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とんでもない話でしょ、と野分花魁は笑った。いたずら好きの少女のような、それはこれまで真澄が見たことのない表情だった。
そこでようやく真澄は、忍が愛した野分を見た気がした。そして、直巳が慕う野分も。
この彼女の笑い方は、華やかでも艶やかでもないけれど、周囲の気温を下げたりもしない。なんなら周囲の気温をふわりと上げるような柔らかさがあった。
ああ、このひとは本気で忍を愛しているのだな、と思う。
肝臓を壊しても、桜町にはいられなくなっても、それでも少しでも彼の気配がする場所に留まりたいと願うほどに。
それは、直巳を慕う真澄自身の気持ちによく似ていた。
離れたくない、離れられない。
未練がましく桜橋のたもとの私娼窟に居続けた自分の情けなさは自覚している。
黙り込む真澄を見て、野分花魁は今度は柔らかく苦笑した。
今日だけで、この美しい人のこれまで見たことのない表情をいくつ見ることができているのだろう、と、真澄はぼんやり思う。
「別にね、それから何があったってわけじゃないのよ。ただ、晴海楼に忍さんが来るたびに、今度こそ抱いてくれるんじゃないかって期待したわ。結局、抱いてくれたのなんて数えるほどで、いっつも忙しそうに駆けまわってると思ったら、過労で倒れて死んじゃったんだけどね。」
過労で倒れて死んじゃったんだけどね。
その言葉を聞いた瞬間、真澄は自分で驚くほど強い衝動として、直巳に会いたいと思った。
会いたい。師が死んでなどいないことを、どこかで生きていることを確かめたい。どうしても。
「どうしよう。」
口から出た言葉はかろうじてそれだけ。
どうしよう、直巳が死んでしまっていたら。この世にもういなくて、二度と会えないとしたら。
野分花魁は、真澄が口にできなかった言葉を察したようで、小さく顎を引くように頷いてみせた。
「直巳の行きそうな場所ならあてはいくつかあるわ。」
「野分花魁なら、体が悪くても欲しがる娼館はいくつかあります。」
「旅の支度をなさい。」
「花魁も、住み替えの支度を。」
報われなかった者同士の、切実な思いやりがそこにはあった。
重なる視線は物を言わずともわかりあえる痛みをたたえていた。
望まれていないことくらいわかっている。それでも、心がはち切れそうに膨らんで叫んでいる。
もう一度会いたい。
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