第2話
それから数か月が瞬く間に経ちました。いま、わたしは父である伯爵の名代として、王国辺境に位置するアーシス騎士団領に来ています。
事実上の宮廷からの追放です。マリカとのことは広く噂になり、この王国のなかにほとんどわたしの居場所はありませんでした。
そんなわたしを受け入れてくれたこの領地の騎士団長には感謝しています。もし、かれがその決断を下してくれなかったら、わたしは他国まで流浪するしかなかったかもしれません。
仮にそうだったとしてもそれはそれで生きていきますが、遥かに辛い境遇になったことでしょう。だから、ここの騎士さまたちには、行動で感謝を示さなければなりません。
「あっ、クレオーラさま。また洗濯なんてして。そんなことなさらなくて良いんですよ。あなたは団長の客人なんですから!」
屋外で汚れた洗濯ものをごしごし洗うわたしにそう声をかけてきたのは、まだ少年と云っても良いくらいの年齢の騎士アドルノです。
亜麻色の髪の端正な容姿の子で、ちょっと弟にでもしたいような忠実な
でも、わたしはかれのことがとても好きなんです。わたしがここにやって来てから、ずっと親切にしてくれているから。
「でも、わたし、他に何もできませんから、料理と洗濯と掃除くらいはさせてください。皆さんのお役に立ちたいんです!」
「あなたはただここにいてくれているだけで役に立っていますよ。まったく、伯爵令嬢なのに、どうしてこんなに働き者なんですか。しかも、やけに馬の扱いが巧い。ぼくだって小姓としてここに来てから馬を自在に操れるようになるまで何年もかかったのに、あなたはひと月足らずで名人みたいに馬を使うんだものな。やっていられませんよ」
わたしはちょっと薄い胸をはりました。
「昔から、動物にはやけに好かれるんです! 猫にも犬にも好かれますよ。あ、それでアドルノさんもわたしに親切にしてくれるのかな?」
「ちょ、ちょっとそれ、どういうことですか? ぼくは猫でも犬でもありませんよ!」
「ごめんなさい。赦してください。うっかり本心が洩れちゃいました」
「なおさら悪いです!」
わたしとアドルノがそんなふうに楽しくやり取りをしていると、騎士のエッカルトさんが興味深そうにやって来ました。
長く伸びた槍のように背が高い人で、たしかに筋肉はついているものの、不思議とほっそりとした印象です。
また、その笑顔はいかにも穏やかそうで、動物に喩えるなら日向ぼっこする大型犬を連想させます。
しかし、じっさいにはこの人はこのアーシス王立叙勲騎士団でも一、二を争う槍術の達人なのだそうです。驚きですね。人は見かけに依らないとは、このようなことを指して云うのかもしれません。
かれはアドルノの首根っこを捕まえてしまいました。
「こら、アドルノ、クレオーラさまにきゃんきゃん噛みつくな。クレオーラさまはこう見えて大貴族の令嬢なんだからな。下級貴族出身のおれたちとは身分が違うんだぞ」
「噛みついたりなんてしていません! ただ、ぼくはクレオーラさまの綺麗な手が荒れてしまうのが心配で――」
アドルノは照れくさそうに視線を逸らしました。そんなふうに考えてくれていたんですね。いい子! いい子です!
「大丈夫ですよ、アドルノさん。まだあたたかい季節ですし、これくらいの手荒れ、どうってことはありません。さあ、服を脱いでください。いっしょに洗ってしまいますから!」
「わあっ、ちょっと脱がさないで! もう、あなたほんとうに貴族の令嬢なんですか。気遣いってものが欠けているんじゃないですか」
「うーん、そんなことはないと思いますけれど」
そうやって、アドルノやエッカルトとじゃれていると、ひとりの馬上颯爽とした騎士が急ぎ足で近づいてきました。副騎士団長のウーサー卿です。
この人もすらりとした美男で、この騎士団領で暮らす女性たちにとても人気があります。
もっとも、本人はあまり女性に興味がなく、むしろ迷惑にすら思っているようですが、なぜかわたしには親しくしてくれます。その理由はわかりませんが、ありがたいことです。
ウーサーはめずらしく苛立った様子で馬を降りると、わたしに告げました。
「クレオーラさま。客人が来ている。あなたの知人だ」
「わたしにですか?」
「ああ」
いったいだれでしょう? このような辺境の領地にまで実質的に追放されたわたしに、いまさら逢いたがる人なんて思いあたらないのですが。
もしかして、昔の友人が思い出してくれたのでしょうか。それでも、わざわざここまで来るとは思えませんけれど。
ウーサーさんは舌打ちしたそうな顔で告げました。
「ドノヴァン王子だよ。どうしてもあなたに逢って謝罪したいと云っている。どうする? 断わってしまってもかまわないが。いかに王子とはいえ、先触れの連絡もなく突然に訪れて淑女を呼び出すなど非礼に過ぎる」
驚きです。いったいあの王子が追放令嬢のわたしに何の用でしょう? わたしと王子のあいだの
しかし、わたしは迷いませんでした。王子が用があるというのなら、受け入れるにせよ、拒むにせよ、聞いておく必要がある。それは自分自身の護身のためにこそそうなのです。
「大丈夫ですか、クレオーラさま。そんなあなたをここに追いやった王子なんて、無視してやっても良いんですよ」
アドルノが心配そうにそう云ってくれます。良い子。ほんとうに、良い子。一家にひとり欲しいくらいです。わたしの弟になって伯爵家を継いでくれないかしら。
「大丈夫ですよ、アドルノさん。わたしは平気。ちょっと逢って来ます」
こうして、わたしはウーサーさんに馬上に引き上げられ、騎士団長が待つ建物へ向かうこととなったのでした。
ふたたび対決のときです。
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