第6話 正義の拳 火呂

「殺人的な暑さだ…」

 夏の訪れ。ここ、水無月学園も連日30℃以上を記録し、例年より早い衣替えとなった。

 あぢ〜と汗を流しながら、アイスを頬張る少年がいた。

 彼の名は仁。普段は部室にいる事が多いのだが、今日は導かれるように購買部に向かい、アイスを購入した。

 エアコンの効いた涼しい場所で冷たいアイスを食べようとした仁だったが、他の生徒も同じ事を考えるようで、行く先々は全て他の生徒で埋め尽くされており、仁は追いやられるように外へ。そして、唯一空いていたベンチに座り、移動中の暑さで溶けかけたアイスを食べていたのだ。

 外では部活動に励む男女が健康的な汗を流しているが、自分には関係ない世界だなと、仁は笑っていた。

「よぉぉぉ仁!奇遇だなぁ!」

 背後からの怒声に、仁は食べかけのアイスを落としかけたが、地面スレスレでキャッチに成功。

「急に声かけてくんじゃねぇよ…」

「悪い悪い!今度からは、100メートル手前から声をかけるよう心掛けておこうかぁ!」

 アッハッハと笑う少年の名は火呂ひろ。彼もまた、仁の仲間の1人なのだが、基本的に部室にいる事は少ない。

 ワイシャツの左の袖に付けた赤の腕章。そこに書かれている文字は、風紀委員会。そう、彼は風紀委員なのだ。

「相変わらず風紀乱しまくりだな、お前は…」

 仁のジトッとした目線に、火呂が気付いているのかは分からない。何故なら、火呂が黒いサングラスをかけているからだ。目線がどこに向かっているのか、誰にも分からないのだ。

「俺様は風紀を乱していないぞ!このサングラスは、急なフラッシュバンに対応する為に日常的に使っているに過ぎないからなぁ!」

 意識の高さSPかよ…と仁の冷ややかな視線。

「あと、ワイシャツのボタン全部開けてるじゃないか」

 仁が言う通り、火呂はワイシャツのボタンを留めず常に全開にしており、中のTシャツが見えてしまっている。ちなみにTシャツには大きく『正義執行』とプリントされてある。

「熱中症になったらいけないからなぁ!それに風紀委員たるもの、風を感じずにはいられないのかもなぁ!」

 文字通り!アッハッハ!と大きく笑う火呂と、へー…と興味なさそうに相槌を打つ仁。

「しかし、こんな暑いのによくもまぁ元気に活動できるな…」

「当然だ!風紀を守り、弱きを助け悪を粉砕する!それこそ俺様の使命だからなッ!」

 はいはい…と仁はアイスを口へ運ぶ。火呂は悪い奴ではないのだが、非常に熱血漢というか、とにかく暑苦しいのだ。放課後になってもちっとも涼しくならない今の気温が、より暑く感じるのは気のせいではないのだろう。

