第8話 見えざる少年、影下推参

「あれ、誰もいない」

 今日こそ誰かしら先に来ているだろうと考えていた仁は、また一人の時間か…とドアを閉めた。

 別に一人が嫌いな訳ではない、ただ毎度毎度、依頼人が来ないかと一人で待つのが退屈で仕方ないのだ。

「暇だし、宿題でもやっておくか…」

 最近は何かと、職員室に連行される事が多い。あまり素行が悪いと、今後の依頼人も望めなくなる。そうなれば、新作のゲームが全然買えなくなってしまう。

 まさに負のスパイラルだ。

「は〜るか〜彼方〜空の星々が〜」

 仁は一人で何か作業をする時、歌を口ずさむ癖があった。

 今彼が歌っているのは、最近見た映画の主題歌だ。当然、口ずさみながら宿題が進むわけもなく、いつの間にか歌う事がメインになってしまっていた。

「それはぁ〜つぅ〜よく応えたのだ〜!」

 いつの間にか立ち上がり、ペンをマイク代わりに熱唱する仁。

「ただ一人であっても〜!」

 気付けばアカペラで、一曲丸々歌ってしまっていた。いかんいかん、と仁は座り直した。宿題をやるはずがカラオケの練習みたいになっているではないか。

 それに、こんな姿を誰かに見られたら恥ずかしさのあまり、夜しか寝られなくなる事だろう。

 そんな事を思っていると、パチパチと拍手の音が聞こえて来た。

 バッと振り返り、出入り口であるドアを見る仁だったが、人はいない。

 もしや…と仁が教室を見回すと、彼が現れた。

 フードを目深に被った少年が、パチパチと拍手をしている。少年はまるで、最初から座っていたかのようだ。

 最初から…?

 その時、仁が感じていた違和感の正体が分かった。誰かいるのかと思った最初の感じ、あれは鍵が掛ってないからこそ感じたのだ。鍵を閉め忘れていたのかと最初は思ったが、おそらく学校の見回りとかで誰かしらがチェックしている事だろう。

 つまり、導き出される答えは…

「もしかして影下かげもと、最初からそこにいた…?」

 親指と人差し指をくっつけて円を作る。

 正解、と影下は言っているのだろう。彼はあまり言葉を発さないのだ。

「マジかよ…恥ずかしい!!!」

 羞恥で赤くした顔を、両手で押さえる仁。影下は仁の肩をポンポンと叩いた。

「影下…」

『録音しておいたから今度みんなで見ようね』

 ホワイトボードに書かれている内容に、仁は絶句した。

「それだけは勘弁してくれ…」

『冗談だよ笑笑笑笑』

 この影下という少年は、言葉は発さないが陽気で明るいのだ。

『そういえば仁?黒成の手はどうしたの?』

「あれか?アイツがナイフを掴んで怪我したんだ」

 えっ!と驚きのジェスチャーをする影下。

「いつもアイツに料理を作ってもらってるからな。今日も作りに行ってやろうと思ってる」

『なるほどね。夏だし激辛料理でも作ろうよ』

「お、いいなそれ。アイツ辛いの好きだっけ?」

『きっと好きだよ』

 ちなみに黒成、辛いのは普通位の得意さです。



 そうして、二人で話している時だった。

「失礼するわね」

 ガチャリとドアを開いて少女が入ってきた。

「おお、亜比あびじゃないか」

 ツインテールとツリ目が特徴なヘソだし少女、亜比がやって来た。

「久しぶりね、仁。あの時はどーもね」

 ふふ…と笑う亜比に、あの日の屈辱を思い出した仁は苦そうな顔で笑った。

『知り合い?』

「ああ、高飛車悪徳令嬢系の亜比だ」

「だから、高飛車悪徳令嬢系ってなによ。わたしってそんなに高飛車け…」

 言葉の途中で、亜比は影下に駆け寄る。突然女の子に迫られ、あたふたとする影下。

 そういえば、亜比は風紀委員に所属しているのだった。影下は夏だろうとフードを外さない。以前は夏でもパーカーを着てダラダラと汗をかいていたが、今はフードだけを着用している。俗にいう付けフードというやつだ。

