第21話 油江の過去 (離別)

 ある朝、スマホの着信音により珍しく早起きをする羽目になった。


「はい?」


 苛立ちながら電話に出る。


「油江君。実験用のマウスが何匹か少なくなっているのだが何か知らないかね?」


 相手は教授の加藤先生だった。慌てている様子が電話越しから伝わってくる。


「今日、学生の実験で使うために用意したやつですよね。私が昨日にチェックした時は問題は無かったはずです」


「そうか、そうなると研究室に移した後に学生がイタズラで盗んだのかもな。朝早くにすまなかった」


 こんな時間に起きる羽目になるとは災難だ。今日は午後まで予定ないし、もう一眠りしよう。

 マウスの窃盗か、自分達の代でもふざけてやった奴がいたなぁ。見つかってこっぴどく怒られていたっけ。彼、彼女か解らないが面倒な事をしてくれたもんだ。些細ささいなな出来心であろうとこれは中々に罪が重い。自分が学校に行く頃には解決していると良いのだが。

 そう考えながら油江は再び眠りに落ちた。

 目覚めたのは昼近く、これでも早めの起床だ。遅めの朝ご飯を軽く済ませ、簡単な身支度を済ませ大学に向かう。


「おはようございます加藤先生。朝の件はどうなりました?」


 研究室に入る前に教授に声をかける。これもいつもの事なのだが、今回は朝の電話の件も確認する必要があった。


「あぁ、朝早くに済まなかったな。こっちも慌てていたもんでな。それがまだ見つかっていなくてな。5匹も行方不明だ。何か情報が得られたら教えてくれ」


「解りました。それにしても面倒な事になりましたね」


「全くだ。まだ実験前のやつだったから良かったが。それでも注意喚起とか対策とか色々と大変だよ。済まないが近いうちに君にも再度、管理状況とか聞く羽目になると思うからそのつもりでいてくれ。とりあえずはいつも通りの業務をやっててくれ。その事に関しては後でこちらから連絡入れるから」


「はい、それでは失礼します」


 面倒な事にはなったが、自分が大きな責任を問われる事はまず無いだろう。それにしても5匹も行方不明になっているとは思わなかった。犯人はいったいどうバレずに持ち去ったのだろうか。悪ふざけにして手際がいいような気がする。まぁ、犯人探しを自分が出来とは思えないし、上手くこの事態が終息するのを願うしかない。

 時間は瞬く間に過ぎ去っていく。朝からトラブルはあったものの、大方いつも通りの日常だった。教授はとっくに帰宅したし、自分もそろそろ帰るかと研究室の戸締まりの準備をしていた時だった。彼が研究室に入ってきた。


「良かった。ギリギリ間に合った」


 彼は息を整えてながらそう言った。彼が私にに会いにこの研究室を訪れるのは珍しい事では無い。だからこそ、私が帰る時間帯に来るのは異常だった。何か緊急の用件なのだろうか。


「どうしたのまた忘れ物か何か?」


 平静を装って尋ねるが、言いようのない胸騒ぎがする。朝の騒動のせいだろうか。


「いえ、違いますよ。先輩、ちょっと見てもらいたい研究成果がありまして…」


「明日じゃあダメ?それに卒論の事だったら教授に報告するべきじゃあ…」


 彼の手に乗っているモノを見て息が止まる。ソレは消息不明になっていたマウスだったが明らかな異常があった。ソレの頭部は人間の男性の顔だった。ソレは


「タスケテ、タスケテ」


 と聞き取りにくい不気味な声ではあるが確かな人の言葉を発していた。作り物、たちの悪い悪戯いたずらと思いたかった。しかし、本能が警告を鳴らす、アレは本物だ。見てはいけない、存在してはいけないモノだと。


「何なのよソレ?」


「あぁ、すみません気持ち悪かったですか?でも凄いでしょ。人間とマウスを生きた状態で組み合わせる何て普通はできない。やはり教会の技術は素晴らしい」


 彼は恍惚とした表情でソレをかがける。


「ソレ、人間だったの?」


「はいそうですけど、さき言ったじゃあないですか、疲れてます先輩?」


 震えながらやっとやっと言葉を出している自分とは違い彼は平然と残酷な言葉を口にする。


「はいって人を何だと思っているのよ。ソレ元に戻せるの?」


「あぁ、そんな事ですか。この素材は身寄りの無いホームレスなので心配する必要ありませんよ。いなくなって喜ぶ人がいても悲しむ人間なんていないんじゃあないですか」


「そういう問題じゃあ無いのよ。人なのよ。実験用のマウスとは違うのよ」


「その人間だから、動物だからっていう境界線って何なんでしょうね?人より劣るから、同族ではないのだから道具のように扱ったとしてもそれが人類の為になるなら許されるという事でしょうか?そのような理屈でしたら社会の役に立たないクズを使っても問題無いのでは?ましてや、神ならば人間ごとき遊び道具として使っても許されるでしょうね」


「神?」


「理解できないのも無理はありません。でも、先輩もこの技術が人智を超えている事は理解できますよね。教会の力は素晴らしいです。教会なら本当に人類を次のステップに進ませる事ができる」


 彼は声高々に話す。まるで神に仕える神父の様に。


「それによる犠牲は考えないの?」


 話は理解できないがその教会とやらがインチキなどでは無く、本当に超常的な力を持っている事は理解できた。そして真っ当な倫理感なんて持ち合わせていない事も察しがつく。


「犠牲無しで人類の進歩は望めません。歴史を見てもそうでしょ。それに進んだ新しい世界ではより多くの幸福が得られるかもしれません。それを考えたら些細ささいな犠牲ですよ。もしかしたら、停滞している今の方が得られるはずの幸福を犠牲にしているのかもしれません。選ばれなかった人間、変革のスピードについてこれなかった人間の為なんかに真に優れた人間が犠牲になる世界は終わらせるべきです」


