋に向かって三人で歩いていると、向こうから一足先に帰っていたフランツがやってきた。
「やあ、来ましたね。リオ、ブレスレットは持ってきたから。『扉』まで僕も一緒に行こう」
「ブレスレット?」
「向こうへの『扉』を通るのに要るんだ。大事なものだからね、大使が保管していて、使用には大使のサインがいるんだよ」
リオが説明する。
「魔法のブレスレットですか」
俊がわくわくした口調で訊く。フランツが微笑んで頷く。
「そんなようなものですね。戻ってくるときにも必要ですから、ずっと身につけていてください…、といってもまあ余程のことがない限り外れないようにはなっていますが」
今まで通ったことのない廊下を通り、突き当たりのドアを開けると、そこは学校の教室を二つ合わせたくらいの大きさの部屋だった。床も壁も高い天井も深い飴色の木材でできていて、正面奥の壁の上の方に、壁いっぱいの幅の大きな絵がかけられている。広い草原の中に、まるで奇跡のように一本だけ立っている大きな大きな美しい木の絵だ。その絵の下に、奥の壁から1メートルくらい離れて、どっしりとした大きな扉が立っていた。分厚いドア枠も扉も不思議な艶のある灰色がかった木材でできていて、上はアーチ型になっている。
扉から2メートルくらい離れたところから、扉に向かい合うようにして、やはり深い飴色の作り付けの長い机とベンチが、真ん中の通路を挟んで何列も並んでいる。まるで西洋の昔の物語に出てくる村の学校のようだ。
「ここで授業があったりするんですか」
「いやいや、そういうわけではないんです。こちらの人間が『扉』を使う時にはここで書類の記入をしなければなりませんからね。そのための机なんです。今日も高校生達が使っていました。賑やかでしたよ」
フランツが言うとリオが苦笑した。
「もしかして僕の学校の生徒達もいたかもしれません。確か今日、民俗学のクラスが向こうに行ってるはずですから」
「こっちの人たちは、メッセンジャーと一緒じゃなくても行かれるの?」
「うん。でもその代わり書類だのなんだのが面倒だし、事前に申し込みや審査が必要なんだ」
そんな会話を聞くともなしに聞きながら、春花は大きな木の絵に見入っていた。
なんて大きな木…。
不思議な絵だった。
草原には小さな白いぼんぼりのような花があちこちに咲いており、草原と聞いて思い浮かべるような乾燥した感じがまったくしない。でも花畑というにはとにかく広すぎるし、クローバー畑ともちょっと違う。くすんだエメラルドグリーンの小さな丸い葉のついた草の丈もクローバーより少し高くて、もっとずっと華奢で柔らかい感じがする。
その中に静かに立っている大きな大きな木は、美しい灰色がかった白っぽい木肌で、綺麗に枝を伸ばし、ちょっとハート型のように見える小さな淡い緑色の葉っぱをたくさんつけている。
どう目を凝らしても、絵の中の草も木も動いていないのに、なぜか絵から流れてくるそよ風が感じられ、草や木の葉が微風にそよそよさやさやと揺れているような気がする。目を閉じて息を吸い込むと、植物の間を渡ってきた風独特の薄い緑色のような香りがする。そして——どう考えてもおかしいのだけれど——巨大な木の呼吸のような気配がするのだ。
「不思議な絵でしょう」
そんな春花に気がついたフランツが、自分も絵を見上げて言った。
「あの木は『扉』が作られた木の双子の木だと伝えられているそうですよ」
「この『扉』が作られた木の?」
「いいえ、すべての『扉』が作られた木の。ですから公式の『扉』のあるところには必ずこの木の絵があるそうです。二本の木の魂がいつも共にいられるように」
なんだか胸がじんとした。春花の横で、俊も同じように絵をじっと見上げていた。
「さて、ではブレスレットを」
フランツが二人に細い銀色のブレスレットを手渡した。細かな葉っぱの模様が彫り込まれている。ちょっと大きいな…と思いながら留め具をかちりとはめると、ゆるゆるだったブレスレットがすうっと縮んで春花の手首にちょうどよくおさまった。
「わお」
鳥肌が立った。まさに魔法のブレスレットだ。
「あれ、リオはしないの?」
俊が訊くと、リオはにこりとした。