 亜比はヘソを出してはいるが、彼女も風紀委員だ。素行の悪い生徒を注意出来る立場にあるかは疑問だが…。

 仕方ない、もし何かあったらフォローしてやろうと、仁が思っていると、

「あなた…暑くないのそれ?熱中症になる前に外しましょう」

 ただ単に、熱中症にならないか心配してるだけだった。そう言ってフードを外そうとする亜比と、外されまいと必死にフードを引っ張って抵抗する影下。

「やめとけ亜比。影下は風呂に入る時もフードを外さない奴なんだ」

「それじゃあ…どうやって…頭洗うのよ…!」

 力一杯引っ張っていた亜比だったが、突如バランスを崩し尻もちをついた。

「痛たた…でも、これで熱中症にはならな…」

 フードの奪取に成功したと思った亜比だったが、影下は相変わらずフードを被っている。どういう事?とフードを握っているはずの手を見ようとした亜比だが、手が見当たらない。

「あれ…わたしの手は?」

「だからやめとけって言っただろ。影下は数秒以上触れてきたものを吹き飛ばす能力があるんだ」

 嘘ぉぉぉぉぉぉ!?と亜比は両腕を見るが、どちらも手首から先が無くなっている。

「どうしよう仁…これじゃお嫁にいけない…」

 涙目の亜比を見た仁の口から、ブフッと堪えきれない笑いが出てきた。

「いやいや、冗談。無くなってないぞ」

「え?」

 再び目を向けると、両手が元に戻っていた。

『ドッキリ大成功』

「なんだ、ドッキリだったのね」

「あはははは」

 亜比が作り出した氷柱が、仁と影下へ向けられる。

「どっちから串刺しになりたい?」

「すみませんでした!」

 即座に土下座をして謝る二人に、冗談よと氷柱を瞬時に溶かす亜比。

「それに、わたしは用があってここに来たのよ」

 何用だ?と問いかける仁に、ちょっとね…と亜比は視線を落とした。

「最近、ひったくりが増えてるのは知っている?」

「ああ、ホームルームで言っていたな」

「まだ一部の生徒しか知らないんだけど、実はこの学園の生徒が関与しているかもって話なのよ」

『酷いやつだ!』

 そうなのよ…と亜比は拳を握りしめた。

「荷物を突然奪われて、転んで怪我をした人も少なくないわ。風紀委員として、見過ごせない」

「なるほど。学園の恥晒しを捕まえたいから、俺達に手伝って欲しいと?」

 うん…と頷く亜比に、仕方ねえなと仁は立ち上がった。

「早速行こうぜ。汚名挽回のチャンスだ」

『仁…名誉返上って言いたいの?』

 正しくは名誉挽回、汚名返上だが最近は汚名挽回も間違いではないとする説がある。汚名を挽回するのではなく、汚名がない状態まで戻るという解釈があるのだ。

 名誉返上もあながち間違いではないが、話が脱線してしまうのであとは各自に任せよう。



 仁、影下、亜比。異色の三人が街を歩いていた。

 この付近が、よくひったくりが行われている犯行現場らしいのだ。何度も同じ場所でひったくりを行うのなら、同一犯である可能性が高い。犯罪者というのは、頭がキレる者もいるが、大半は頭の悪い者が多い。そもそも人のものを取ろうとするのだ。