 早く風紀委員の仕事に戻ってくれないかな…と仁が思った時だった。

 ぴちょん…と仁の頭頂部に何かが当たった。雨か…?と仁は頭を触るが、やけに生ぬるい。

 恐る恐る顔を上げると、少女が仁の顔を覗き込んでいた。

「うびゃああああああああ!?」

 びっくりし過ぎて腰を抜かす仁。

「おぉ!亜比あびじゃないか!相変わらず滝のように汗をかいているなぁ!」

 仁が雨と勘違いしたのは、少女から流れ出た汗だったのだ。

「あ…アイス…」

 鬼気迫る表情で迫ってくる少女に、一口食べる…?と仁は食べかけのアイスを差し出す。

 少女はアイスを受け取ると、一心不乱に食べ始めた。

「お、俺のアイス…」

 間接キッス云々は置いといて、この暑さの中では唯一冷たい存在だったアイスを食べ尽くされた事を、仁は嘆いていた。

「ふぅ…助かったわ。愚民にしては上出来ね」

「愚民って、人のアイス食べといてそれはないだろ…」

 むすっとする仁に、まぁまぁまぁ!と火呂が言う。

「亜比は恥ずかしがり屋だからな!つい高飛車悪徳令嬢系の口調になってしまうんだよなぁ!」

 誰が高飛車悪徳令嬢系の口調よ!と亜比が火呂を睨みつける。

 確かに、言われてみればそんな見た目をしているな、と仁は思った。

 頭の両脇で髪を結んだツインテールに、少しツリ気味な目。ワイシャツは胸より下のボタンを外しており、みぞおち辺りでギュッと結んだヘソだしスタイルだ。

「…風紀乱し過ぎだろ!?」

 思わずつっこんでしまう仁。

「愚民には分からないかもしれないけど、これも熱中症を防ぐために仕方なくやってることなのよ」

 火呂と同じこと言ってるよこの人…と呟いた仁は、亜比の腕にも風紀委員の腕章が付いている事に気付いた。

「風紀委員ってバカとアホの集団なのか!?」

「バカとアホとは失礼な愚民ね!もっとこのわたしを敬いなさい!」

「仲が良くていいなぁ二人とも!これぞ良き風紀!」

「そもそも、なんで風紀委員の人間が俺のアイスを食ってんだよ!立派なカツアゲじゃねーか!」

「しょうがないじゃない、わたしが購買部に行った時には、アイスが売り切れだったんですもの」

 確かに、購買部で仁が手にしたアイスこそ、最後に残されたラストアイスだった。

「…だったら自販機の水飲めよ!」

「無性にアイスが食べたかったの!」

「だったらありがとうの一言くらい言えんのか露出バカ!」

 かっちーんと亜比の表情が、氷のように冷たくなった。

「風紀委員に対して暴言とはいい度胸ね…罰として一緒に見回りしなさい!」

 はぁ!?と仁は火呂の方を見るが、うんうん!と強く頷くだけであった。

「なんで俺がこの暑い中、見回りなんてしなくちゃいけないんだよ!?」

「黙りなさい!それ以上口答えするなら退学処分にするわよ!」

 くっ…と仁は呟くと、先に歩き出した亜比を追いかけるように駆け出した。

 一人残された火呂は、アッハッハ!と笑った。

「風紀委員に、そんな権限ないんだがなぁ!」



「とりあえず、このまま下校時間まで校内の見回りをするわよ。気をしっかり引き締めなさい、愚民」

「さっきから愚民愚民って…俺には仁っていうちゃんとした名前があってだな…」

「じゃあ仁、しっかり気を引き締めなさい。風紀委員の仕事は甘くないわよ」

 急に名前を呼ばれ、おっおう…と少しだけ挙動不審な反応を見せる仁。

(なんなんだ、このドキドキは…暑さか?暑さのせいで動悸がおかしな事になっているのか…?いや、この放課後少女と二人きり!びっくりびっくりどんどん!な状況にドキドキしているのではと、勘違いしているんだ。きっとそうだ!)

 仁が陥っているもの。それは俗に言う思春期であった。つい異性を意識してしまう、例のアレである。

 そして、同じ年代同じ年頃の亜比もまた、同じく思春期真っ只中の最中であった!

(何平然と名前呼びしてんのよわたしは!会ってすぐの男の子を君も付けないで呼ぶなんて…恥ずかしい!)

 そうして両者お互いに、謎にドギマギしながら見回りがスタートした!

