太平洋は今日も晴れ SSまとめ(2021年10月~2022年6月)

日崎アユム/丹羽夏子

第1話 あなたが外界を歩きやすいように

 向日葵ひまわり宛てに荷物が届いた。


 自宅にいた椿つばきが受け取ったのだが、中身に心当たりがなかった。


 一番長い部分で三十センチほどの直方体の箱で、持った感じではそんなに重いものではない。送り主が企業のようなので、ネット通販で購入した商品だと思われる。この家の人間は大きな買い物もららぽーと沼津で済ませるから、こんなふうに荷物が届くのは珍しい。


 気になったが深く詮索しないでおこうと思った。夫婦といえどもプライバシーというものはある。椿にも立ち入られたくない部分があるように、向日葵にも立ち入られたくない部分はあるだろう。自分の知らない向日葵がいると思うと椿は発狂してしまいそうだったが、同時に、しつこくうるさくして向日葵に嫌われたくなかった。


 それに、中身がわからなくても、向日葵宛ての荷物を自分が受け取る、というシチュエーションが嬉しかった。自分たちは同じ住所に住んでいて、向日葵の荷物を夫である自分が我が物顔で受領することができる。


 大学時代、椿が向日葵の下宿に居座っていた頃、向日葵の実家であるここから支援物資が来たことがある。バイトで留守にする向日葵が、実家から荷物が来るから代わりに受け取っておいて、と言って出ていったのだ。


 あの時配達員に受領のサインをくれと言われて困った。ここは向日葵の姓を騙って池谷いけがやと書くべきか、あくまで受取人である自分自身の姓の九条くじょうと書くべきか。結局池谷と書いたのだが、あの時のもやもやはずっと椿の心に引っ掛かったままだった。


 今は悩む必要はない。ここは自分も含めた池谷の家族の家であり、自分は池谷家で同居することを許されていて、配偶者として向日葵の代理ができる。


 そういった日常の些細なひとつひとつのことが幸せだ。




 夕方向日葵が仕事から帰ってきた時に、椿は何気なくを装って言った。


「ひいさん宛てに荷物が来たで。僕が代わりに受け取って離れのテーブルの上に置いといたからね」


 すると向日葵は万歳の形で両手を上にあげ、「やったーとうとう来た!」と笑った。


「開ける! 椿くん来て!」

「僕も?」

「いいから早く! 一緒に開けよう!」

「けど、お夕飯の準備が――」


 向日葵が台所のほうに向かって叫ぶ。


「おかーさあん、椿くん離れに連れてくねー!」


 義母が大声で答える。


「どーぞー」


 引きずられるがまま母屋を出た。その間向日葵はご機嫌だった。どうしても椿と一緒に開けたいらしい。


 表面的には戸惑ったふりをしておいたが、椿は心から嬉しかった。向日葵が密かに注文した荷物を開封する場に同席させてもらえる――向日葵の秘密をまたひとつ知ることになる。


 離れに入り、離れのリビングに向かう。ローテーブルの上に先ほどの荷物が置かれている。


 向日葵は荷物を抱きかかえるように引き寄せると、ちょっと乱暴に宅配伝票とビニールテープを引き剥がした。椿が拾ってごみ箱に入れる。向日葵はこういう細かいところが雑だ。でもそういう大雑把なところも愛しいから仕方がない。


 箱が開いた。


 中から出てきたのはショートブーツだった。


 椿はびっくりした。


 ブーツに華やかな赤い花の柄がプリントされていた。


 椿の花だ。


「めちゃめちゃ可愛い!」


 向日葵が嬉しそうに笑う。


「はい、椿くん、履いてみて!」

「えっ、僕が?」

「そう! わたしから椿くんにプレゼント」


 心がぽっと温まる。


「サイズが合わないようなら交換してもらうから。早く試し履きして!」


 受け取る手が震えた。


 床の上に置いて、おそるおそる足を入れてみた。まだ一度も外を歩いていないものなので大丈夫だろう。


 両足を入れて立ってみると、サイズがぴったり合った。


「よう僕の足のサイズ知ってはったね」

「そうなのよ、椿くん普段草履だから一瞬わかんねーじゃんと思ったんだけど、どうしても現物届くまでナイショにしたくて。畑行く時スニーカー履いてること思い出してさ」


 床の上を、一歩、二歩と歩いてみる。違和感はない。むしろ履き心地が良い。見た目の印象より軽くて幅広だ。


「こういう柄だと椿くん恥ずかしがって嫌がるかなーと思ってさ。でも見てたらもう絶対絶対欲しくなっちゃってさ、絶対絶対履かす、と思ってさ。まず来てから考えよう、もう買っちゃったから使ってって押し付けよう、みたいな」

「そんなこと……」


 確かに照れるが、嫌ではない。


 向日葵に与えられるすべてのものがいとおしい。自分の身の回りのすべてが向日葵の趣味で変わってしまっても椿は構わないのだ。


「でも着物がシックだから靴がちょっと浮いちゃうかな?」

「いや、まあ――」

「首にもでっかい花柄のストールかマフラーを巻こう!」

「そういう策か」


 椿は笑った。


「そういうのめっちゃ好き」


 子供のように枕元に置いて寝たい。


「ありがとう。大事に履くわ」

「いいのいいの、それで歩き回って!」


 向日葵の笑顔がまぶしい。


「少しでも外に出るのを楽しく思ってくれたら嬉しいな」


 彼女は椿が白昼堂々と街を歩くことを望んでくれているのか。


 彼女の優しさが心の中にじんわり広がる。


 シンデレラは王子様と暮らすお城の中で静かに過ごすことを望んでいるかもしれないが、自分は彼女に手を引かれてお城の外を歩く。こんなに自由で幸福なことがあるだろうか。


「一緒に出掛けようね」

「うん!」





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