第7話 沼川沿いの桜並木にて【椿ver】

 国道一号線に沿って流れる川の岸に数え切れないほどの桜が植えられている。彼女が運転する車の助手席からここを発見した。僕がもっと見たいとはしゃぐと彼女は車を止めて川沿いを歩くことを提案してくれた。彼女は僕を甘やかす。僕は彼女にくるまれるような人生のさなかにいて平和に生きている。


 昭和も終盤にできた新しい町は道路が整備されていて幅広だ。アスファルトの道の上は硬いが温かかった。


 歩けども歩けども桜の列が続いている。けれど見頃はそろそろ終わりで、風が吹くたびに花びらがひらひらと宙を舞った。僕は寺社の屋根瓦に桜が降り注ぐ街並みを思い出した。僕の生まれ育ったいにしえの都。あの街には有名な桜スポットがたくさんある。けれど僕はそれを毎年孤独な気持ちで眺めていた。こんなに大勢人がいるのに誰ひとりとして本当の僕を知らない。見出してくれたのはこの世で唯一の恋人である彼女だけ。


 桜の下を歩いていく。僕の頭上に桜吹雪が降り注ぐ。


 ふいに名前を呼ばれたので振り返った。


 そこに彼女が立っていた。


 この温かく柔らかな吹雪の中、彼女はまっすぐに立っていた。日に焼けた肌、厚い唇に大きな目の彼女は桜が似合わないほど南国の女でなんだか笑ってしまいそうだ。


 同時にかえってこの桜並木の下がふさわしいような気もしてくる。


 たくましく力強い彼女、空に向かって枝葉を伸ばし、すこやかに生きている。それはこの新しい町に息づく桜の木に似ている。毎年同じように花を咲かせる、ひとびとの目を楽しませる、地元にこんなにも愛されている。この町で生まれた女、誰からも愛される、桜の色よりやさしいひと。


 ふるふるさくら、はなふぶきのした、あなたがあるく。


 僕を見つめる彼女のまっすぐな瞳を見ていると、もう雪を見ることはないのだと、気温は安定しコートを脱いで暮らすことができるのだと、そう思えてあたたかなきもちになる。


 でもそれと同時に、ここが現実ではないような気もしてきてこわくもなる。ここは夢の中で、気づいたら自分は自宅の部屋の布団に転がっていて、すべてがなかったことになるのではないか。彼女はここに存在してはおらず、僕が求めたなにかが形を取ってここに現れたものなのではないかと。


 まるで魔法のような世界。


「むかし、友達が、推しが桜にさらわれる、なんて言っていたことがあるけど。何の話だろ、ずいぶんファンタジックだな、と思っていたけど。こうしていると、わたしもあなたがさらわれそうな気がしてきて、気持ちが不安定になる」


 彼女はそんなことを言った。僕は申し訳なくなった。僕が弱いから彼女にそんな思いをさせてしまうのではないか。僕はたとえばこの吹雪が終わったら消えてしまう雪のような男だと彼女に思われているのかもしれない。そう思うと悲しくて、でも生きていることを惜しんでくれるのは嬉しくて、とてもいろんな感情が噴き出してきて、僕は思わずこう言った。


「僕はどこにも行かへん。あなたを不安にさせないために、僕はここで生きていく」


 それで彼女が安心してくれるのなら。僕もあなたにふさわしい人間になるために。

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