「そろそろ浮舟が戻って来る時間だから。」

 そう潤に肩を揺すられるまで、真澄は薄い眠りの膜の中にいた。

 その膜の中で、直巳に拾われた日の夢を見ていた。

 真澄には父親がいない。母親はストリッパーであったが、とうに老いすぎて仕事はなくなっていた。

 18歳の真澄はストリップ小屋の下働きやら、クラブの黒服やら、売り専やら、あちこちの仕事を転々としていた。転々としたくてしていたのではなく、極端に面倒くさがりの性格のおかげでどの仕事もろくに続かなかったのである。

 最後の砦と思われた売り専さえクビになった真澄に、真澄の母は容赦なかった。出て行け、の一言でアパートから放り出されたのだ。

 当時18歳になったばかりだった真澄は、今のようなふてぶてしさはまだ持ち合わせていなかった。

 さぁどうやって生きていけばいいのだ、と、真冬の桜橋のたもとにしゃがみ込んでいた真澄を拾ったのが直巳だった。

 『どうした。こんなところにいると補導されるぞ。』

 それが彼の第一声だった。

 『行くとこないんですよ。』

 真澄が躊躇いがちに返すと、彼は困ったように薄く笑った。

 そして、1日だけの条件で部屋に泊めてくれたのだ。

 そこで真澄は全てを話した。父親はやくざの鉄砲玉として死んだこと、母はストリッパーだったが老いて職をなくし、売春で細々と生計を立てていること。自分はどんな職についても長続きせず、いい加減嫌になって桜川に身投げでもしようかと思っていたこと。

 黙って真澄の話を聞いていた直巳は、そうか、と軽く頷いた後、女衒をやる気はないかと言ってきた。もしもその気があるのなら、稼げるようになるまで面倒は見てやると。

今思い返しても、たいしたおせっかいだ。

 「真澄? 起きろよ。」

 師によく似た男が、俯せた真澄の肩を強く揺らす。

 「……ああ。」

 真澄はベッドから起き上がると、床に投げ出されていた着物を拾い上げ、身に纏った。  そして、さぁ帯を結ぶか、と身をかがめた瞬間、玄関のドアが開いた。

 玄関から部屋までを遮るものはない1Kだ。半裸の真澄は、出勤前の洋装姿の浮舟と黙って見つめ合った。

 「……真澄さん、」

 なにを言おうとしたのか、浮舟はただ真澄の名を呼んだ。

 真澄はなにも答えられないまま、茫然とその場に突っ立っていた。

 潤だけが平気でベッドからから起き上がると、テーブルの上に置いてあったペットボトルからごくごくと水を飲んだ。


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