 が、特に異常や注意すべき生徒などもおらず、ただ時間だけが過ぎていった。

「特になんもなかったな…」

「ええ…びっくりする位に何もなかったわね…」

 しばらく二人で校内を見回りしていると、下校を知らせる鐘が鳴った。

「下校時間ね、もう帰っていいわよ」

「ここまで付き合わせて、あとはもう帰れってか?冗談じゃない。アイスの一つや二つ位奢ってくれてもいいんじゃないのか?」

 それもそうね、と亜比は踵を返した。

「風紀委員室にわたしの鞄が置いてあるから、戸締りを終えたら一緒に帰りましょ」

「ああ、じゃあ俺は玄関で待つとしよう」

 二人は足早に立ち去っていった。亜比は異性と共に帰るということに、なんなら自分から誘ったということにドギマギとしていた。

 仁も、あれ?なんかこれあれじゃね?もしかして、モテ期ってやつじゃね…と浮き足立っていた。

 ちなみに、モテ期ではない。



 戸締まりを終えた亜比は、職員室へ鍵を返しに向かっていた。

 これから異性と共に帰るという未知の展開に、ドキドキと高鳴る心を落ち着かせようと、彼女は自身の頬を軽く叩いた。

「ふー。落ち着かないけど、落ち着いたって事にしておきましょう」

 そして、再び歩き出そうとした時だった。

 聞き違いかもしれないが、遠くから少女の泣き声が聞こえた気がしたのだ。

 風の音と、人に言われれば納得するかもしれないが、彼女は風紀を守る者として、自身の目で確かめに行く事を決めた。

 泣き声が聞こえる教室に着いた亜比は、ドアを勢いよく開けた。

「風紀委員よ!一体何をしてい…」

 亜比は途中で言葉を失ってしまった。教室の中は気が狂いそうなほどに甘ったるく、それでいて海鮮系の食材を捌いた後の台所のような、独特な臭いが充満していた。

 教室の中にいたのは二人の少女と、異形の姿の男子生徒だった。

 男子生徒はワイシャツの袖から腕ではなく、無数の触手を生やしていた。そしてその触手は少女達の手足に巻きつき、身動きが取れないようにしていたのだ。

「…あっお客さんだ。せっかくだから、あの子にも僕と君達、どちらが悪いか聞いてみるかい…」

 触手の男子生徒が向けるねっとりとした視線に、亜比は後退りしてしまった。

 しかし、怯える身体に鞭を打ち、亜比は教室へ入った。

「一体何をしているの…彼女達を解放しなさい…!」

「聞いてくれよ風紀委員さん…こいつら、僕を気持ちが悪いタコ野郎って馬鹿にしてくるんだ…だから、こうして身動きが取れないようにして反省してもらってるんだよねぇ…」

 悪いけど全くもって同じ意見!と亜比は心の中で叫んだ。彼女は幼少期、家族で行った海にて、自身と同じくらいの大きさの巨大なタコに絡みつかれたトラウマを持つ、触手ダメ系の少女だった。

 しかし、気持ちが悪いからと人を馬鹿にするのも良くない…と一瞬、男子生徒の事をチラッと見るが、テラテラと光る触手を前にしたらそんな事思っていられない。

「いや、無理!普通に気色悪い!」

 つい本音を吐き出してしまい、慌てて口を抑えたが、既に遅かった。

「お前も…僕を気持ち悪いと馬鹿にするのか…許さない…!」

 亜比に向かって、無数の触手が襲いかかる。

 しかし、ピタリと触手は動きを止めてしまった。

「ぎにゃああああああ!?」

 男子生徒が苦しみ、悶える。触手は動きを止めたのではない、動けないように氷漬けにされたのだ。

「あまり、その汚らしい物体を近づけないことね…」

 亜比の能力は冷気。彼女は周囲を一瞬で凍らせる事が出来る、氷使いの能力者なのだ。

「くそぅ…痛いじゃないか…もう、本気だすしかないじゃんかぁ!」

 更に数を増やした触手が、亜比に襲いかかる。

 亜比はやろうと思えば、このまま触手を凍らせつつ、冷気を伝導させて男子生徒を氷漬けにする事も可能だ。あえてそれをしなかったのは、本気で能力を使用すると、今も囚われている少女達を巻き込む可能性があるからだ。

