現在④
十日が過ぎた。
未だ犯人は見つかっていない。近藤ひなたの膣内から採取された精液のDNA型の持ち主も足跡の人物も不明であり、その他あらゆる方向から捜査を進めてきたが、すべて結果には結びついていない。特別捜査本部には、忌ま忌ましいあの事件の焼き増しを見ているようだ、と口にする者もいた。
皆が進展を望んでいた。
しかし、この日、午後十時から始まった捜査会議で伝えられた事実は、誰もが望んでいなかったものだった──今日の午後七時ごろ、近藤ひなたと似た境遇の少女の行方不明者届が出されたのだ。
蚊守壁警察署の大会議室には重々しい空気が充満していた。蒼介も顔をしかめている。
頼むからただの迷子とかであってくれ──そう願わずにはいられない。
マイクに向かって長妻が言う。「ええとねぇ、行方不明になった子の名前は、
ファミリーホームとは──蒼介も詳しくはないのだが──曰く、規模の大きな里親制度のようなもので、事情があって親と暮らせない子供(五又は六人)を養育者の家庭で養育するものらしい。
草間美空は『虐待されている児童』ではないかもしれないが、『その他環境上養護を要する児童』であり、それを理由に親族以外の人間に育てられている──児童養護施設で暮らしていた近藤ひなたと同様の特徴を備えていると考えていいだろう。つまり、手紙にあった『かわいそうはかわいい』の条件をクリアしていると考えられた。
「状況を見るに事件に巻き込まれた可能性が高いよねぇ」長妻は悲しそうにするでもなく続ける。「──というわけで、明日から草間美空の捜索にも人員を割くことになったから、よろしくねぇ~」
蒼介は苦笑いを浮かべた。深刻な状況のはずなんだけど長妻さんのノリが緩すぎるせいで緊張感がまるでねぇなぁ、と。
翌日、蒼介と堂坂のツーカーコンビ(?)は、カーナビに従い、草間美空の暮らしているファミリーホーム、〈
しかし、セダンの運転席からその建物を見た蒼介は、ここで合ってんのかね? と内心で首をひねった。外観からは、ここがファミリーホームなのか無関係な市民の住宅なのか判然としなかったからだ。もう少し児童養護施設らしさのようなものがあると思っていたのだが、と。
疑問に思いながらも文明の利器を信じてセダンを降り、門扉へ向かった。
すると、その疑問はすぐに解消した。門扉横のインターフォン、その上に〈四津谷ホーム〉と記された表札があったのだ。誰の趣味なのか、表札には猫のシルエットが描かれている。
いや、これは黒猫の絵なのか?
などと蒼介が無駄なことを考えていると、堂坂の指が視界に入ってきてインターフォンを押した。
年季の入ったソファが置かれた応接室で、養育者の四津谷
現在時刻は午前十一時三十六分、草間美空が行方不明になってからおよそ十八時間半が経過している。
四津谷は不安げな面持ちで言う。「美空は誘拐されたのでしょうか」
「その可能性も否定はできない」堂坂は今日も平常運転──つっけんどんな応対だ。
「やはりそうなんですね」四津谷は更に顔を暗くした。
まだ決まったわけじゃない警察もがんばって捜してるからそんな顔すんなって、という趣旨のことをいい感じに調えて諭すように蒼介が言うと、四津谷は少しだけ表情に明るさを取り戻した。
しかし、蒼介の
「草間美空さんが誘拐されたとして──」堂坂は切り出した。
再び四津谷の表情が沈む。蒼介は苦い笑みを噛んだ。
堂坂は意に介した様子もなく、「──犯人の心当たりはないか?」
四津谷はかぶりを振った。「ありません」
「最近、不審者を見たというようなことは?」
「そういったこともありません」
「では、何か気になること──普段と違ったことなどはなかったか?」堂坂は真剣な表情。「どんな細かいことでも構わない。できるだけ情報を頂きたい」
「申し訳ないですが──」四津谷の答えは暗く湿っていた。
その後も堂坂は質問を続けたが、四津谷から引き出せたのは、
「ろくでなしの親のせいで美空はずっとつらい思いをしてきたんです」「立件はされませんでしたが、あの子も両親から虐待されていました」「最近ようやく笑顔を見せてくれるようになったのに」「こんなことがあっていいはずがありません」
など、愚痴の性質がふんだんに含まれた言葉だけだった。
四津谷ホームを後にし、行方不明になる直前に草間美空が訪れていたという公園に向かう。周辺住民に聞き込みをするためだ。
セダンの運転席で蒼介は、草間美空の遺体が発見されてしまった時の四津谷さんへの事情説明は担当したくないなぁ、と思っていた。おそらく長々と恨み言を聞かされる羽目になるだろう。
その必要が発生しないことを祈るばかりだ。
しかし──というか、やはりというか、一週間が経過しても草間美空は見つかっていなかった。
昔ながらの靴底をすり減らす捜査を続けつつ蒼介は、あることを考えていた。
──また雫由に相談してみるか?
