現在⑩
夏になると、雫由の義兄の蒼介が、「プライベート・アイランドでバカンスだ」と言い出した。
そんなに裕福な家には、申し訳ないが見えていなかったのでロカチーは驚いた──もちろん、雫由の前以外では微動だにせずにありふれた人形のふりに徹しているので、「嘘?! 島なんて持ってたの!?」などとリアクションしたりはしない。
続く蒼介の話で事の真相が明らかになった。友人のツテで富豪の所有する島に招待されることとなった、と、そういうことのようだった。
で、なぜかその島でクローズド・サークルに巻き込まれた。
ねぇ、僕の運、悪すぎない?
ロカチーはあの
……仕方がないので、唯一のチート能力である〈憑依・転生者専用掲示板〉を利用してみた。スマートで完璧な推理を聞けるとまでは思っていなかった。何か糸口になりうる意見が聞けたらいいな、という程度にしか期待していなかった。
が、意外にも優秀なスレ民もいたようで、真相のほとんどを推理してくれた。雫由も喜んでいた。
足りない部分は、雫由を介して推理を聞いた蒼介が独自の捜査で補完した。ロカチーの当てずっぽうが的を射ていたと、すなわち復讐が真の動機であったと聞かされた時はテンションが上がって例の奇っ怪な笑い声をも上げてしまった。猛省した。
秋になると、雫由が天雲響華とかいうVTuberを推しはじめた。きっかけはホラーゲーム配信の切り抜き動画だったそうだ。
必然的にロカチーも観るようになり──普通にハマってしまった。前世の自分なら見向きもしなかったコンテンツだが、今は雫由と近しい感性を有しているので、そうなるのも当然だろう、と納得していた。
で、なぜかそのVTuberが配信中に殺されてしまった。
ねぇ、僕の周り、物騒すぎない?
ロカチーはあの
天雲響華殺害の日の翌日の夜、雫由のベッドで眠っていると、その雫由に起こされて、「蒼介から情報を抜いてきたからスレ立てして」と言われた。
早速、スレを立てて推理をお願いした。
無修正のエロ画像を投下されるという痛ましいアクシデントがあったものの推理自体はパーフェクトで、雫由はいい感じにドヤ顔を決められてご満悦のようだった。ので、ロカチーも満足であった。
冬になると、今度は
そんなふうにハラハラドキドキしつつスレ立てしつつ過ごしていたところ、雫由こそが真のターゲットであるということに気づいてしまった。スレでその推理を披露すると、
『雫由ちゃんが虐待っ子だったなんて初耳なんだが?』『アンフェアミステリーじゃねぇか!!』『ミステリーの作法勉強してからスレ立てろや!!』『てか、イッチが
などとさんざん叩かれた。そこまで言わなくてもいいじゃん。
ロカチーと雫由がスレを使いつつ事件のことを話し合うのは、大抵が夜で、この時はベッドの中で身を寄せ合っていた。
ロカチーは雫由に尋ねる。「蒼介はどういう反応をすると思う?」蒼介の気持ちを考えると、堂坂が犯人であると容易には認めないのではないか、と思われた。
「うーんとね……」少しだけ間を置いてから雫由は答えた。「『そんなはずはない』『堂坂さんはそんな人じゃない』って感じで否定してくる可能性が一番高いと思う」蒼介は千尋が好きだから、と言う。
「僕もそう思う」となると蒼介はどういう行動を執るだろうか──その答えは雫由がもたらした。
「たぶん、蒼介は捜査本部には報告しないで独自に千尋を監視する」
「──ああ」ロカチーも少し遅れて理解した。蒼介の性格、思考傾向、知能、堂坂への好意の程度──そういったものを総合的に考慮すると、たしかに雫由の言うとおりになりそうだった。
「困ったね」これはロカチーの本心から出た言葉だった。「蒼介じゃ千尋にバレちゃうよ、絶対」
蒼介の刑事としての実力は、推測するに、どう考えても堂坂には及ばないだろう。極端に嘘が苦手なのも痛い。問いただされたら一発でアウトだ。