 そして、時間が経てば経つほど亜比は劣勢になっていく。

「くっ…」

 能力者は自身の能力が強大であればあるほど、体力の消耗が激しい。一部例外もいるが、亜比は能力を使用すると人一倍体力を消耗してしまう。

 その理由とは、亜比の能力にある。亜比は冷気を生み出す際に、周囲の熱を自身で吸収しなければ冷気を生み出せないのだ。

 そして、ただでさえ暑いこの気温の中では、亜比がオーバーヒートするのは時間の問題だった。

 汗がダラダラと流れ、足もガクガクと震えている事にも気付かない程に、亜比は追い込まれていた。

「もう…無理…!」

 そして遂に、亜比の身体に触手が絡みついた。その瞬間、幼少期のトラウマが蘇る。亜比は叫び出したかったが、叫ぶ為に必要な酸素が肺にはなかった。

「いいねぇその表情…あの子達より君を苛めたほうが、僕の気は晴れそうだぁ…」

 身体を這い回る触手の感触に、亜比は泣き出してしまっていた。

 何故、こんな事になるのか。薄れゆく意識の中で亜比は考えた。

 良き行いをしよう。人を助けよう。

 その結果がこの辱めだ。

 そんな中、最後に思い出したのは、アイスをくれた仁の姿だった。

「一緒に…帰りたかったな…」

「何か言ったかぁい?」

「聞こえなかったのかタコ野郎君?俺にはしっかり聞こえたぞ」

 男子生徒の顔面を、高速で振られた刀が打ち抜いた。

「はぎゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

 痛みに悶える男子生徒と、その様子を眺めるのは…

「仁…?」

「おう、暑い中何分待たせる気だ。これはアイスだけじゃなく焼肉と冷たいジュースを奢ってもらわないと気が済まないだろうな」

 触手から解放された亜比を受け止め、仁が笑う。

「それか、タコの刺身も悪くない。いや、唐揚げもアリだな」

 再び立ち上がり、仁を睨みつける男子生徒。

「よくもやってくれたなぁ…本当嫌になるくらいカッコいい登場しやがって…」

「それが主人公の特権ってやつだ。お前が次に登場する事があれば、成人向け作品の主人公になることだな」

 うるせぇ!と触手が仁に襲いかかる。

 しかし、能力使用中の仁に見切れない速度ではない。

 いつものように触手を切り捨て、敵の頭を殴って全部解決。そんな口笛を吹けそうな余裕で、仁は刀を振るった。

 刀は触手に触れた後、ちゅるんっと滑り抜けてしまった。

「おろ?」

 触手が仁の手足に絡み付き、骨がギチギチと悲鳴を上げている。

「痛だだだだだだだだだ!?」

「…口ほどにもないね、お前」

 誰が想像しただろうか。触手のヌルヌルで刀が滑って切れなくなるなんて事態を。

「助けてくれぇーーーーー!」

 おおよそ主人公とは思えない情けない声で、助けを呼ぶ仁。

「お前は手足だけ折ってやるから、そこで見てなよ…陵辱から始まるハーレム物語をさぁ…」

「いやぁぁぁぁぁ!両手折られたらゲームしばらく出来なくなるぅぅぅぅぅ!」

 その時だった。パリーンッと窓ガラスを割って何かが教室に入ってきた。

「俺様華麗に参上!」

 着地ポーズを決めアッハッハ!と笑うのは、室内でもサングラスを外さない男、火呂だ。

「なんだお前…邪魔すんなよぉ!」

 火呂の両手に触手が絡みつくが、ふん!と腕を振るうだけで触手が千切れ飛んだ。

 彼の能力は瞬間身体強化。一瞬だけ任意の身体能力を、超人以上にする事が出来る能力だ。

「俺様には、効かん!」

 火呂は迫り来る触手を、ぺちぺちと手で払い飛ばしながら男子生徒に近づく。

「やめろぉ!僕に近づくなぁぁぁぁ!」

 二人の距離はみるみる縮まり、既に火呂の拳は射程圏内にある。

 火呂は男子生徒へ向け、正拳突きをお見舞いする…かと思ったが、肩をぽんっと柔らかく掴んだ。

「問題を起こしたのは事実だが、お前にも事情があったんだろう。停学処分は覚悟してもらうが、俺様がついている!共に頑張ろう!」

 殴られる事を覚悟していた男子生徒は、思いがけない優しさにただ立ち尽くしていた。

 人に優しく接してもらえたのはいつぶりだろう…。そんな事を思っていたら、自然と涙が溢れていた。

「はい…すびませんでしだ…」

「これにて一件落着!」

 アッハッハ!と火呂の笑い声が、教室に響き渡った。



 火呂の説得を眺めていた仁は、ただただ唇を噛み締めて震えていた。

 感動しているのではない。自身の言動、そして触手に呆気なく捕まり、情けなく泣き出しそうになった事を思い出し、強烈なもどかしさを感じていたのだ。

(俺めっちゃ恥ずかしいやつやん…タコの唐揚げってなんだよ…揚げは揚げでも、俺は晒しがお似合いじゃないか…)

 誰しもが行う、自身の行動を反省する時間。今まさにそれを行なっていた仁は、恥ずかしさで爆発しそうな位に顔を赤くしていた。

「それじゃあ俺様は彼と職員室行ってくるから、その子達は任せたぞ、亜比」

 男子生徒と共に教室を後にする火呂は、仁にぐっとサムズアップを行った。

(やめてくれ火呂…今の俺に、その親指は効きすぎる…)

 そして、亜比も少女達と共に教室を後にする。

 一人残された仁は、はぁ〜と大きくため息をついた。

「俺、もう人助けすんの辞めようかな…」

 思春期の心というものは、熱する時は沸騰した鍋の中の水のように、冷める時は冬の海水温のように変わるものだ。そして熱が高ければ高いほど、冷めた時にとんでもないマイナス的感情を生み出す。