「僕は必要ないんだ。それじゃ、行こう。『扉』は一人ずつしか通れないから、僕の姿が見えなくなったらすぐ後に続いて。春花、俊の順がいいかな。俊は春花の姿が見えなくなったら通って」
「了解」
姿が見えなくなる…。春花は急に不安になった。もし何かがうまく行かなくて、私だけどこか別の世界に出ちゃったりとかしたらどうしよう。リオのシャツの裾でも掴んでくっついて行きたいくらいだ。けれど、
「楽しんできてください」
フランツが微笑んで言ってくれたので、春花も不安な気持ちを抑えて俊と二人でにこやかに「行ってきます」と答えた。
「では、大使」
フランツに会釈して、リオがつかつかと『扉』に近づくと、『扉』は自然にふっと向こうに開いた。いかにも重そうでぎぎいと音を立てそうなのに、まるで重さのないもののような動きだった。向こう側は真っ暗闇で、まったく何も見えない。リオはその真っ暗な何もない空間に、毛ほどの躊躇も見せずにすっと踏み込んで、そして消えた。
次は私。
思わず怯えた子供のように俊の顔を見上げてしまった。目が合う。俊が勇気づけるように微笑む。
「大丈夫。行って」
ポンと背中を叩かれた。
「う、うん」
そうだよね。少しでも危険だったらリオやフランツが私たちにこんなことさせるわけないもの。
ハル。
ハル、一緒にいるよね。一緒に行こう。
春樹の手を握っているつもりになって、ジーンズの脇の掌をそっと閉じた。
向こう側の床も何も見えないので、真っ暗な宙に足を踏み出すような気がする。そのまま奈落の底に真っ逆さまに落ちそうでぞうっと全身に震えが走ったけれど、春花は息を止めてえいっと足を踏み出した。
次の瞬間、パッとあまりにも唐突に辺りの様子が変わったので、息を呑む暇も足の下の床の感覚にホッとしている暇もなかった。五感がパニックになってシステムダウンし、瞬時に再起動されたような感じ。すぐに、立ち尽くしている春花の肩にリオが手を添えて数歩先に導く。
「ここで立ち止まると危ないよ」
数歩離れてから振り返ると、開いたままの『扉』の向こうの闇から、すうっと俊が現れたところだった。ちょっとつんのめるように足をつく。あっけに取られたような表情の俊の後ろでふわりと扉が閉まった。
「…わお」
すっかり
「すっげえ…今の…」
春花もつられて笑い出す。
「ほんと。すごかった。びっくりした…」
リオを見上げる。
「私たちの世界から『お隣』に行くのと全然違うのね。すごい唐突な感じ」
「すげえびびった。落ちるかと思った」
「私も!怖かったー」
ジェットコースターに乗り終わった直後のような高揚感だ。
ああ怖かった。でもおもしろかった。もう一回乗ろう?
そんな二人を見てリオが微笑む。
「確かに、真っ暗だからね。何もない空間に足を踏み出すから、慣れないうちはちょっとどきどきするね」
「帰りもおんなじ感じ?」
「そうだね」
「おおー楽しみ!」
少し息を切らせ、くすくす笑いながら辺りを見回す。
大使館の『扉』のあった部屋より大きくて天井の高い部屋だ。学校の体育館の半分くらいの広さだろうか。壁と天井は大使館の大広間に似た半透明のガラスのようなものでできていて、部屋の中は心地よい明るさで満ちている。床は真珠色の絨毯。前方に立派な木のドアが二つあって、その中央にやはり木材でできたどっしりとしたインフォメーションデスクめいたものがあり、金で縁取りした真珠色の制服を着た男の人と女の人が座っていた。
二人が微笑みを湛えて俊と春花のはしゃぎようを見ているのに気づいて、春花は赤くなった。騒がしくしちゃった。ちょっと恥ずかしい。
「じゃ、行こうか」
リオが向かって右側のドアの近くに座っている女の人に近づく。女の人がリオの背後の二人をちらりと見て、にこりとしてリオに頷く。
「初めてのお客さまですね?」
「そうです」
リオが二人を紹介するように脇に寄り、女の人は二人に向かって微笑んだ。
「ようこそ」
そしてデスクの引き出しから二つのブレスレットを取り出し二人に手渡した。シンプルな金色の細い紐のように見えるチェーンに大きめの真珠のようなものがついている。
「万が一道に迷ったり何か困ったことが起きたりした時は、この石を握りしめてください。すぐに助けがきます」
そんなふうに言われると俄に心配になる。困ったことってどんなことだろう。…まあリオが一緒だから大丈夫だろうけど。