「犯人は、ただの馬鹿か阿呆か」

「なんの話?」

 独り言だ、と仁は答えながら亜比を見ると、尋常じゃないくらいの汗をダラダラとかいていた。

『汗大丈夫?』

「ええ、ありがとう…わたしは…代謝がとてもいいみたいなの」

 そういえばそうだったと、近くにコンビニがないか仁は辺りを見回した。

「おい亜比、アイスクリーム屋台があるぞ!」

「本当!?」

 キラキラと目を輝かせて、亜比が駆け出した。今時珍しい、屋台のアイス屋さんだ。

「おばちゃま〜アイス三つくださ〜い!」

「あらあら、可愛らしいお客さんだねぇ」

 青い屋台に、旗にはアイスと大きく書かれている。

「はい、三つで300円。今日暑いから、ちょっとサービスしちゃうね」

「ありがとうおばちゃま!」

 亜比はアイスを二つ受け取り、仁と影下に渡した。

「ありがとう、別に奢ってもらわなくてもいいんだぞ?」

「約束したじゃない、アイス奢るって」

 そういえばそうであった。

 仁が触手に敗北した日。心に深い傷を負ったが、亜比と約束を交わした日でもあった。

『ありがとうアビ』

 アイスを受け取った影下は、ニッコリと笑っている。

「礼は良いわよ。暑い中付き合ってもらってるんだからね」

 亜比も笑うとアイスを一口、パクッと食べた。

「…美味しい!」

 ふふふ、と三人で歩きながら食べていると「ひったくりだぁぁぁぁ」と叫ぶ声が遠くから聞こえてきた。

「タイミング最悪ね…」

「だな」

 声のした方を見ると、スクーターで二人乗りをした少年達がバックを手に逃げ去ろうとしている。

 アイスは食べかけだ。今すぐに食べ切る事は難しいだろう。サービスしてくれたアイスを無碍に扱う事も出来ず、どうしようと亜比は狼狽えている。

「安心しろ、今日は影下がいる」

『任せてくだちい』

 影下がひったくり犯に向けて手を向け、握りしめた。

 その瞬間。スクーターが消え、少年達が地面に叩きつけられた。

「嘘…あれ、大丈夫?」

「ああ…ちょっとやりすぎかな?」

『悪即斬ってやつよ』



「いてて…大丈夫…?」

「なんとか…めっちゃ擦りむいた…」

 少年達は、何が起こったのか理解出来なかった。周りを見ると、さっきまで乗っていたスクーターがない事に気付いた。

「あれ、スクーターは?」

『あそこだよ』

 ホワイトボードを見せながら突然現れた影下に、うわぁ!?と少年達が驚いた。

 そして、影下が指差した先からスクーターが現れた。先程少年達が乗っていた時と変わらないスピードで、今にもこっちに突っ込んできそうだ。

「まったく、こういう時しか刀を触れないってのは難儀だよな…」

 召喚した刀を振るい、スクーターを一刀両断する仁。

「さて、これで足は無くなったな」

「そうね、逃がさないけど…」

 見ると少年達の手足が、氷漬けにされている。能力を使用した亜比が、氷のように冷たい目で少年達を見下ろしていた。

「ぼ、僕たち…やれって言われて…」

「言い逃れ出来ると思ってるなんて、浅はかね。その口から肺に至るまで、氷で塞いであげてもいいのよ?」

「まぁ待て亜比。話は一応聞いておこう」

 仁は刀を消すと、少年達と目線を合わせる為に少ししゃがんだ。

「僕たち…お金持ってこいってアイツらに言われて…持ってこないと殴られるんです!」

「だから、罪のない人達からひったくりをしたと?」

 それは…と少年達は目を伏せた。

 責めるのはこれくらいにしておくか、と仁は立ち上がった。

「まぁ、黒幕がいるなら黒幕を叩けばいい。どこにいるんだ?」

「ここだぜ〜」

 ズゴォォォオン!と鈍く重い音が響き渡った。突如後方から殴られた仁が、5メートル程ぶっ飛んだ。