「君は選ばれた人間とでも言うの?」


「はい、俺は教会に見出され更に試練を乗り越え神の力を手にいれました。先輩もこちら側に来るべき人材です。俺と一緒に教会に来てください」


 そう言った彼は満面の笑みを浮かべていた。

 狂っている。一体何が彼をここまで狂わせたのだろうか。教会とやらの超常的な力に魅了された事だけが原因とは思えない。彼自身に元から何らかの闇があったのだろう。日常では抑えられていたそれが手に入れた力によってかせが外れてしまったのだろうか。


「ごめんなさい。そのお誘いは受け入れられないわ。正直なところ先輩としてだけでは無く、一個人として君の助けにはなりたいとは思っている。でも、だからこそ君が人としての道を外れる事に対して協力できないわ」


 自分の事ばっかり考え、その闇に気づけなかった事に後悔する。まるで懺悔ざんげをする様な気持ちでその言葉を吐き出した。



「先輩はまだ常識の枷に囚われているのですね。憐れだ。でも仕方の無い事ですね。この程度の事では今までの倫理感を捨てるなんて難しいに決まっている。でも、きっと先輩も教会で実際に超常的な力を目にしたら解ってくれるはずです。だから…」


 その言葉と共にどこからともなく大量の蛇が出現した。蛇の種類は様々だった。小さいのもいれば人よりも巨大なモノもいた。そのどれもが異様な雰囲気を放っており、普通では無い事が察せられた。


「どうするつもり」


「手荒な真似はしたくなかったのですが、仕方ありません。無理矢理でも先輩を教会に連れていきます」


 異様な蛇の集団が迫って来る。何とか震える足を動かして逃げようとするが、立ち位置的に扉から逃げるには彼と蛇の集団を超えて行かなければいけない。私はどうする事もできずに研究室の置くに追い詰められるしか無かった。

 機材を投げ倒し抵抗を試みるものの大した妨害になっていない。声を上げて助けを求めてもそれが届く事は無い。

 あぁ、これは罰なのかもしれない。まるで自分だけが不幸なのだとあらゆる事から逃げてきた自分に対する罰。諦めていたその時、蛇達の動きが緩慢になった。


「えっ」


 驚きの声と共に白い息が出る。それによって気がつく。部屋の温度が急に下がっている事に。変温動物である蛇達はこの温度の変化により活動が困難になったのだ。


「何とか上手く行ったみたいだね。窓から君が危ない様子が見えてとっさに力を使ったのだけど。うん、さすが僕だ。力加減が天才的過ぎる」


 外から男性とも女性とも判断がつかない声が聞こえた。その声の主を確かめようと窓に目をやる。ここは4階にある部屋、普通なら窓から外を見ても闇の中で声の主を視認するのは困難のはずだった。しかしソレは普通では無かった。


「ひっ」


 恐怖のあまり息が止まる。目を不気味に光らせた巨大な顔が窓越しこちらを見ていた。


「クソ、どうなっているんですか。成神さん」


 彼が怒りの声を上げると黒い空間が突如として出現し、そこら一人の青年が姿を表した。恐ろしいさを感じる程の美しい顔立ち、年齢は彼と同じぐらいに見える。


「いやー、ごめん、ごめん。騒ぎにならないように事前に魔術で大がかりな人よけと結界を張っていたんだけど、逆にその魔術の痕跡を厄介な連中に感知されちゃたみたいだね」


 成神と呼ばれる青年は笑顔で彼に謝罪する。


「成神さんにしては詰めが甘すぎませんか?わざとですか?」


「さぁ、どうだろ。まぁ、どちらにせよ彼女は僕達の仲間にはなってくれないみたいだし、残念だけどここは諦めて撤退しよ。こんな事もあろうかと門は事前にに繋いでおいたからさ」


「待ってください。先輩もいずれ解ってくれるはずですから…」


 その瞬間、成神から凄まじい殺気にも近い重圧を感じ、彼は続きの言葉を飲み込む。成神の表情が変わらず笑顔なのがより恐怖感を与えた。


「悪いね、これでも有望な君の為に譲歩した方なんだよ。それに今回の相手は本当にヤバイ奴でね。特に君との相性は最悪だ。余計な事をしている余裕は無いのさ」


「解りました。俺の我儘わがままに付き合わせてすみませんでした」


「解ればよろしい」


 成神が出てきた時と同じ黒い空間が再び現れ、二人はその中に消えていった。


「先輩は俺の理解者になってくれると思っていたのですが残念です。さよなら先輩」


 そう言い残し、闇へと消えていく彼を私はただ見送るしかできなかった。何も知らない、何もできない、何も言い返せない自分がただひたすらに情けなく感じた。

 彼の名前が蛇川育へびかわ いくというのを知ったのもこの事件の後だった。あれだけ言葉を交わしていたのに凄く薄情だなぁ私。それでよくあんな図々しい台詞が言えたものだ。

 その後、保護された私は記憶を消されるか、組織ユニオンの一員になるかの選択を迫られた。この悪夢の様な記憶を消すのはとても魅力的な選択にも思えた。きっと今まで逃げてきた私にはお似合いだろう。

 それでも今回だけは逃げる気になれなかった。例え、辛い結末に成ろうとも彼と向き合わなければならない。私は日常に戻る道を捨て、冒涜的な世界に足を踏み入れて行った。






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