「ありがとうございます」
ブレスレットの留め具をとめると、やはり銀のブレスレットと同じようにすっと縮んで手首の周りにちょうどよく収まった。
女の人がにこりとした。
「楽しいご滞在を」
もう一度お礼を言ってから、あ、そうだ、と思って後ろを振り返る。
『扉』の上の壁には、やはりあの不思議な木の絵があった。
三人が近づくとドアはひとりでにすっと向こう側に開いた。通り抜けると、そこは今出てきた部屋と同じくらいの大きさの部屋だった。壁や天井もさっきの部屋と同じだが、床だけは絨毯ではなく同じ真珠色の大理石のようなものでできていた。真珠色のソファや、ペンやレターペーパーの置かれた深い色の優美な書物机があちこちにあり、美しい観葉植物も置かれている。隅の方にはインフォメーションデスクがあり、ここにも制服を着た男の人と女の人が一人ずつ座っていた。
部屋の広さの割には人はとても少なく、数人の人があちらのソファやこちらの書物机にいるだけで、閑散としている。
「ずいぶん空いてるのね」
部屋の反対側にある大きなドアに向かって歩きながら小声で言うと、リオが片目をつぶった。
「ラッキーだよ。生徒たちや学生たちの団体なんかとかち合っちゃうと、結構混雑するからね」
「ここって、『お隣』からの訪問者の到着ロビーみたいな感じ?」
俊が訊く。
「そう。帰る時はここの隣の部屋からさっきの『扉』の部屋に入るわけだ」
「出発ロビーか。なるほどね」
大きな木のドアに近づくと、ドアが横に滑って壁の中に吸い込まれたので春花はびっくりした。戸袋の中に、ではない。壁の中にまるで実体のないもののように吸い込まれたのだ。
「マジか…」
俊も目を丸くして、ドアを出たところで立ち止まってもう一度ドアを見たそうに振り返ったけれど、自動ドアと同じで、そこに立っていてはドアは壁から出てきてくれない。
「…残念。よく見たかったのに」
「この世界ではこういう、なんていうのかな、魔法科学的なものは珍しいんだよ。でもここは大事な『扉』のある建物だからね、最高の魔法技術で守られ管理されているんだ」
「へえー、魔法科学…」
俊は名残惜しそうにドアの方を振り返りながら、先に立って歩いていくリオについて行った。
そこは明るくて広い、ゆるくカーブした廊下だった。少し歩いただけで何人もの人とすれ違う。そして廊下の反対側にあるさっきのドアよりも大きなドア——このドアも壁に吸い込まれるように開いた——を通り抜けると、そこはさんさんと陽の光の降り注ぐ美しい緑の庭園だった。
数段のゆるい石段を降りて石畳の小道に出てから、今出てきた建物を振り返ってみた春花は、あれっと思った。どこかで見たことがあるような建物だ。
隣で俊も、
「どっかで見たことあるみたいな…」
と呟いている。どこで見たんだっけ…。
「あ、わかった!あのね、あの、ほら、オックスフォードにあるなんとかカメラっていう円形の建物!あれに似てる。こっちの方がもっと大きそうだけど」
「ああー!あれか…」
「ラドクリフカメラだね」
リオがすらっと言って、春花は驚いた。
「知ってるの?」
「もちろん」
そうか…歌舞伎もピカチュウも知ってるんだから、有名な建築物だって知ってるわけか。
「行ったことある?」
「残念ながら。オックスフォードには何度か行ったことあるけどね。メッセンジャーが行かれるのは基本的に人の家ばっかりだから」
「ちょっと足を伸ばして観光とか、散歩とか、そういうこともしないの?」
俊の言葉にリオが柔らかく首を振って、
「規則だからね」
と答えたので、俊と春花はふうんと唸った。
規則、か…。リオもそんなふうに考えるんだ。規則が大切だって思うんだ。
円形をした『扉』の建物は、面白い形に刈られた木々や花壇や彫刻のある円形をした庭園に囲まれていた。お昼時だからだろう、あちこちのベンチでランチを食べている人たちがいる。
あ、と思った。少し離れたベンチのところにアジア系の人たちがいる。なんとなく日本人のような感じがする。背の高いショートカットの女の人と、その人の子供達らしい女の子と男の子。春花と俊と同い年くらいだろうか。
じろじろ見ては失礼だからすぐに目をそらしたけれど、やっぱりちょっと気になる。日本人かな。どうしてここにいるんだろう。どういう人たちなんだろう。もしかしてやっぱり『お隣』経由で来たのかな…。
