第8話
大通りでタクシーを降り、まっすぐ家に帰ると、すぐに歯を磨いた。口の中にアルコールと人工的なミントの匂いが混ざり、私は酷く煙草が吸いたくなったが、禁煙して五年は経つので、家にはライターはおろか、灰皿さえなかった。
久し振りにそういう種類の会話を他人とした所為か、妙に心細くなっている自分が居た。こういう日はさっさとお風呂に入って布団にもぐるべきだ。と、わざと独り言を口にする。浴槽の蛇口を捻り、お湯が溜まるのを待つ間、鞄から携帯電話を取り出し充電器に差し込むと不在着信の通知があった事に気づく。携帯の画面は午前二時を表示し、着信は知らない番号から五分程前にあった事を教えてくれた。
きちんとした生活をしている人には、どう転んでも失礼な時間だが、そういう世界線に生きていない人もいる。私は勿論それに当たり、相手もそれに当たるようだった。着信を折り返すと、四コール程で、知らない男の声が「お疲れ様です」と言うと同時、普段耳にしない種類の音が耳元のスピーカーからはみ出した。
「もしもし」という声はとぎれとぎれになり、ドラムやギター、ベースの割れたような音がひとつのノイズのようになっていたが、ドアを閉めたのか、その瞬間から男の声だけがはっきり聞こえた。
「もしもし、夜分に失礼します。お電話を頂いた様なので折り返したのですが……、伊藤さんですか?」そういうと、男は
「あ、そうです、伊藤です。いや、先に掛けたのは僕なんで。たいらさんからさっき電話を貰って、あらかたの話は聞いたんですけど、ちょっと確認したいこともあるんで、明日、お時間作ってもらえませんか?」そう早口で言った。
私は伊藤という男が言う幾つかを手元にあったスケッチブックに控えると、それを破いて鞄の奥に入れ、
「では明日、十六時に市ヶ谷の喫茶店で」そう言うと電話を切った。
私は、お湯を出したままにしていた事を思い出し、服を一枚一枚脱ぎ捨てながら、お風呂場に向かった。
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