 慌てて仁に駆け寄る亜比。血は出ているが、呼吸はしっかりとしている。

「頭は…反則だぜ…」

「動かないで、わたし達でなんとかするから」

 そう言って、亜比は仁を攻撃した人物を睨みつけた。

 大柄な男が一人。手には鉄パイプが握られており、ポタポタと血が垂れていた。その脇の取り巻き二人は、にしにしと笑っている。

「お前ら…金持ってこいって言ったろうが!」

「だって…アイツらに邪魔されて…」

 言い訳してんじゃねぇ!と鉄パイプが少年へ向けて振り下ろされる。しかし、亜比の能力で作り出した氷が鉄パイプを防いだ。

「あんた達、見るからに悪者って連中ね」

 少年達が逃げ出すと、氷が溶け出した。

「だったらなんだよ。風紀委員に捕まっちゃう〜ってか?笑わせんな!」

「そうだそうだー!」「言ったれカズマサくん!」

 はぁ、と亜比はため息をつく。

「本当に救いようがないのね…ぶちのめす!」

『賛成!』

 影下もやる気満々のようだ。

「影下君。あのデカブツはわたしがなんとかするから…あっちの弱そうなの、お願いしていい?」

 亜比の提案に対し、ちっちっちっと影下は指を振った。

 ホワイトボードに文字を書き、亜比に見せる。

『三人まとめて倒してくるから仁をお願い』

 でも…と亜比は躊躇したが、影下の自信に満ちた表情を見て、分かったと了承した。

 ポキポキと骨を鳴らす男達に、影下はゆったりと歩き出した。

「なんだ?お前一人でやるってのか?」

 首を縦に振り、くいくいっと指を前後に動かして挑発する影下。

「このやろう!カズマサくん舐めてんじゃねぇぞ!」

 取り巻き二人が一斉に襲いくるが、影下は微動だにしない。

「死ねぇぇぇぇぇ!」

 取り巻き1の拳が、何もない空間を殴り抜けた。音もなく、一瞬で影下が消え去っていた。

「あれ、いな──」

 再び現れた影下が、取り巻き1の首へチョップを叩き込む。ドサリ、と地面に倒れてしまった取り巻き1を見て、ひぃっ!?と恐怖する取り巻き2。

「な、なんだお前!瞬間移動系の能力か!?」

 のんのんのんと、おどけるように影下は両手を上げて目を閉じた。

「馬鹿にしやがって…」

 取り巻き2も拳を振うが、影下には当たらない。

「あれ?あれあれ?俺の手がないぃぃぃぃぃ!?」

 殴りかかろうとした取り巻き2の膝から先が、忽然と消えてしまっていた。

 部室で亜比がやられたのと同じだ。

 くそぅ!と取り巻き2が蹴りを駆り出すが、今度は両足が消えた。

「足がぁぁぁぁぁ!?」

 地面に叩きつけられ、影下に見下ろされる取り巻き2。

 ひぃぃぃぃと、残った腕一本で逃げ出そうとする取り巻き2に、影下は迫る。

 次は何を消されるのか。腕か、体か?それとも頭か…?

 あまりの恐怖に、取り巻き2は気絶してしまった。

 影下の能力は読んで字の如く、消す能力だ。自分が指定したものを一時的に消す事が可能な能力で、さっきはスクーターを消して逃げようとする少年達を無理やりに止め、殴られそうになったら自身の存在を消して回避する。そして、今は取り巻き2の腕や足を消した。

 消しはするが、時間が経てば元に戻るので、それ自体が肉体に致命的なダメージを与えるわけではない。だが、精神的にじわじわと追い込む事は可能だ。

「やるじゃねぇか。弱かったろ、そいつら」

 鉄パイプをブンブンと振るう男に、うんっと頷く影下。

「この俺は、一筋縄じゃいかねぇぜ!」

 おらぁぁぁぁ!と大柄な男が振るう鉄パイプを、余裕そうな表情を浮かべながら消し去る影下。そして、鉄パイプが消えようがお構いなしに殴ろうとする、男のゴツゴツの腕を消そうとした時だった。

