第三章【誘拐殺人】ヤっちゃう系ロリコンがクイズを出してきたんだが【名探偵急募】

現在①

 十二月になり、蒼介の暮らす埼玉の街にも冬の冷たい風が吹きはじめている。

 午前の業務が思いのほか順調に終わり、蒼介は本来の昼休みの開始時間と同時に昼休みを享受する幸運に恵まれた。今日はツイてる、と喜ぶ。

 少し余裕あるし、外に食いに行くか。

 蒼介の判断は早かった。慌ただしくコンビニのパンを胃に詰め込む作業をしなくてよい、この機会を逃すつもりはなかった。

 誰か誘おうかな、と思い、埼玉県警刑事部捜査一課のオフィスを見回す。堂坂はパソコン画面をにらみつけているし、ほかの誘えそうな人も忙しそうにしているかオフィスにいないかのどちらかだった。

 うん、ぼっち飯でいいや。

 蒼介は庁舎を出て、徒歩数分の所にある、〈定食屋〉という店名の定食屋に向かった。一周回って逆にわかりにくい名前だ、と蒼介は思っている。しかし、値段の割に味は悪くないしボリュームもある。トータルでは平均以上の魅力を備えている店だった。

 やや早足で──早く行かないと同僚や県庁職員などに先を越されてしまうのだ──歩いていると、

「蒼介」

 と名前を呼ばれた。知っている声だった。立ち止まって声のしたほうに顔を向けると、そこには五十代の浅黒い肌の男──倉橋くらばし敏也としやが立っていた。

 倉橋は蒼介の父の古い友人だ。親友だったと言ってもいいかもしれない。幼いころの蒼介を知る人物でもあるし、父が亡くなった後も食事に誘ってくれたりと気に掛けてもらっている。そんな倉橋は、今はゴシップ誌の記者をしているが、十四年前──彼が三十九歳の時──までは埼玉県警に勤める警察官だった。つまり、蒼介の先輩に当たる。

「これから飯か?」倉橋は野性味のある笑みを浮かべて言った。人より男性ホルモンに溢れている、そういう空気をまとっている。

「ええ、今日は奇跡的に書類仕事が少なくて時間があったんすよ」と答えつつ、足早に流れゆく人の群れに視線をやった。早くしないと待たされるかもしれないという焦りがあった。腹が減っているのだ。

 倉橋は苦笑した。「ご相伴しょうばんにあずかってもいいか?」

 否やはない。「もちろんいいですよ。どこにしますか?〈定食屋〉で済ませようと思ってたんすけど……」と倉橋を窺う。

「お、いいな」倉橋は屈託なく言った。「あそこの油っこい野菜いため、好きなんだよ」

〈定食屋〉はかなり昔からあるのだ。今はまだ老舗しにせと呼ぶにはしわの数が足りないが、いずれそうなるかもしれない。

 蒼介と倉橋は、連れ立って歩き出した。



「ここは俺が出すよ」

「いやいや、前も倉橋さんが払ってくれたじゃないですか。今日は俺が──」

「まぁまぁ落ち着けって。もう財布開いちゃったし俺に払わせろよ」

「何すかそのごね方」

 というやり取りがあったが、ほかのお客さんへの迷惑を考えて蒼介は折れることにした。たかだか千円弱の定食の支払いで揉めるのもおかしな話だし、また次の機会に奢ればいいだけだ。とはいえ、まるで小学生の子供のごとく扱われているような気がして、何となくくすぐったくもある。その点は、不満というほどではないが、うれしいわけでもない。俺だってもうアラサーなんだけどな、と。

〈定食屋〉を出て倉橋と別れ、捜査一課のオフィスに戻ると蒼介は、自分の椅子に腰を下ろした。椅子が頼りない音を立てる。壁の時計を見ると、午後一時の九分前だった。

「……」少し早いけど始めるか。

 厳密にはまだ休憩すべき時間だが、蒼介はパソコンのマウスに手をやった。

 それから少しして、白田一課長のデスクで電話が鳴った。彼はすぐにそれを取った。

 何となく気になって視界の端で白田を見ていると、彼は、ただでさえ現役ヤクザと言われたほうがぴったり来るその悪人面を更に物騒なものへと変化させていった。いつ見ても笑えるくらい恐ろしい。

 こりゃあ殺人事件コロシでもあったか?