「ねぇ、ロカチー君」改まったように雫由が名を呼んだ。ごそごそと身体の向きを横にし、つまりはこちらに身体の正面を向け、「ロカチー君は映画みたいに動けるんだよね?」
「?」質問の意図はわからなかったが、ロカチーも寝返りを打って雫由と向かい合い、「うん、動けるよ」と伝えた。
その気になれば住宅の壁ぐらいはぶち破れるだろうし、車と──高速道路であっても──並走することも可能だろう。やったことはないが、できると、例えば鳥が生まれながらにして自分は飛べるのだと信じて疑わないのと同じように、疑う余地のない当然の事実だと認識していた。
「お願いがあるの」
雫由の瞳に見つめられ、ロカチーは胸の奥に熱を感じた。
もう、この時点でお願いを聞かないという選択肢はなかったが、僕はイエスマンではないですよ、というポーズを示したかったので、
「お願いって何?」
と尋ねた。うさぎ耳も雫由のほうを向いている。
「わたし、誘拐されてみたいの」雫由は言った。
「──はぁ?」何を言ってるんだこのあたおか女児は? というような非難の音色を声に込めて、そう発した。
「あとね、監禁もされてみたいの」
「バカなの?」と言いつつ、雫由の分身とも言えるロカチーにはその気持ちが理解できていた。
雫由は猟奇的な美学を持っている。破滅にも惹かれているし、知的好奇心も旺盛だ。
殺されるリスクを負ってでも誘拐や監禁といったおもしろそうなアトラクションを楽しみたいと考えるのは、雫由にとっては自然なことなのだ。というか、殺され方に好みはあるが、殺されること自体には忌避感がない以上、リスクはあってないようなもの。のはず。
ロカチーの心境は複雑だった。
雫由の願いを叶えてあげたいという気持ちは当然あるが、それと同時に彼女に生きていてほしいとも思っていた。
なのだが、雫由には理解してもらえないだろうな、と諦めてもいた。自分の命にも価値があるのだと理解するのは、少なくとも今はまだ無理だろう、と。
だからロカチーは、
「どういう計画なのか詳しく聞かせて」
と言った。
「うん、ありがと」
雫由が言うことには、「一番理想的なのは、わたしとロカチー君が二人そろって千尋のうちに連れていかれて、わたしだけが監禁されるパターン」だという。
ロカチーは雫由の言わんとすることを察した。「その場合、僕が隙を見て、千尋の家の固定電話か三人のうちの誰かのスマホを使って通報する、と」百十番ならばロックを解除する必要がないので誰のスマートフォンからでも可能なのだ。
通報があると警察は、どこから電話が掛かってきたのかを把握できる。それはつまり、『今、監禁されているから助けてほしい』という通報があった瞬間に、捜索差押許可状の発付のための要件が満たされるということにほかならない。そうなれば、堂坂の逮捕は秒読みだ。
雫由は淀みなく言葉を並べる。「状況的に、誰が通報したのか、という疑問は持たれると思うけど、電話している瞬間の目撃者なんていないだろうから通報が原因でロカチー君の存在が露見することはない」
このパターンならば、誘拐&監禁の体験学習と堂坂の逮捕とを安全確実に実現できる。「うん、たしかに理想的だね」とロカチーはうなずいた。
「でも、たぶんそうはならない」雫由は言う。「千尋がわたしを誘拐するのは、おそらく蒼介の処理が完了した後──そうなるとこの家の鍵を入手しているわけだから誘拐は深夜に行われる可能性が高い」
「そうだね、千尋からすればそれが一番ローリスクだ」
深夜にこの家に侵入して誘拐するならば、目撃者への警戒もそれほどしなくてもよいだろうし、眠っている雫由を拘束するのも
「この場合に問題なのは、千尋にはロカチー君を一緒に連れていく理由がないこと」そう言う雫由の口調には、憂うる響きはなかった。
対処法があるのだろう、と思ったところでロカチーは気づいた。「要するに、雫由が誘拐された後に僕が単身で千尋の家か、あるかわからないけど監禁用のマンションとかに侵入して通報すればいいのね」