 余裕そうにしていた影下の顔面を、男の拳が殴った。

「!?」

 吹っ飛ばされた影下はすぐに体勢を立て直し、男を見る。確かに腕を消したはずだが、消えていない。

「俺の能力は能力妨害…俺には能力が一切効かないぜぇ?」

 なるほど、と影下は納得した様子だ。

「どうだ?謝るなら今のうちだぞ?」

 首を横に振り、否定の意思を見せる影下。

 そうかい、と男は再び現れた鉄パイプを掴み、影下に襲いかかる。

「おら死ねぇ!」

 影下は鉄パイプを消し、立て続けにやってくる男の拳を回避した。そして自身の存在を消し去った。

 これで彼は、影一つない透明人間となる。

「どうした!隠れて不意打ちしようってか?」

 身構える男だったが、再び現れた影下は少し離れた場所にいた。そして手には、ホワイトボードが握られている。

『もうお前の負けだよ〜ん』

 馬鹿か!と男は吐き捨てながら、妙な違和感を感じた。やけに風を感じる。

 まるで、何も身にまとっていないかのような解放感。

 ん?と下を見てみると、全身がスッポンポンになっていた。

「きゃ!?」

 遠くから見守っていた亜比が、慌てて目を両手で隠した。

「てめっ!ふざけんな!」

『お前の身体を消す事は出来ないけど、握っている鉄パイプは消せた。つまり、お前の能力は、自分の身体だけが対象ってことだよね』

「ふざけやがって!服戻しやがれ!」

 股間を隠しながら、影下へ向けて走る大柄な男、もといフルチン男。

『言っただろ?もう負けているって』

 パチン!と指を鳴らす影下。そう、今彼が消したのは…。

「何が負けだぁぁぁ!俺のイチモツしゃぶるかぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」

 影下が消したもの。それは、道路に設置されているマンホールだ。

 服が消され、股間を隠す事とそうせざるを得ない状況を作り出した影下への怒り。それが、男の注意力を低下させた。

 能力を妨害されるなら、されないもので攻撃すればいい。

『完全無効化なら勝てたかもね笑』

 ホワイトボードを男が落ちた穴へ投げ入れると、再びマンホールが現れた。

「友達を傷つけるような奴は、消えちゃ…」

 ボソッと独り言を呟いた影下は、慌てて口を閉じた。

 人差し指を口に当て、シーと呟く。誰に対してか、それは分からない。

 あるいは、自分自身に対してか。


「全く…酷い目に遭った…」

 ここは仁の部屋。一度病院に搬送された後、脳に異常がないか検査したが、特に問題なさそうだったので傷を処置された後、頭を包帯でグルグル巻きにされて帰されたのであった。

「まあまあ。このわたしが看病してあげてるんだから、名誉の負傷と思いなさいっ!」

 エプロン姿の亜比が、得意げに台所に立っている。彼女は三人の不良生徒の件で学園の教職員や警察を呼んだり、ひったくりを強要された少年達を保護してもらった後、病院に駆けつけてくれたのだ。

 何故、仁の部屋でエプロン姿になり、料理を作っているかは謎だが。

『身体に良いもの食べて、早く治そう!』

 ホワイトボード片手に、親指を立てる影下。

「食べて治るんなら、苦労せんわ…」

 いたた…と殴られた後頭部が痛む仁。亜比は手を仁にかざすと、小さな氷の塊が作られた。

「影君、この氷で仁の頭を冷やしてあげて」

 影君と、女の子から名前で呼ばれた事に対して感銘を受けている様子の影下。

「そういえば、めちゃくちゃいい匂いがするんだが…何作ってくれてるんだ?」

「お粥よ。看病と言ったらお粥っしょ」

 別に風邪じゃないんだけどな…と、ベッドを出た仁はテーブルに着いた。

「さ、出来たわよ。この亜比様が丁寧に作った特製お粥!感謝して食べなさいっ!」

 鍋敷きの上に置かれたのは、たまに仲間達と鍋パーティーをする時に使う大きな土鍋だ。

 パカっと開かれた中に入っていたのは…

「何これ?牡蠣?」

「そう、をつけるには牡蠣が1番って聞いたからね!あと、スライスしたニンニクと生姜の千切り、オクラが入ってるわっ!」

 ふーん…と、仁は鍋の中を覗き込み、目を閉じた。

(……生命力じゃなくて、多分これ夜に元気になっちゃうやつやん!?)

 影下を見ると、仁の視線に気が付いたのかコクンと頷く。

 精力を生力と勘違いしているのは、この場で亜比ただ一人だけのようだ。

(どうするんだ…こんなの食ったら俺、とんでもないことになるぞ…!)

『仁、ここは食べるしかないよ』

 亜比に見えないよう、コッソリとホワイトボードを出す影下。

「じゃあ…いただきます」

「いただきますっ!」

『いただきます』

 味は、ちょっと刺激的といったところか。部屋だけでなく口一杯にニンニクの風味が広がった。

 生姜はあまり火が通らないよう、食卓に出す直前に入れたのだろう。シャキシャキとした食感と、牡蠣のプリッとした食感のハーモニーが、柔らかくなるまで煮込まれたお粥によく合う。

「美味いな。亜比は結構料理するのか?」

「まぁね。風紀委員の仕事で遅くなる時は買って帰るけど、基本的には自炊ね」

 道理で手際が良いわけだ、と仁は納得した様子だ。

 影下も、美味い美味いと言葉ではなく表情や雰囲気が言っている。

「この牡蠣もなかなか美味しいわね!を感じるわ」

「ああ、って感じだなぁ!」

 仁はヤケクソになっていた。

 しかし、引っかかるものがある。今日は他に何かしらする予定だったと思うのだが、殴られて記憶が飛んでしまったのだろうか。全然思い出せずにいる。

「ま、いいか」



 その頃、自室のちゃぶ台で頬杖をつく黒成。

「仁…まだかな…」

 晩ごはんを作りに来てやろうと豪語していた仁は、すっかりその事を忘れていたのだ。

「腹減ったな…」

 はぁ…とため息をついたその時だった。ブーブーとスマホが震えた。

「…はい、黒成です。ああ、長谷川さん?え、たこ焼きパーティしてるから来ないって!?行く行く!」

 電話を切り、黒成は部屋を出て行った。


 たこ焼き奉行の黒成が片手で無双するのは、また別のお話。

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