第7話 大山阿夫利神社に行きました(^^)ノ

夫と二人で休みの段取りを付けて、今日は、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社(おおやまあふり)と、静岡県三島市にある三島大社に行く事にした。


仕事の都合を付けたので、今日は駿河にあるスパホテルに一泊する。


軽い朝食を食べて、自宅アパートを朝の9時頃に出発した。


叔父さんの家を訪ねてから、一週間が過ぎていた。


あれから、気持ちは大分落ち着いたが、叔父さんに言われた大山祇神(おおやまづみ)を調べてみようと思ったのだ。


大山阿夫利(おおやまあふり)神社と、三島大社巡りは、その一環である。


移動中の車内では、甲州弁の使い所が難しいとか、携帯料金が高すぎるとか、そんな話をした。


私達は、お昼前には、伊勢原に到着していた。


自宅を出た時は、雲一つ無いとは言えないまでも、とても良い天気だったのに、伊勢原に着いた頃には、空は重い色を湛えており、どんよりと曇っていた。


夫は、空を見ながら、阿夫利(あふり)神社は、雨降り神社とも言って、雨乞いの聖地なんだ、と言う事を教えてくれた。


大山の麓(ふもと)の駐車場に車を停めて、私達は、ケーブルカーに乗り、下社まで行く事になった。


夫は、かつて一度だけ大山の山頂を踏んだ事があるそうだが、流石に、今回は、天気も芳しくないし、何の装備も整えて来なかったので、登山はしない。


大山の麓(ふもと)は、土産物屋や旅館がひしめいており、平日と言う事を考えれば、人は多い方だと思った。


これは、信仰の力によるものだろう。


参道を20分程歩き、土産物屋を覗きながら、ケーブルカーに乗った。


私達は、大山の中腹にある大山阿夫利(おおやまあふり)神社の下社に向かう。


大山(おおやま)は、山を御神体とする古い信仰形態を持っており、下社で山頂を遥拝するようになっているらしい。


ケーブルカーで上に行くに従い、霧が濃くなって来た。


行くつもりはないが、仮に山頂に行ったとしても、この天気だと展望は望めないだろうな、と思った。


霧の立ち込める中、ケーブルカーは終点の阿夫利神社に到着した。


大きな神社だ。


私達は、参拝を済ませて、ベンチに腰掛けて土産物屋で購入したペットボトルのお茶を飲んだ。


幸い、雨はまだ降るつもりがないらしい。


夫は、この阿夫利(あふり)神社の麓(ふもと)にある秦野は、渡来民である秦氏が住み着いた土地だと言う伝承があると説明をした。


そう言えば、大山祇神(おおやまづみ)は、渡来神であると、叔父さんが言ってたのを、私は思い出していた。


ちなみに、秦野に土着した秦氏は、徐福集団の子孫を名乗っているらしいよ、と夫が言うので、私は、徐福って?と聞いた。


私が、そう尋ねると、夫は徐福についての説明を始めた。


徐福は、中国の伝説上の人物で、秦の始皇帝の時代、不老不死の仙薬を求めて海を渡ったとされる道教の方士である。


中国の歴史書「史記」には、徐福は、始皇帝に対し東方の三神山に、不老不死の仙薬があると進言して、三千人の若い男女と、多くの技術者を従え、財宝と五穀の種を持って東方に船出したものの、三神山には至らずに、広い平野と湿地を得て王となり、秦には戻らなかったと記されていると言う。


夫は、その徐福が得たと言う、広い平野と湿地こそが、日本であったと言う説がある事。


また、秦に滅ぼされた斎の国の人であった徐福は、始皇帝より命を狙われる危険があったとされ、それ故に、一族を率いての徐福の渡来は、実は体の良い亡命だったと言う説がある事を、付け加えた。


秦野の秦氏は、この時に日本に渡来した徐福集団を自称しているそうで、不老不死の仙薬を求め、富士山にやって来た徐福は、求めたものが得られずに、秦の国へと一旦帰国した。


しかし、その時に渡来した徐福集団のうち、五百名は、そのまま山梨側に残り不老不死の仙薬を探し続けたと言う。


その後、富士山は噴火を起こした為に、彼らは、現在の秦野市に移住して来たと言う。

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