 俺も帰るか…とトボトボと教室を出た仁は、廊下に亜比が立っていた事に気づき、ギョッとした。

「…聞かれてたか」

 いつもの仁なら、クールに髪をかき上げて同じセリフを言ったかもしれないが、今の彼にそんな余裕は微塵もなかった。

「…わたしも、さっきは人助けなんてしたって良いことないって、思っちゃったよ…でも、仁が助けに来てくれて、凄く嬉しかった…」

「亜比…」

「捕まって情けない声出してたのは、ちょっと笑っちゃったけど…」

 それは言わんでくれ…と、仁は縮こまってしまう。

「じゃ、わたし…あの子達と更衣室で着替えてから職員室に着いて行くから…」

「そうか、俺は帰るとするか」

 少しだけ元気を取り戻した仁は、歩き始めた。

「ねぇ!仁!」

 遠くからの亜比の声に、仁は振り返る。

「アイス…また今度ね」

「ああ、楽しみにしてるよ」



「はぁ〜散々な目にあった…」

 落ち込んだ時、これを読んでいる貴方達はどうするだろう?人が立ち直る方法は千差万別だが、仁は行きつけの定食屋に行く事にした。

 美味いものを食べて、また明日から頑張ろう。そんな事を考えていた仁は、ボロボロの扉を開いた。

 らっしゃい!と大将の大きな声に迎えられ、仁はカウンター席に着いた。ここの定食屋は安くてボリューミーかつ、金のない仁にとっては嬉しい学生料金を採用してくれている。学生なら定食がどれでも500円。大将が学生時代に、ひもじい思いをした事からきているらしい。

「おう!白髪の兄ちゃん、今日は何にするだい?」

「今日は…そうだな。日替わり定食かな」

 仁は普段、肉と野菜が山ほど出てくる野菜炒め定食を食べる事が多いが、今日は気分転換。大将のきまぐれに任せてみることにしよう…。そんな事を考えながら、仁はコップに口をつけた。

「そんで、サングラスの兄ちゃんはどうすんだい?」

「俺様も日替わりをもらおうか!ご飯大盛りで!」

 ぶっ!?と勢いよく水を吹き出す仁。

「大丈夫か仁!急にむせちゃうやつかぁ!?」

「おまっゴホゴホッ…いつの間に来てたんだよ!?」

 仁の隣の席には、学校で別れたはずの火呂が座っていた。

「水臭いじゃないか仁!ここに来るんなら俺様も誘ってくれよぉ!」

「やかましい!俺にだって色々あるんだよ!」

「色々って…恋か!失恋か!?それともついに告白されたのか!?」

「どれでもねーわ!俺が女の子から告白されるような男に見えるか!」

「悪いが見えないな!」

 そこは見えると言ってくれよ…と仁はしょんぼりしてしまう。

「まぁまぁ!話なら俺様が聞いてやろう!風紀委員としてではなく、友としてな!それが友達ってやつだろぅ!」

「…今だけは、お前の暑苦しさが頼もしく感じるよ」

 そして、仁が今日起こった出来事について、話し始めようとした時だった。

「日替わりお待ち!」

 コトッと二人の目の前に置かれた定食。ここの定食屋は、あらかじめ作っておいたんじゃないかと思ってしまう位に、すぐ料理が出てくる。今日の日替わり定食は、揚げ物のようだ。

「白髪の兄ちゃん、学校でなんかあったんか?新規臭い顔してたから、揚げ物一個おまけしといたよ!」

「よかったじゃあないか仁!大将のお心遣いに感謝だなぁ!」

「ああ…そうだな」

 人は人に支えられて、生きているんだ。

 そんな当たり前の事を、忘れてしまう所だった。

 いただきます、と仁は手を合わせると、揚げたての唐揚げを箸で口へ運ぶ。

 明日からの再スタートを、この唐揚げで祝おう。

 パクッと食べた唐揚げは、熱々ジューシー。噛めば噛む程に、旨味が口一杯に広がった。

「おぉ!美味いなあ仁!大将!これなんの唐揚げだ!?」

「これかい?これはタコの唐揚げよぉ!」

 ピタッと仁の咀嚼が止まった。

「あぁ!タコの唐揚げか!道理でなかなか噛みきれないわけだな!」

 アッハッハ!と笑う火呂と、絶妙な表情を浮かべる仁。

「タコはもう、こりごりだぁぁぁぁぁ!」

 仁の苦手なものに、タコ料理が追加されたのだった。

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