いやでもなぁ、と悩む。スプラッタホラーやサイコロジカルホラー、あらゆる救いを徹底的に排除した胸糞の悪い絶望エンドを心から愛する雫由なら、グロテスクな遺体の話で気分が悪くなることもないだろうが──てか、たぶん目を輝かせるだろうけど、ちょっと難しい事件に遭遇するたびに九歳児に頼る大人って、現役刑事ってどうなんだ? 情けなさすぎね?「お兄ちゃん大好きー!」って言ってもらえる日が遠のくのでは?
蒼介が常識と実益(?)の
「桜小路は何か思いついたことはないか?」
「──え゛」蒼介は野良猫の上げる濁った鳴き声のような奇妙な声を発した。「俺に推理を求めてんすか?」やめてくれよ。
「悪いか?」堂坂はきれいな姿勢でハンドルを回す。「VTuber殺しの時はたった二日で真相を見抜いたじゃないか──あの時のような冴えを期待しているんだよ、わたしたちは」
「わ、『わたしたち』?」何だそれは、と戦慄した。急に主語を大きくしないでくれ、と恨みがましい気持ちが湧いた。俺はプレッシャーに弱いんだよ──蒼介の頭には高校球児時代の悲しい記憶が蘇っていた。
中堅高校の二番手投手だった蒼介は、県大会決勝、九回裏のマウンドにいた。点数は一対零──この回を抑えられれば甲子園! という場面だった。
プロ野球スカウト注目の我らが大エース様は、「やっべ、昨日、変な体勢で彼女その二とヤったせいで腰いてぇ、つーか、ねみぃ」「わりっ! 後は頼んだわ!」とまったく悲壮感を感じさせないさわやかな笑顔と共に早々にマウンドを降りて、ベンチを温めるチームプレイを船を
彼のワンマンチームではあったが甲子園出場も夢ではない仕上がりということで、監督やチームメイトたちの士気は高く、せいぜいが百四十キロそこそこのフォーシームと微妙に動いているような気がしなくもないツーシーム、それなりに落ちるカーブ、消えることなんてない普通のスライダーの四球種しか使えるもののない蒼介の肩には、それはそれはすばらしい
結果は、代打の選手に甘く入ったカーブを捉えられ、逆転サヨナラツーランを打たれてしまい、敗北。蒼介たちの夏は終わりを迎えた。
なお、大エース様はこっそりと、「さんきゅーな、蒼介。これで肩の消耗を抑えられるぜ」と自分の都合十割のネタばらしをしてきた。聞けば、甲子園なんて真っ平御免、蒼介なら絶対に打たれてくれると信じていた、と云々。そんな、体調管理の上手い彼は現在、地元のプロ野球チームで遊撃手として元気に活躍している。
──以上のことに鑑み、堂坂の要望に対して蒼介は、
「すいません、無理です、わかりません、俺の推理ではツーラン打たれて迷宮入りしてしまいます」
と切実な声で返した。
「──は? 何を言ってるんだ……?」堂坂は困惑しているようだった。「そういえば、前も推理を求めたら蟹みそがどうとか訳のわからんことを言っていたな──お前は推理を要求されると支離滅裂なことを言わないと気がすまない人間なのか?」
「よくそんなくだらないこと覚えてますね」蒼介はその無駄に高い記憶力に感心した。
「喧嘩を売っているのか?」堂坂はむっとしたように言った。
「まさか」と否定する。「頭がいいと覚えてなくてもいいことまで覚えてるんだなぁって思っただけですよ」
「……嘘をつけないお前がそう言うならそうなんだろうな」堂坂は疲労感をまとわせた溜め息を一つつき、「どうしても推理できそうにないか? この前みたいに一晩じっくり考えてみたらひらめくというようなことは、ありえないか?」と質問を重ねた。
それだけ解決したい気持ちが強いのだろう、と蒼介は受け取った。
「そう言われてもなぁ」と曖昧に答えつつ、その気持ちは俺も同じではあるけど、と思っていた。仮にプライドと良識を投げ捨てて雫由にお願いしたとしても、どうなるかは彼女次第だ。一夜あれば余裕で推理できます! と断言することはできない。
「そうか」と堂坂は答えた。「やはり難しいか」
横目で堂坂を盗み見た。澄ました顔は崩れてはいなかった。
「……」つらいだろうに文句も言わずにがんばっている堂坂を少しでも早く楽にしてあげたい、というのも嘘偽りのない蒼介の
結局、蒼介は、「わかりました」と口にしていた。「一晩掛けていろいろ考えてみます」
堂坂は優しげにほほえみながら、期待しているぞ、と。
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