第3話
騎士団長のユージェミー卿のために建てられた堅牢な建物に入り、そのなかの奥まった一室に向かいます。扉のまえまで来ると、ウーサーは大きく声を張り上げました。
「失礼いたします。クレオーラさまをお連れいたしました!」
「入れ」
内側から渋い声で返事があったので、わたしたちはそろって入室しました。そこに、なかば白くなった頭髪の初老の騎士団長と、そしてあのドノヴァン王子が座っていました。
ひさしぶりに目にする王子はあいかわらず整った容姿ではありましたが、何だかひどく憔悴した様子で、物腰から高貴さがまったく感じ取れません。
いったい何があったのでしょう? まあ、わたしにはいまさら関わりのないことではありますけれど。
「クレオーラ!」
かれはわたしを見るとやおら立ち上がり、ぎゅっとわたしの手を握りました。
「きみを迎えに来たんだ。わたしといっしょに帰ってくれるね? ああ、こんなに手が荒れて、さぞひどい目に遭わされてきたんだろう。もう心配ない。きみを傷つけたりする者はだれもいない。いや、仮にいたとしても、わたしが必ずきみを守る」
わたしは二三度、瞬きしました。この人は何を云っているのでしょうか。きみのためだなどと云いながら体よくわたしを追放したのは、たった数か月前のことです。
それが、迎えに来た? いっしょに帰れ? さすがにぼんやりなわたしでもおかしいことがわかります。豹変とはこういうことを云うのかもしれません。まったく嬉しくはありませんが。
「殿下、いったいどうしたのです。まずは事情を説明していただけませんか。お話はそれからです」
「それが――」
ドノヴァンは苦い顔になりました。訥々と、いかにも語りたくなさそうに、話し始めます。
かれの話によると、あの〈聖少女〉マリカはとんだ食わせ物だったのだそうです。
たしかに〈癒やし〉の力を持ってはいるのですが、その力はあいてに一時的に活力を与えるに過ぎず、長期的にはその人をむしろ疲弊させ、不健康に追いやってしまうのだとか。
しかも、それが〈エリクサー〉の開発に使えるという話も少しも真実ではなく、王宮の錬金術師たちは数か月にわたる
ところが、マリカは王宮内に人脈を作り、陰謀を練って、宮廷をひどい混乱に陥れました。
結局、その不埒なこころみは発覚し、いまでは彼女は牢のなかの住人だそうですが、そのためにいっとき、大変な騒動となったのだと云います。
そして、マリカに激怒した国王陛下が、ようやくわたしのことを思い出し、また、たくさんの王侯貴族たちがこの機会にクレオーラ姫の復権を!と叫んで一派閥を作るまでになったのだとか。
かってな話だとは思いますが、ありがたいと云えばありがたいことなのかもしれません。
とにかく、それで王子が責任を追及され、わたしを迎えにやって来たということのようです。
もっとも、この話は王子が云いづらそうに、しかも自分に都合の良いように口にした切れ切れの内容から推理を重ね、どうにかたどり着いたものなので、真実だとは限りませんが。
「さあ、クレオーラ、わたしといっしょに王宮へ帰ろう。そして、ふたたびわたしといっしょになってほしい。それがわたしの望みであり、そして、きみのためでもある。わたしの云っていることがわかるね? 可愛い人」
呆れて言葉も出ませんでした。この人は、この期に及んでまだ、君のためだなどとこちら側に責任を転嫁して来るのです。
いったいどういう神経をしていたらこのようなセリフが吐けるのでしょうか。たった数か月前に云い放った内容を、もう忘れてしまったの?
ウーサーとユージミーが視線で優しく力づけてくれます。わたしは深く呼吸をし、にっこりと柔らかに笑いながら、かれに答えました。
「イヤです」
ドノヴァン王子は唖然と絶句しました。
「――え? どういうことだ?」
「どういうことも何も、わたしはいま、この騎士団領でお世話になっている身です。しかも、わたし、ここがとっても気に入っているんです。騎士団の皆さんはわたしに優しくしてくれますし、ここで一生を過ごしても良いとすら思っています。だから、ざんねんですけれど、殿下のお求めに応じることはできません。おわかりいただけましたか?」
「莫迦な」
ドノヴァンは急に激高した様子でわたしを睨み据えました。おお、怖い怖い。
「王子であるこのわたしが頭を下げて云ってやっているのだぞ! 高々伯爵家の娘ふぜいが断わるなど許されると思っているのか? 無礼な。すぐにわたしといっしょに来るのだ、クレオーラ!」
かれはぎゅっとわたしの腕を握り締めました。痛い。しかし、さすがに男性の力だけあって、わたしはほとんど抵抗できません。どうしましょう。
「そのくらいにしておきなさい、殿下」
ウーサーがドノヴァンのその腕をひねり上げました。王子はかん高い悲鳴を上げます。
「な、何をする! わたしは王子だぞ!」
ウーサーは平然としていました。
「存じ上げております。しかし、どうやらその威光はこのような辺境の土地ではいささか効果が薄いようですな。ドノヴァン殿下、王国の力が複数の貴族諸侯勢力の均衡によって維持されており、またこの騎士団もいささかの力を所持していることはご存知かな? もし、あなたがこれ以上、クレオーラさまを苦しめるようなら、我ら騎士団は騎士道に従い、それなりの示威行動に出ることもやぶさかではないが――」
「クソ!」
ドノヴァンは一国の王子らしくもなく汚いののしり言葉を使いました。いったいこういう言葉をどこで憶えて来るのでしょうね。悪い取り巻きからでしょうか。
「憶えていろ、クレオーラ! かならず後悔するからな! あとでわたしの言葉に従っていれば良かったと泣いてももう遅いぞ」
「ざんねんですが、あなたのお言葉を聞かずに後悔したことは一度もないようです。さあ、殿下、どうかこのまま王宮へお帰りください。そして、国王陛下にお伝えするんです。クレオーラは辺境で幸せになったので、二度と王宮へ戻る意思はないそうです、と」
わたしは、ドノヴァンへ向けて笑いかけました。かぎりなく、優しく。精一杯のまごころを込めて。
「それが、あなたのためですよ、殿下」
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