「さて、まずは図書館に行きたいんだったね」
「
俊が念を押すように言う。
「ここから遠いの?カッサ魔法大学」
リオが微笑んだ。
「ここがカッサ魔法大学だよ」
「えっそうなの?大使館とかじゃなくて?」
「『扉』はこの世界で一番重要な魔法だからね。だから魔法大学の中にあるんだ。図書館は、ほら、あそこの木立の向こうに少し見えてる建物がそうだよ」
ここからでは上の方しか見えないけれど、蜂蜜色をしたかなり大きな建物らしいことはわかる。やはり円形のようで、天辺もドーム型だ。
「読めるといいけどなあ」
歩き出しながら俊が期待半分心配半分のため息をつく。
「そうだね。まあ初っ端からいきなり読める人っていうのは少ないから、あまり期待しない方がいいかもしれないよ。読めなかったら、中を一通り見て回って、それから植物園にでも行ってみようか」
今通り過ぎた花壇の縁に溢れんばかりに咲いている鮮やかな空色の小さなチューリップのような花たちに心の中で挨拶していた春花は、嬉しくなってリオを降り仰いだ。
「植物園?」
「魔法大学のね。魔法植物学っていうのもあるから、研究のための立派な植物園があるよ」
「わあ、行ってみたい!」
「一般人でも入っていいの?」
「うん、外の庭は開放されてる。温室は関係者しか入れないけど、知り合いがいるから頼んでみるよ」
「さすがあ」
歩きながら、ふとさっきの日本人らしき人たちのことが気になって、春花はリオに訊いてみた。
「アジア系の人たちって結構いるの?」
すぐに俊が反応する。
「ああ、さっきベンチのところにいた日本人の親子?」
「日本人だと思う?韓国とか中国の人じゃなくて?」
「多分日本人だろ。○○のキャップかぶってたし」
「なにそれ」
目をぱちくりさせた春花に俊が苦笑した。
「Jリーグのチーム」
「そうだね、ここではアジア系の人たちはどちらかといえば少ないと思うよ」
「そうなんだ」
「どうして?」
と俊。
「僕の学んだ限りの知識でしかないけど、まあ単純に言って、この世界と繋がる公式の『扉』がアジアにはないからだろうね」
「そうなの?」
今度は俊が「どうして?」と訊く前に、リオが
「理由は私も存じ上げません、陛下」
とおどけて言ったので、俊は「ちぇっ」と言って笑うと、代わりに
「俺たちの世界のどこに『扉』があるか知ってる?」
と訊いた。リオが視線を宙に浮かせる。
「ええと、カッサとつながってるのが、フランスのP市、アメリカのB市、英国のW市、カナダのM市、それからドゥマとつながってるのが英国のB市」
「ドゥマ?」
「アレンサっていう国の首都。そこにもドゥマ魔法大学っていうのがあって、『扉』はそこにあるんだ。僕は行ったことないんだけど」
「ここは、えーと、ルビナスっていう国よね」
それくらいは春花も学習してから来た。ルピナスと名前が似ていて覚えやすかったのだ。
「そう。首都がここ、カッサ。他にはグルドゴー、マレナロ、リ・サリーと、さっき言ったアレンサっていう国がある。首都はそれぞれパル、オルセーン、ピグルトン、それからドゥマ」
「でも『扉』はカッサとドゥマにしかないんだね」
「そう。どうしてかは僕も…」
「わかったよ」
俊が苦笑してから、ふむ、と考える。
「でもじゃあ、さっきのあの日本人の親子は、フランスかアメリカか英国かカナダか、それか『お隣』から来たってことか」
「まあ、多分そんなところだろうね」
そんなことを話しているうちに、図書館に着いた。
図書館は——巨大だった。そして美しかった。
『お隣』の大広間も巨大で美しいという点では確かに同じだったけれど、これはまるで違う巨大さであり、まるで違う美しさだ。同じ巨大な空間でも、空間の密度が違うとでもいえばいいのだろうか。たくさんの、たくさんの、たくさんの…といくら言っても足りない数の本たちが密やかに呼吸している空間。俊も春花も、しばらくは言葉もなく、息をつくことさえできずに、その巨大な空間を見回していた。
