第37話 生命の木(^^)ノ

第一子が産まれて2年程経過した頃、私達は、甲府盆地から山梨市へと引っ越しをした。


お腹の中には第二子がおり、前のアパートでは何かと手狭になった為だ。


周囲は、見渡す限りの葡萄畑である。


ちなみに、山梨市を含む、甲州市、甲斐市の甲府盆地の北東部に位置する峡東地域が、世界農業遺産の認定を受けた。


世界農業遺産とは、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域であり、国際連合食糧農業機関により認定されたものであると言う。


ユネスコ世界遺産との違いは、遺跡や歴史的建造物などの不動産を登録、保護するのに対し、世界農業遺産は、次世代に継承すべき伝統的な農業のシステムを認定し、その保全と持続的な利用を図るものである。


峡東地域の世界農業遺産認定は、盆地北東部の起伏と傾斜が大きい扇状地の立地を利用した葡萄や桃などの落葉果樹の適地適作を長きに渡り継承して行った事が、認定を決定付けたとされる。


桃は、仙人が遊び暮らすと言う、桃源郷の語源にもなった果物である。


私は、以前、勝沼の大善寺の国宝の薬師堂を拝観した際に夫が語った言葉を思い出していた。


大善寺は、逗子を含めた国宝の薬師堂を有する、山梨県内有数の古刹である。


薬師堂の中心には薬壺の代わりに葡萄を持った薬師如来が鎮座し、その脇侍として日光、月光の両菩薩。


更に、薬師如来を信仰する者を守護する為に十二神将が控えている。


薬壺の代わりに葡萄を手に持つ薬師如来は、全国的にも例がなく、大善寺の開基伝説にも大きく関わっていると言う。


大善寺に伝わる伝承によれば、今から千二百年ほど前、行基という高僧が、西の地から、はるばる勝沼へやって来た。


行基が、日川渓谷の岸で、何日も何日も神仏に祈り続けていると、霊夢のお告げがあり、岩の上に薬師如来様が現われた。


金色に輝く薬師如来は、右手に葡萄を持ち、左手には宝珠を持って、普通の薬師如来と違った姿をしていた。


行基は、霊感に従い、この地に寺を建て、薬師知来を祀り、葡萄の作り方を村人に教えたと言う。


大善寺は源氏が甲斐国で勢力を持つ以前の在庁官人(ざいちょうかんにん)であった、古代豪族の三枝(さえぐさ)氏の氏寺であり、大善寺に伝わる行基の開基伝説とは、時代が合わないと言う。


なので、行基開基云々は、後付けの設定だと思うと、夫は言いながら、そもそも、薬師信仰は、弥勒信仰と同じように、キリストの信仰を仏教が取り入れて作られた可能性が高いと語った。


救世主としての信仰は弥勒菩薩が担っているが、同じように病を癒すと言う、治療者としてのキリストの側面は、薬師如来が担っており、薬師如来の両脇侍である日光菩薩、月光菩薩は、変貌山(へんぼうさん)でキリストと共に語り合ったと言う、預言者モーセとエリヤであり、十二神将は、言わずもがな、キリストの十二人の弟子に対応していると言う。


キリスト亡き後、病を癒す治療者は、特にシャーマンである女性が担ったが、教会がキリストを独占したいが為、土着のシャーマンは熾烈に迫害された。


これが世に言う魔女狩りである。


キリストと葡萄は非常に深い関係がある。


ワインはキリストの血であり、キリストは自らを生命の木である葡萄の木に例え、弟子達を導いたと言う。


私は、私の傍らで眠る息子を眺めながら、私の夢に現れた十二人の仙人達は、ユダヤの十二支族の象徴だったのではないか、と思った。


日本の建国には、恐らくユダヤ人の持つ宗教思想が強く関わっているのだと思う。


ユダヤ人である、徐福が探したと言う不老不死の仙薬とは、恐らく、聖書にある生命の木の実の事であろう。


彼は、その実を求め、蓬莱山たる富士山を目指した。


そして、その因果が様々な所で実を結び、世界農業遺産と言う形で、山梨は峡東地域に結着したのだ。


桃源郷はここにある。


十二人の仙人達は、その事を知らしめる為に、私の夢に登場したのではないか。


人は土から産まれて土に還るのであるのなら、永遠に繁栄する土地は、永遠に継続していく人だ。


コロナウィルスの蔓延により、社会は劇的な変容を遂げており、それは今も継続中である事は容易に想像出来る。


誰かが言っていた、神と悪魔は常に離れず、同時に歩んでいると言う言葉を私は思い出す。


悪魔の象徴である獣の数字、666はミロクと読めるが。


弥勒の世界は、五六億七千万年後と言う遠い未来に訪れると言う。


世界を襲った五六七(コロナ)禍は人類の罪の贖罪であり、六六六(ミロク)の世界を開く鍵とでも言うのだろうか。


ふふ、バカバカしい。


私は、思わず心の中で笑ってしまった。


これではオカルトではないか。


知らず知らずのうちに、私も随分と夫に毒されてしまったようだ。


しかし、変容とは、変わってしまった後でないと気付けないのだからタチがが悪いのだ。


この世界は、どの様な形に様変わりするのだろう。


願わくば、これから訪れる世界は子供達に優しい世界であって欲しい。


そう思い、側で眠る息子の顔に目をやり、それから私は考えるのをやめた。


その夜、久しぶりに夢を見た。


真っ白な神馬が富士山の山頂に向かって駆け上がる夢だった。


空には満ちた月が、美しく輝いていた。

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日本書紀が書けなかった事 聖書の続きの物語 @furuyayou

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