第2話「血と闇と呪いの復讐計画書」

「そういうわけで、復讐計画を練ったんです!」


 と、わたしは、モニカお姉さまの古い友人であるヴァネッサ・トリノパルディ伯爵令嬢の目の前に計画書を放り投げた。


 所は変わって、ヴァネッサさまの邸宅の一室である。


 わたしはあれからエイプリルと別れ、御者と護衛を連れてこの家を訪れたのだ。


 ヴァネッサさまは突然に来訪したわたしを歓迎して、手ずから紅茶を淹れてくださった。


 こういうところ、いかにも大人の女性という感じで、思わずあこがれてしまう。


 そう、ヴァネッサさまは小柄で可愛らしい十六歳の女性なのだ。ちなみにお姉さまは十八歳。僭越ながらわたしもヴァネッサさまのことをお友達だと思っている。


 が、今回、ヴァネッサさまは数枚の復讐計画書をまえにしてちょっと困ったような表情を浮かべた。なぜだろう。素晴らしく綿密に計画をまとめたつもりなのに。


「まあ、まずは読ませていただきますわ」


「はい!」


 元気よく返事をしたわたしのまえで、ヴァネッサさまは「血と闇の呪いの復讐計画書」と記された帳面を静かに読みはじめた。我ながら、素晴らしく印象的な命名だ。


 それからしばらく、静寂の時がつづき、ヴァネッサさまはその帳面をわたしの前に置いた。それから、すこぶる真剣な表情でわたしの目を見つめて来る。


 ドキドキする。彼女は、わたしの計画に賛成してくれるだろうか。そして、その計画は実行に堪えるものだろうか。


「あのね、ベネットさま。あなたの考えていることはよくわかりました」


「はい」


 わたしはちょっと安堵した。さすがはヴァネッサさま、エイプリルのような愚か者とは違う。


 あのボンクラメイドは、わたしがあのダメ王子に対する復讐計画を練りはじめると、すぐに呆れて物も云えないと云い残してへやを出て行ってしまったのだ。


 メイドの分際で、随分と偉そうな態度である。主をうやまう意識の低いこと、はなはだしい。


 そのうち、あのやけに細いくびをねじ切ってしまおう。


 しかし、エイプリルにはわからなくても、ヴァネッサさまならわたしの計画の崇高さがわかるはずだ。ヴァネッサさまとわたしは、モニカお姉さま愛好者倶楽部ファンクラブのメンバーナンバー1と2なのだもの(もちろん、わたしが1だ)。


 それなのに、わたしの期待と信頼に反して、ヴァネッサさまの返答はいまひとつ冴えなかった。


 彼女は訥々とつとつと話しつづけた。


「わたしも、王子と王家に対してはとても立腹していたのです。だから、王家に対し復讐しなければならないというあなたのお気持ち、凄く共感します。それに、いま読ませていただいたこの計画書、とてもよく書けていると思いました。いかに王子の失言をもとに王家の非を鳴らして論理的に追い詰めていくかの一点において、きわめてよく考え抜かれた優れた計画だと云って良いでしょう。また、クリムゾンローズ王国とわがダンデライオン公爵領の歴史的経緯を踏まえ、公爵領全域の領民を煽って、独立の機運を高め、王家に対しての反抗と反乱に導いていくあたり、並の構想力じゃないと真剣に感じました。さすがはあのモニカさまの妹、まず、非凡な才能と断定して良いでしょう」


「いえ、それほどでも」


 わたしは謙遜してみせたが、内心では鼻高々だった。


 わたしは、何しろ大公爵家の息女だから、一応は褒められなれている。


 まわりには阿諛追従、巧言令色の徒が少なくない。しかし、その一方で、わたしはあの完璧を画聖が絵に描いたようなお姉さまの妹でもあり、比較されて失望されることも少なくなかった。


 だから、ヴァネッサさまが率直に(もちろんそうだと信じる)、褒めてくれることは嬉しくてたまらなかったのだ。


 そう、わたしだって、もちろんお姉さまにはとても及ばないにしても、そう悪い出来ではないはずだ!


