第28話 藤原不比等は呪術師(^^)ノ

聖徳太子亡き後、仏教推進を引き継いだのは長屋王だった。


しかし、藤原不比等の4人の息子である藤原四兄弟の陰謀によって長屋王が自死に追い込まれると、今度は逆に天然痘によって、藤原四兄弟全員が亡くなると言う惨事が起きてしまった。


この出来事はね、本当に恐ろしかったと思うよ。


藤原四兄弟が死んだのは、長屋王や聖徳太子の祟りだと言う事で、藤原氏は鎮魂の為に法隆寺を再建したり、聖武天皇は深く仏教に帰依して、国分寺や国分尼寺を建立したって訳だよ。


なるほどね、と私が言うと、でも分からないのは、日本書紀の編纂の中心にいた藤原不比等の気持ちなんだよね、と夫が呟いた。


藤原氏は、天児屋根命(あめのこやね)を祖とする一族なんだけど、天児屋根命(あめのこやね)は天磐戸開きの時に、祝詞(のりと)を奏上した神様なんだよね。


つまり、藤原氏って、呪術としての言霊(ことだま)について知り尽くした一族である訳だよ。


日本書紀は、そんな藤原氏が編纂の中心にいたのだから、当然のように言霊(ことだま)としての呪術を使う筈だよね。


僕は、藤原不比等って、超一級品の呪術師だと思ってるんだよね。


その証拠に、全ての日本人は、藤原不比等が仕掛けた呪術にかかっていると思う。


日本神話では、同じ神をまるで別の神であるかのように扱ったりしてるよね。


系図も意図的に、同じ人物を重複させたりして複雑にしている。


それは、藤原不比等が意図的に行っている呪術だと、僕は考えているんだ。


その結果、日本人は、自分達が何者で、何処からやって来たのかと言う事すら分からなくなってしまったんじゃないかな、と夫は言った。


しばらくして、夫が思い出したように、よくよく考えてみると、卑弥呼だって、太陽神を奉斎する巫女なのであって、太陽神そのものではないよね、と言った。


陽って、男の象徴である筈なのに、天照大神(あまてらす)が、女神であるのかを読み解いてみると、その時代の女帝だった持統天皇が、天照大神(あまてらす)の投影である事が分かると思うんだ。


持統天皇が亡くなった後に送られた諡号(しごう)が、日本書紀では思いっきり天照大神(あまてらす)に寄せて作り直されているのを考えると、皇室の先祖神である天照大神(あまてらす)のイメージは、日本書紀の編纂時期に出来たものなんだよ。


だとしたら、天照大神(あまてらす)が頼りにしている高御産巣日神(たかむすび)は、藤原不比等って事になる。


持統天皇と藤原不比等のコンビの活躍は、そのまま天照大神(あまてらす)を投影した、女帝、持統天皇から始まる王家の正統性を述べている事になるよね。


持統から始まる王家は、天武天皇の王家ではなく、天智系の女帝から始まる王家。


その事を、藤原不比等は暗に言いたかったんじゃないかな。


夫が語った事を、しばらく考えて、それ以外にも藤原不比等は、聖徳太子と言う架空の人物を創り出し、彼を神格化させる事によって、日本書紀を日本の聖書にしたのかも知れない。


私の中に、そんな思いがぐるぐると渦巻くのだった。

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