 蒼介がそう思ったところで、白田は、「長妻さん、ちょっといいか?」と一心不乱にキーボードを叩いている長妻を呼んだ。指を止めて彼は、席を立った。

 確定かな──という蒼介の予想は正しく、白田は長妻に、「殺人事件だ」と告げた。

 蒼介はパソコン画面上の時刻表示を確認した。十三時五十二分だった。ということは通報は三十分過ぎだったのかな、と推測してみる。

 更に時間が経過し、また白田のデスクから呼び出し音が聞こえてきた。その電話が終わると、今度は強行犯係の刑事たちが呼ばれた。当然、蒼介や堂坂も含まれている。

 来たか──こう思ったのは蒼介だけではないのだろう、強行犯係は速やかに白田のデスクの前に集結した。

「察しているな?」白田は言った。「殺人だ」

 はい、と強行犯係の面々は静かに相づちを打った。

 白田は続ける。「先ほど──午後一時三十五分に、蚊守壁かすかべ市郊外の公園に死体がある、との通報があった。長妻さんによると他殺の可能性が極めて高いそうだ」

 管理官による事件性の有無の判断を経てから県警本部の刑事が捜査に加わるのが原則だ。今回もその例に洩れなかったようだ。

「そういうことだからお前らにも初動捜査に参加してもらいたい」それから白田は事件の情報を伝え、それが終わると、「じゃあ頼んだぞ」と締めくくった。

「わかりました、すぐに向かいます」

 蒼介は明瞭な口調で答えたし、ほかの刑事たちも威勢のいい返事をしていたのだが、堂坂だけは、

「……承知しました」

 どこかためらうように間を置いてから暗い声で首肯した。

 何だ? と蒼介は眉をひそめた。堂坂さんらしくないな。いつもは答えるべきことにははっきりと答えるし、曖昧な態度はほとんど取らない。凄惨な事件のようだから、何か思うところがあるのだろうか?

 同僚たちが動き出した。堂坂もその流れに逆らってはいない。少し気になるが、蒼介も行動を開始した。



 蚊守壁市は埼玉県警察本部のある埼玉市に隣接する市の一つで、埼玉は田舎、と言われるのがよくわかる自然豊かな町だ。

 その蚊守壁市の郊外の外縁部、県道沿いにある寂れた公園の公衆便所に遺体はあった。近辺に住宅は少なく、したがって利用者も少ないのだろう、そんな公園だった。

 現場入りした蒼介たちは、早速、長妻に状況を確認した。

 第一発見者は市から公園の清掃を委託された業者のパートの中年女性。彼女は一日一回、この公園のトイレの清掃を行っており、今日もいつもどおり仕事をしようとした。そして、遺体を発見してしまったそうだ。

 遺体は小学校低学年ぐらいの少女で、全裸の状態で公衆便所内の奥の個室に遺棄されていた。首には索痕さっこんらしきものがあり、絞殺された可能性が高い。また、手首足首にも赤紫色の紐状の痕があり、拘束されていたことが窺えた。

 さらに、遺体の膣と肛門こうもんに裂傷があり、性的暴行を加えられていた可能性もあるという。

 白田から聞いた事件の内容と同じであったが、蒼介は胸糞むなくその悪さに改めて顔をしかめた。遺体の少女が雫由と同じような年頃だったこともあり、普段よりも強く感情移入してしまっているのだ。ふざけやがって、と舌打ちが出そうになる。

