アズキの一撃

絵空こそら

アズキの一撃

 規定の昼休みよりちょっと早い時間から、職場のベテラン勢は集まって弁当を食べだす。注意を受けても、「その分早く仕事に戻ってます」とどこ吹く風だ。仕事に早く戻ってきたところなんて見たことないのだが、まあ、10分くらいなら誤差の範囲だろう。それよりも面倒くさいなと思う。自分のルールを押し通そうとする奴も、型通りにしなきゃ我慢ならない奴も。

 ベテラン様方は噂話に夢中。パソコンのタイピング音よりも大きい声量に、同期の山崎が苛ついているのがわかる。仕事に集中できないって顔でディスプレイを睨みつけてる。私もこのお喋りが始まると注意力が散漫になるので、端から仕事を放棄している。パソコンに向かうふりをして頭の中で今日の予定を確認する。買うもの、ネギと単三電池、食器用のスポンジ。コンタクトレンズの代金をコンビニで支払って、ついでに新作のスイーツでも買おっかな。それから最近読んでる推理小説の考察。犯人は誰か、主人公よりも早く解きたい。あ、山崎貧乏揺すり。あんたも真面目に仕事しないで楽しいことでも考えてなよ。最近夢中になってるらしいアイドルゲームの可愛い子ちゃんとイチャイチャする妄想とか。

 いっそのことベテラン様に合わせて11:50から昼休みにすればいいのに。あ、でもそしたら今度は11:40に弁当食いだすのか。イタチごっこ。どうにもならないなら現状をうまく活用しなきゃ。考え方次第で多少は、マシになるんだから。

「そういえば、先週異動してきた刀豆さん、第一部署の河西くんと付き合ってるらしいわよ」

 タイピング音が一瞬止まる。登場人物のアリバイ確認をしていた私の頭の中に、アズキが登場する。

「え、河西君て営業トップのハンサムな子よね。たまにここにも寄ってく」

「そうそう、ねえ、お似合いよねえ」

「でも河西君競争率高いでしょ?女の子たちにやっかまれたりしないか心配だわ、刀豆さん」

 毒気がある。全員聞いてるのわかってて言ってる気がする。当のアズキが営業に出てるのだけが救いだ。

 それにしても、アズキが上っ張りだけ立派なあの河西と?口さがない噂だとわかっていても、なんだかもやもやした。12:00のチャイムが鳴る。



「河西?」

 戻ってきたアズキにそれとなく聞いてみる。

「ベテラン様方が言ってたよ。河西とアズキが付き合ってるって」

 アズキは声を上げて笑った。

「あははっ!ある意味間違ってない」

「ある意味ってなにさ」

 アズキは前髪を掻き上げる。

「お付き合いじゃなくてド付き合いのほうだね」

「は?」

「営業成績のことでマウント取って来たから、ちょっとからかってやったらビンタされたんだよ」

「え、手上げたってこと?こわ」

「プライドが傷ついたんじゃね。エリート君だし」

「そんなことで殴るかねふつう」

「そんなことって何?」

 マスカラで囲まれた目力が私を睨む。

「自分のこと馬鹿にされたら許さないよ、普通。だからあたしは言葉でやりかえしたわけ。まあ、暴力で返って来たから暴力で返したけど」

「えー、そういうもん?ヤンキー思考こわ。でも大丈夫だったの?怪我しなかった?」

「あいつ、喧嘩したことなかったのか、一発で伸びちゃってさ。休憩中に目覚ましてくれて助かったわ。すごいびっくりした顔してた」

「そりゃそうでしょうよ」

 溜息をつきながら、私はアズキが転校してきた時のことを思い出していた。中学2年生だった。刀豆小梅。黒板に書かれた名前を見て「小梅太夫だ!」と茶化した男子を、アズキは間髪入れずに殴りに行った。私は隣の席で繰り広げられる惨劇を、冷めた目で見ていた。男に手を上げるなんて、馬鹿。どうせ女子は腕力で男子にかなわないのだし、怪我をするリスクを負うくらいなら下手でも多少の愛嬌を身につけておいたほうがいいのに。面倒くさいのが来たな。男子の泣き声をききながら思った。