 ところが、ヴァネッサさまは、そんなわたしのことを何かを心配するような曇った表情で見下ろしたのだった。


「でも、ね。ベネットさま。計画そのものがどんなに良くできていても、これは机上の空論です。現実を無視した内容と断ぜざるを得ません」


「どうしてですか!?」


 わたしは、突然、得意のいただきから突き落とされて、ヴァネッサさまに食って掛かった。


 この計画では、わが公爵領の国力、戦力を冷静に推測し、その戦意の高さまで計算に入れた上で、クリムゾンローズ王国に対する反乱が十分に成功率が高いことを見込んでいる。


 もちろん、粗もあるだろうし、完璧な内容とは云えないことは理解しているが、決して机上の空論などと一蹴できるものではないつもりだ。


 それをどうして、彼女は現実を無視しているとまでいい切るのか。


 ヴァネッサさまは、今度は何だか哀しそうな視線でわたしの瞳を見つめてきた。


「ベネットさま、わたしが見るかぎり、あなたさまが見落としておられる点はひとつだけです。そして、そのひとつが致命的なのです」


「だから、それはどこなのですか? 云ってください、修正して計画を練り直します!」


 わたしが立ち上がると、飲み残しの紅茶が入った白磁のティーカップが揺れた。ヴァネッサさまはやはり哀しげに、しかしある種の威厳をともなって、続けた。


「修正は不可能です。それは、じっさいに王国に対し反乱を起こし、そして戦争になれば必ず人が死ぬ、というそのことなのですから」


「あ……」


 わたしは力なくその場に座り込んだ。


 ヴァネッサさまは、そういうわたしを痛々しそうに見つめて、沈着に続ける。


「ベネットさま、あなたさまの計画はほんとうによく練られています。とても十三歳の子供が練り上げたものとは思えないほど、現実に沿ってまとめられていると思います。たしかに、あなたの才能は非凡であり、将来は必ず大物になることでしょう。それは、このわたしが保証してもいい。しかし、そのあなたにも、たったひとつだけ見えてないものがある。戦争というものが、どんなに悲惨で、残酷で、紙を破くようにたやすく人の命を奪うものかというその一点が、あなたの目には映っていない」


「それは……」


 答えに窮して、口ごもるわたしに向かって、ヴァネッサさまは真摯な顔で畳みかけた。


「ベネットさま、あなたはたくさんの領民の命を預かる公爵家の血を継ぐ身。ですから、わたしもあえて厳しく云わせていただきます。人の命は、単に計算通りに使い捨てられる玩具おもちゃなどではありませんよ。人の体は、切れば血が噴き出、容易には癒えないものなのです。そして、いったんその肉体から生命が失われれば、二度とは元に戻りません。それが、周囲の家族や友人にとってどれほどの哀しみなのかわかりますか? 人の命を安易に弄んではならない、それは我々貴族が常に心しておかなければならないことの筆頭です」


「そんな、わたしは、何も――」


 わたしは、ただ、お姉さまを侮辱したあの王子に自分の罪深さを思い知らせてやりたいだけだ。


 お姉さまはダンデライオン公爵領の領民たちにことのほか慕われている。だから、領民たちもきっと同じように思っていることだろう。


 それらの戦意を糾合すれば、きっと王国からの独立を果たせる。そうしたら、あの王子も悔やんでくやしがるに違いない。


 そう考えることは、悪いことなのだろうか。


「ベネットさま以外の方が考えられたなら、このような差し出がましいことは申しません。しかし、ベネットさま、あなたは事を実行に移せる立場にある。万が一にもこのようなことが現実になってはならないのです。実を申せば、わたしもあなたと同じように、王国からの独立をちらつかせて王家に謝罪を要求する策を考え、モニカさまに提案いたしました。そのとき、モニカさまが何と仰ったと思いますか?」


「お姉さまが、何と……?」


 ヴァネッサさまは、ひと呼吸おいてから、その言葉を口にした。


「個人の屈辱で王国を揺らがせるようなことがあってはならない、と云われたのです」


 ぐらり、と世界が傾いたようだった。


 いままで耳にしたヴァネッサさまの痛烈な批判にも増して、お姉さまの言葉だというそのひと言が、わたしには辛かった。


 わたしは、何を考えていたのだろう。よくよく考えてみれば、他ならない婚約者から、たくさんの人々が見つめる前で口汚く罵倒されたその当事者であるお姉さまが、単なる傍観者であるわたし以上に怒っていないはずがない。くやしく感じていないはずがない。傷ついていないはずも、ない。


 しかし、それでも、なお、お姉さまは、わたしの尊敬するお姉さまは、どこまでも国と民とのためを考え、その怒りを、くやしさを、じくじくとひどく痛むであろう傷を、あえて封じることを選んだのだ。その、何という心の強さ。


 それに比べ、わたしはただ自分自身の怒りに目が眩んでいた。自分ほど怒っている者はいないように思っていた。


 自分こそがお姉さまのお気持ちの最高の理解者であると信じて疑うことすらしなかった。


 つまりは、わたしは、怒ることに陶酔していたのだ。


 恥ずかしくてたまらない。まさにわたしは、ただの身の程知らずの子供だった。


 心配そうに、また痛々しそうに無言で見つめてくるヴァネッサさまの前で、地の底にまで沈んでゆく気分だった。


 胸が、苦しい。

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