「……」堂坂やほかの刑事たちも険しい表情をしている。

「みんなの気持ちはわかるけど、話はまだ終わりじゃないんだよねぇ」長妻は穏やかな声音で、しかし哀れみの色をにじませて言う。「被害者の子は両手両足の関節が複数箇所、脱臼していたんだ。九割九分、犯人の仕業だろうねぇ」

 それについても白田は話していたが、にわかには信じられなかったし、今も、嘘であってくれ、と思っている。

「拷問されていたということでしょうか」刑事の一人が尋ねた──彼は六十間近のベテラン刑事だ。猟奇的な事件にも動揺している様子はない。

「生きているうちにそうされたかはまだはっきりしないけど、可能性はあるよねぇ」長妻はそう口にしてから、「世の中には救いようのない悪がいるからねぇ」

「とんでもないですね……」蒼介は胸に痛みを覚えていた。どんな理由があるのか知らないが、悪そのものじゃないか、と思う。

「それからねぇ、今回の事件、何と犯人からメッセージがあるんだ」長妻はおどけるように言った。

「……聞いてはいます。でも本当なんですか?」あまりにも非現実的な事態に蒼介は半信半疑だ。メッセージって何だよ、ミステリー映画じゃあるまいし、と困惑していた。

「本当だよ。遺体のお口に折りたたまれた封筒が入れてあったんだ」それから長妻は、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出し、その手紙の文面を撮影した画像を見せてくれた。

 スマートフォンを受け取った蒼介は、隣に立つ堂坂と顔を寄せるようにして画面に目を落とした。便箋には、MS明朝みんちょうだろうか、血の通わない文字でこう記されていた。


『やぁ、こんにちは。久しぶりだね、僕だよ。覚えてるかな? 忘れてるなら忘れてるで別にいいんだけどね。

 さて、ここでクイズです。ばばん!

「僕の好みの女の子は、どんな子でしょうか?」

 ……気づいた? 昔と同じクイズだよ。でもね、答えは昔と一緒じゃないんだ。僕も年を取ってね、そのせいか、少しだけ勃起するポイントが変わったんだ。まぁ、そうはいっても小学生以下のロリでしか射精できないとこは変わってないどね、ハハッ!

 で、どう変わったかだけど、「かわいそうはかわいい」ってことに気づいたんだ。世界が広がったよ。彼女たちは最高だよ。最高の肉穴人形さ。

 ……え? これじゃあクイズになってないって? 

 安心して。僕が勃起するポイントはもう一つある。君たちはそっちを当てればいいわけ。それがわかれば次の子もたぶん予想できる。

 僕のやりたいことはわかるよね?

 要するに、この性癖クイズはミッシングリンク当てさ。昔と同じだね。僕が出題者で、君たち警察が解答者。今回は負けないぞ☆

 じゃ、がんばってたどり着いてね。次の子とラブラブびゅっびゅしながら応援してるよ♡

          善良すぎる少女愛好家』


「ちっ」と盛大に舌を鳴らした。何だこのなめ腐った手紙は?

 情報共有のためにほかの刑事にスマートフォンを渡す。その時、隣から、ぎりり、と音がした──堂坂が怒りをこらえるように歯軋りをしていたのだ。彼女が口を開く。「やはりこれは二十三年前の──」

「うん」長妻はうなずいた。「〈埼玉連続少女誘拐殺人事件〉を模倣しているね」

 虚を突かれ、「え」と蒼介は洩らした。

〈埼玉連続少女誘拐殺人事件〉だって? 親父が解決したやつじゃねぇか。

 その事件を父が卓越した推理力を発揮して解決したことは知っていたが、事件の具体的な詳細までは知らなかった。だから、今回のこれが過去の事件の模倣犯であるとは気がつかなかったのだ。