「うん」ガラス玉のような雫由の瞳がこちらの心裏を窺っている、と感じた。「ロカチー君は、それだと嫌?」
「うーん」嫌というほどではないけれど、少々リスキーだな、とは思う。幾ら深夜とはいえ、不気味な人形が街中を
ロカチーが逡巡するふりをしていると、
「お願い」と少し甘くて、切なげな声が言った。「わたしにはロカチー君しかいないの──だから、ね、お願い」雫由の細い指が、小さな小さなロカチーの手を取った。苦しげに眉尻を下げて、「わたしを助けて」と。
「……」あまりのあざとかわいさにロカチーは言葉を失った。
夜船京とかいう目を疑うレベルの美女(男)が原因であるのは明白だった。彼女(彼)が小悪魔講座なるものを随時開講するせいで雫由がイケナイ方向に成長しはじめてしまっている。
このままでは雫由に小悪魔属性まで加わってしまう。そうなったら誰も彼女の猟奇趣味を止められなくなりかねない──そんなふうに思い、ロカチーは身震いした。が、
「仕方ないなぁ」と承諾の言葉を口にしていた。「今回だけだよ」この台詞を言ってその一回だけですんだ人を、残念ながらロカチーは知らないが、せめてもの抵抗のつもりだった。
「ロカチー君──」雫由に抱きすくめられた。花のような甘く優しい香りに全身を包まれた。「大好きだよ」
「……」ロカチーのうさぎ耳は、へたっている。
「……ねぇ」頭上から聞こえる雫由の声は、何かを恐れているようでもあり、何も恐れていないようでもあった。「ロカチー君はわたしのこと、嫌い?」
好き? ではなく、嫌い? と尋ねるところが雫由らしい、と思いながら、
「好きだよ」
と答えた。無論、恋愛感情ではない。洗脳めいた何かでもない。と思うことにしている。
「うん……」雫由は一度ぎゅっと腕に力を込めてからロカチーを解放した。
「あのさ」少し湿ってしまった空気を入れ換えようとカラッとした口調でロカチーは言う。「半々ぐらいの確率で蒼介は殺されちゃうと思うんだけど、雫由はそれでいいの?」先手を打って千尋を殺すことも一つだよ、という助言を裏に潜ませていた。
「ん……」数回まばたきをしてから雫由は答えた。「たぶん、大丈夫」
「そ、ならいいけど」
それから十日後の深夜、ロカチーは、雫由を連れ去った堂坂の運転する黒いセダンの後方を追走していた。
身体能力的にはまったく問題ないが、いつ人に見咎めらるかとヒヤヒヤである。ついでに冬の夜風も冷や冷やである。
僕はいったい何をやっているんだろう?
ふと冷静になると、いかに状況がぶっ飛んでいるかに気づいてしまった。ありえなくない? 何これ。
そもそも論、人を線路に突き落とすやつが全部悪いのだ。あれさえなければ、あの
……いや、と思い直した。やっぱり神が全部悪い。なぜなら、神だから。人間のあれこれを設定して管理しているのは、おそらくは神だ。したがって、神が悪い。そう結論付けた。
疾駆しながらロカチーは、あの
僕が
〈皮肉のポワレ 本音のピュレを添えて〉をご馳走してあげたにもかかわらず、お礼の言葉はなかった──
などと一人で息巻いているうちに、セダンは目的地に到着したようだった。住宅街にある邸宅の車庫に入っていく。
あとは、千尋が出勤した後にでもサクッと侵入して、で、通報してミッションコンプリートだ──ロカチーは電柱の陰に潜みながら嘆息した。
夜空では、獣皆殺し宣言で有名な、かのオーリーオーンが静かにロカチーを見守っている。兎であるロカチーは抹殺対象のはずだが、彼の輝きからは殺意のようなものは感じない。
「……」暇だな。
まだ数時間はある。
「……」
やれやれ仕方ないスレで時間を潰すかそれしかないか──ロカチーはやむを得ず〈憑依・転生者専用掲示板〉に意識を接続した。
今日はどんなスレがあるかな。
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