床とはるかな高みにある天井は美しい金茶色の精巧な寄木張りで、直線や曲線が入り混じり、平面のはずなのに立体に見える。波のようなうねりや渦巻きが浮き出たり沈んだりしているところもあれば、幾何学模様がそこにあるはずのない段差をくっきりと作っているところもある。本棚も壁もたくさん並んでいる机も同じ金茶色の木材でできているからか、空間全体が温かな金色の光を帯びているようだった。
全体としては古典的な建物であるのに、螺旋階段と本棚でできたの太い塔がそこここにそびえていたり、それらの塔と各階の回廊をつなぐキャットウォークがあったりするところは、近未来的な眺めだ。金茶色の積み木でできた芸術作品を眺めているような気になる。
「さて、どのセクションに行ってみる?」
わずかに口を開けて辺りを見回していた俊は、上気した顔でリオを見て、
「…とりあえず、文学かな、やっぱり。児童文学とか、この世界の昔話とか」
「了解。ついてきて」
机のそばを通る。ちらりと見ると、なにやらものすごく歴史的価値のありそうな、古びた大きな分厚い本を広げて何かを調べている男の人がいた。文字は手書きのようで鈍い金色に光っており、ページは美しい古風な模様で囲まれていた。
「…あんな本、あんなふうに触っちゃっていいの?手袋もしないで」
俊が声をひそめて訊く。
「ここの本は魔法で守られてるからね。魔法できちんと保存されてるから、貴重な大昔の書物なんかも誰でも普通に読めるんだ」
「…すっげえ…」
俊の声がうわずっている。春花はなんだか幸せな気持ちになった。俊ちゃん、すごく嬉しそうだな。高揚した、今にも走り出しそうにわくわくした気持ちが伝わってくる。
ねえ、ハル。すごいところだね。俊ちゃんなんて、もうすっかり夢中になってる。家出してここに住み着いちゃったりしてね。クローディアとジェイミーみたいに。
「ええと、まずこの辺にあるのが、民話とか寓話とか童話とかそういうのだね。例えばこれ」
二階の回廊から入った、窓からの光に満たされた明るい一画で、リオが一冊の一抱えもある大きな本を抜き出してきて机の上に置いた。臙脂色のベルベットのような布と金で装丁された縦50cmくらいの分厚い本。俊がそっと手を出して、表紙をめくる。中のページは分厚くてざらざらした少し黄色がかった紙だ。扉には黒い綺麗な飾り文字で何か書いてある。
「子供たちのためのお話、第一巻」
リオが読んでくれる。促されて俊が次のページを開く。目次らしい。飛ばして次のページ。
「第一話、トール王子と赤い小鳥」
その次のページには窓辺に腰掛けて微笑んでいるハンサムな王子様と、その指にとまってつぶらな瞳で王子様を見上げている小さな小鳥が描かれていた。
「昔々のことです。ある国にそれは立派な王様がおりました。いつも正しく政治を行い、国を栄えさせ、近隣の王国とも大変良い関係を保ち、人々は皆王様を心から尊敬し、崇めていました。ところが」
「ところが王様は人々には言えない心配事で大層心を痛めておりました。それは一人息子で十一歳になるトール王子のことでした」
俊が読み上げ、三人は揃って目を丸くした。
「…わお。読める」
「さすがだな、俊」
リオが微笑んだ。
「さっき来たばっかりだっていうのに」
「すごい不思議な感覚…」
俊が本のページを見つめながら呟く。
「ついさっきまで読めなかったのが急に…」
顔を上げて問いかけるように春花を見る。春花は首を振った。
「私は読めない」
「…そっか」
「じゃあ、こうしようか。俊はこのまま図書館にいて、春花と僕で植物園に行く。春花が植物園を堪能したらまた二人でここに戻ってくる。どう?」
俊が笑顔で頷く。
「異議なし!」
春花は少し心配になった。
「あのね、ここの人たちに知られたらいけないことって何かないの?私たちの世界から『お隣』を通ってここに来てるってこととか…。俊ちゃんが誰かに質問されたら、なんでも話しちゃっていいの?どこから来たのかとか、どうやって来たのかとか、知られたら危ないことになったりしない?」
俊は意外そうに眉を上げて春花を見、リオはにこりとした。
「大丈夫。何も隠すようなことはないし、ここの人たちは訪問者たちにも慣れてるからね。危険なことも何もないし。心配いらないよ」
「そう?ならいいけど…」
「心配性」
柔らかく目を細めた俊が、春花の額を指で突いた。
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