「蒼介君はあの事件のことは知っているかい?」と長妻に問われ、

「アウトラインは知っていましたが──」こんなふざけたクイズを出されていたなんて思いも寄らなかったです、と正直に答えた。

 長妻は言う。「当時、蒼介君は四歳ぐらいだろう? 無理もないさ」

「いえ、勉強不足でした。すみません」

 不意に長妻が堂坂に言う。「大丈夫かい?」気遣うような声色だった。

 その言葉に釣られるように顔を堂坂に向けると、彼女はいつもと変わらぬ無表情であった──しかし、

 こっわ。

 その瞳孔は開ききっていた。よくよく見ると、ぶち切れているのがわかる。わかりやすく激昂するよりよほど恐ろしい。

「どうしたんですか? らしくないっすよ」思ったことが、思慮というフィルターを通さずにそのまま口から出てしまった──どうも堂坂らしくない。彼女はもっと冷静な、そして自分を厳しく律する人間ではなかっただろうか。殺人犯に対して個人的な感情をこれほどまでに露にするのは珍しい。というより、初めて見た。「何か変ですよ」と訝ってしまう。

 自分を落ち着かせるように、ふぅ、と息を吐いてから堂坂は言う。「申し訳ありません、長妻管理官。ご心配お掛けしました」わたしは大丈夫です、と上品な発音で答え、そして蒼介に向かって、「わたしはな、あの事件の被害者だったんだよ」

「……マジで?」驚きすぎて張りぼての敬語すら消え去ってしまった。

 周りからも驚く声が上がっているが、中には、例えば先ほどのベテラン刑事のように平静なままの人間もいる。

「ああ、マジだ」かすかな笑みすら浮かべずに堂坂は肯定した。冗談と解釈する余地はなかった。「あの事件の犯人と今回の事件の犯人が別人だというのは、頭では理解しているんだが、どうにも重なってしまってな」とどこか遠くを見るように視線を動かした。

 別人と断言できるのは、〈埼玉連続少女誘拐殺人事件〉の犯人──鳴海なるみ信司しんじは亡くなっているからだ。

 何と言ったらいいかわからず、「そうだったんですか」と当たり障りのない──中身のスカスカな相づちを打つと、堂坂は苦笑し、

「そう気を遣わないでくれ。被害に遭ったといっても、もう二十三年も前のことだ。特別、心的外傷後ストレス障害PTSDになったわけでもないし、それどころか解放されて数日もしたら普通に学校に登校していたほどだ。我ながら図太い女だとあきれているよ」

 本当だろうか、と疑わずにはいられない。たしかに堂坂は平均より強い人間なのかもしれない。しかし、あの事件の被害に遭ったということは、誘拐され、監禁され、そして継続的に強姦されていたということだ。成人でもつらいのに、十歳の少女の心は耐えられるのだろうか。

 我知らず痛ましいものを見るような顔をしていたようで、堂坂は、「そんな顔するな」と再び苦笑した。それから、彼女は長妻に顔を向け、「桜小路には、わたしが〈埼玉連続少女誘拐殺人事件〉のことを教えておきます」といつもの調子で言った。

「うん、わかった」長妻も普段どおりの声音だ。「千尋ちゃんがそう言うならお願いするよ」

「はい、ありがとうございます」と堂坂。

「ほかにあの事件のことを知らない人はいるかい?」長妻は全員を見回すようにして尋ねた。

 何人かの若い刑事が手を挙げた。

「うん、了解」長妻は柔らかく言って、「初動捜査の相方を上手い具合に調整してあげるから、その人に教えてもらってね」

 彼らから返事が返ってくると長妻は、具体的な指示を出しはじめた。

 蒼介と堂坂は現場から南の地域での聞き込み捜査を担当することとなった。

「何かすみません」捜査車両へ向かいながら蒼介は、堂坂に言った。

 すると、堂坂は意地悪そうに笑った。「思い出したくもないことを説明させるんだから、ぜひともVTuber殺しの時のようなすばらしい推理力を見せてくれよ」

「……」蒼介は返答に窮した。が、「がんばります」と。

「随分と自信なさそうじゃないか」

「ええ、まぁ、自信はないですが」

 がんばらないとなぁ。

 熱血漢というわけではないが、心からそう思った。

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