 それからも、不良っぽい先輩に絡まれたり喧嘩したりしていたので、アズキは案の定生傷だらけで、クラスメイトからも遠巻きにされていた。もちろん私も遠巻きにしていたひとりだ。喧嘩なんてエネルギーの有り余ってる若者の暇つぶしだ。部活とかに入ればいいのに、そんでオリンピックでも目指せばいいのに。私はといえば、そのエネルギーは全て勉強に費やしていた。凡人なる私は、記憶力のいいうちに基礎をすべて頭に叩き込んでおく必要があった。

 アズキは中学3年生の時にまた転校していった。その後の紆余曲折は知らない。私が大学を出て就職した会社の入社式で、

「桜井?」

と声をかけられた。

 ちょっとケバいけど普通の女が、リクルートスーツを着て立っていた。刀豆小梅だった。

「中学二年生の時同じクラスだったんだけど、覚えてる?」

 もちろん覚えていた。むしろ私のことを覚えていたのが意外だった。

 積もる話をしながら、私は少しがっかりしていた。アズキはもっと、すごい奴になると勝手に思っていたから。こんな中小企業の安泰コースとかではなくて。

 でも、まだ男と殴り合いの喧嘩してるなんて、どうやら安泰コースを目指してるわけではないようだ。


 翌日の11:50。ベテラン勢がお昼を食べだす。私はさっさと仕事を手放す。今日の脳内議題は、実家から送られてきた野菜をどう料理するか。

「あの、うるさいんですけど」

 鋭い一言で、おしゃべりとタイピング音と思考が遮断される。まだ揚げびたしとゴーヤチャンプルーしか候補が挙がっていない。今日はアズキは営業に出ていない。何をする気だ問題児。

「仕事に集中できないから黙ってもらえる?」

「何、その言い方。それに、私たちは今休憩中なんだから、喋っててもいいのよ」

「ふうん。独自ルールね。先輩が真面目に会社のルールひとつ守らないなら、私もひとつ破っていいわけだよね」

 アズキはデスクから立ち上がってベテラン勢の前に仁王立ちする。

「あんたらが休憩中かどうかは知らんけど私は仕事中だから。邪魔したらぶっ飛ばす。あと河西は彼氏じゃないから」

「ぱ、パワハラよ!上に言いつけるわよ!」

「それって自分らの首絞めることにならない?いい機会だから、他の規則違反も全部自首したらどう?」

 ああ、もう、すごいのか馬鹿なのかわからない。

「昼休憩についてですけど」

 私は仕方なく立ち上がった。

「ちゃんとしたルールを作ったらどうですかね。確かにみんな同時に休憩すると、電話がかかってきた時に誰かが休憩中に対応することになります。でも時間をずらせば、みんなちゃんと一時間休憩取れますよね。あと、もし会話を楽しみたいなら、下のフロアの休憩室を利用するべきだと考えます。あくまでも就業中ですので」

 周りから頷きと、同意の声が返ってきて、とりあえずほっとする。

 ベテラン勢は社員一同からの視線を受けてうろたえ、とうとう

「わ、わかったわよ。ちゃんとルール作るわよ」

 と言って項垂れた。12:00のチャイムが鳴る。


「援護サンキュ」

 給湯室で弁当箱を洗っていたら、アズキがやって来た。

「別に。上司まで殴られたら今度こそ大問題になるし。なんで楯突くかね、私は心配だよ」

「え?だって普通にムカつかない?こっち仕事してんのに邪魔されんの」

 私は思わず笑った。アズキの思考はいつだってシンプルだ。別に羨ましくはないけど、嫌いじゃない。

「出世できないよ」

「んなもん要らん」

「いっそのこと、社長になっちゃえば?」

「は?なんでそうなる」

「わからない。思ったこと言ってみただけ、あんたみたいに」

「そんなに思ったこと全部喋ってないし」

口を尖らせるアズキに「どうだか」と返してから、ふと野菜消化メニューをまだ思いついてないことを思い出した。

「ねえ、夏野菜を大量に消費するメニュー、何か考えて」

「え?なんで」

「あんたが考える時間奪ったんだから、あんたが考えてよ。言ってくれたら何でも作るから」

「それって食べに行っていいってこと?じゃあ、天ぷら!」

「いきなり面倒くさいのきた……」

 物事は全てにおいて面倒くさい。でもこんな面倒なら、たまには悪くない。そう思いながら、午後の仕事に向かった。

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アズキの一撃 絵空こそら @hiidurutokorono

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